第107話  心の声

アルフたちと大弧の軍が睨み合っている。

すっかり迎撃体勢が整えられてしまい、先ほどの不意打ち気味の戦い方は通じないだろう。

どちらが仕掛けるでもなく、先の一手を取るような細かい牽制ばかりが続く。

アルフの余裕の表情が気になる、何か秘策があるんだろうか。



「そういやさっきの会話中、よく邪魔せず待ってたな。お前の飼い主は躾をしっかりしてくれたようだな」

「……小僧、どこまで我を侮辱すれば気が済むのか」

「ハッハッハ、お前一人称が『我』なのか、偉そうに。『コンちゃん』くらいにしといた方が、若い女に人気が出るぞ?」

「グゥ……、この不届きものどもを殺せ!」



配下の兵士と族長たちが襲い掛かった。

不可解な挑発をアルフを繰り返してるけど、一体何を考えての事なんだろう。

状況は圧倒的に不利なのに。



「ワン公、今だ!」

「グオオオォォォーー!」

「そ、その雄叫びは?!」

「考え無しに突撃しやがって、脳みそ詰まってんのかっての」



空間が歪む程の痛烈な咆哮が眼前に広がった。

無防備に受けてしまった前衛の兵は一瞬体を強張らせてしまう。

その隙を見逃してもらえるハズもなく、アルフとエレナによって斬り伏せられていく。

二人の族長も同じように一太刀で斬られた。

後衛に居たアシュリーはその間も稲妻を落とし、後続の兵を蹂躙していく。

たった一手で半数近い兵力を削ぎ落としてしまった。



「おのれ、小癪(こしゃく)な真似を。だが、そのような児戯が何度も通用すると思うな!」

「当たり前だろ。今のはほんのお遊びのつもりだ。お前たちが弱すぎて戦略っぽく見えただけだ」

「どこまでも愚弄しおって! 我自ら消し去ってくれよう!」

「ワン公、お前は残りの雑魚を全て片付けろ。エレナとアシュリーはあの偉そうな2匹に当たれ!」



まるでシナリオにでも書かれているかのような、整然とした展開だった。

数的不利を一瞬で解決し、極力1対1になる形に運ぶ事が出来ている。

きっとこれが最良の構え、頭数で劣る側が取れる最善の策に思えた。

そんなギリギリの戦いを強いられている彼らを前に、私は一体何をしているんだろう。


仲違いをしているとはいえ自分の種族の父祖に、生みの親とも呼べる存在に牙を向けるのは恐ろしかった。

かといってこのまま仲間たちが、傷ついて倒れ行く様を傍観しているのは、身を切るよりも辛いはずだ。


私はどうしたらいいんだろう。

わからない。

自分の心の置き所が。


張り裂けて四散しそうになる胸を押し留めるように、手を胸元で硬く握り締めた。

何が希少種の大狐族だ。

自分の意志すら見失う愚か者ではないか。


一つだけ確実な事は、思い迷う私を置きざりにして戦いは進行しているという事だ。



「魔王ごときの飼い犬に成り下がった哀れな狼よ、今すぐあの世に送ってやる」

「木っ端ギツネどもが……。力の差を思い知るがよい!」



グレートウルフ・ロードの顔が天を仰ぐと、膨大な熱量を持った火柱が上がった。

魔力防壁も役に立たず、ただ燃やされていく若い狐たち。

難を逃れた者たちの尾が、ピンと中天を指し、そして震えていた。



「何故だ、何故狼ごときがこのような力を持っている! 偉大なる大狐を凌ぐ力を!」

「驕るな、若造。我らが争いを避けていたのは、『原初の狐』を警戒してのこと。断じて貴様らが優性種だからではない」

「クソッ、相手は一匹だ! 束で掛かれ!」

「愚かな。知恵なき野良犬と変わらぬ」



この戦いの決着はついたようなものだった。

魔法を使う事すらなく、爪や角で大狐兵を撃退している。

大した痛手を負う事もなく一人、また一人と討ち果たしていく。

恐慌状態に囚われた若い兵たちに、体勢を立て直す事はできないだろう。

無謀な突貫を繰り返しては、返り討ちに遭っていた。



「人族にしてはやるようだが、我らの相手には力不足であったな。魔人の小娘も自領から離れては余りにも無力」

「……確かに手強い。アシュリー殿、大丈夫か?」

「いててて、こいつら女相手に手加減なしですか。絶対DV野郎ですよ」



エレナたちは戦況が思わしくない。

2対2とはいえ、相手は部族を掌握している実力者だ。

並みの大狐とは歴然とした力の差がある。



「エレナ、ちょっと10秒くらい引きつけて貰えません? とっておきの秘策があるんで」

「10秒だな? それ以上は無理だぞ」

「問題無いです、頼みましたよ!」



エレナをその場に残して、アシュリーは飛びすさって離脱した。

一度に二人を相手にすることになってしまったが、防戦しながらも確かな技術力で戦線を維持できていた。

時折見せる驚異的なスピードで惑わしつつ、緩急つけながらの撹乱戦法だ。

それでも魔法の使えないエレナは、近接と魔法攻撃の連携に対し、徐々に押されていった。


アシュリーはというと、腰から小瓶を取り出していた。

見るからに体に悪そうな、沼に浮かぶ藻のような色の液体。

そして迷うことなくそれを一気に飲み干した。

あれは何かのクスリなんだろうか?



「老いぼれ狐の為にとっておきたかったんですが、仕方ないですよね。エレナ、準備完了です! おかげで森の魔力がバッチリ……ゲホォ!」

「あ、アシュリー殿!?」



アシュリーが倒れて痙攣をしはじめた。

え、あれ飲んじゃいけない物だったんじゃ……?


エレナは駆け寄ろうとしたけれど、それよりも族長たちの動きの方が早かった。

無防備な体に向かって2つの爪が襲い掛かった。



「何が賢人か、笑わせるな! 無謀な戦を仕掛けた愚者として歴史に刻めぃ!」

「かかりましたね! 霊木よ、捕え縛めろ!」



アシュリーに向けられた凶刃は届くことなく、彼女の秘術によって返り討ちとなった。

二人の族長は巨大な木の根に体を締め付けられ、身動き一つ取れない。

ギリギリと軋む生々しい音が重く響き渡った。



「貴様、卑怯だぞ! 騙し討ちとは恥を知らんのか!」

「恥ですか? じゃあたった3人と1匹相手に100人以上で攻め掛かってきた貴方たちこそどうです? 卑怯と罵る権利があるのは1対1で応じた場合だけじゃないです?」

「うるさい、縛めを解け! 八つ裂きにしてやる!」

「あー怖い。『お前の店をぶっ壊してやるから門を開けろ』って喚く強盗みたいじゃないですか。そう言われて応じる人が居ると思います? もう少し社会勉強してきてください、優秀な狐さん」



呆気にとられるエレナと満面の笑みのアシュリー。

一般兵ならいざ知らず、族長二人を子供扱いするなんて、考えられない。

それでも実際、目の前で無力化に成功していた。

これはさっきの飲みクスリの成果なのだろうか。

何か特別な力が作用しない限り、ここまで圧倒的な力の差は生まれないはずだ。



「小僧! 大口を叩いた割には守る一方か! このまま我が魔力でチリとなるがいい!」

「うるっせ! お前みたいな化け物相手に真っ向勝負してられっか!」



長老様とアルフの戦いは、確かに一方的な戦いに見えた。

長老の吐き出す魔力弾を受けて、縮こまるようにして動かないアルフ。

それでも前回の時はたった一撃すら耐える事ができなかったんだから、尋常じゃない強化がされているようだった。

不自然なアルフの手を見てみると、そこにはシルヴィアたちから贈られたネックレスが握られている。


物に込められた想いを具現化する能力。

その力によって頑強な魔力防壁を生み出していたのだ。

それが彼の秘策なんだろうか?

善戦してはいるけれど、このままでは押し切られてしまいそうだ。



「児戯はこれまで、全身全霊の我が力をくらえい!」

「ふざっけんな! 老いぼれの溜息なんかに負けるかよ!」



ダメ!

それだけは、絶対にさせない!

反射的に向けた手から、得意の風魔法を打ち出した。

だが長老に当たる直前に壁のようなものに弾かれてしまった。

私程度の魔力では、傷一つ負わせることすらできない。


でももう迷ってはいられなかった。

大切な人を奪われてしまうくらいなら、何度だって牙を剥いてやる。

後先考えずに第二波、第三波と打ち出していく。

事もなげにいなされる全力の攻撃は、決して無駄にはならない。

せめてエレナたちが駆けつけられるまでの時間稼ぎになれば。



「愚か者め! そこで大人しくしておれ!」

「キャァアア!」



私の風なんか比較にならない、暴力的な突風が襲い掛かってきた。

抵抗する事もできずに壁に叩きつけられてしまう。

わかっていたことだけど、ここまで力の差があるだなんて。

霞む視界で見回すと、エレナとアシュリーが駆け寄ってきている。

まだ、遠い。

お願い、急いで。

アルフが殺されてしまう……。



「でかしたぞ、リタ! ナイスアシストだ!」

「……え?」



そう叫んだアルフは、手元の『何か』をかざしてまた、『何か』を叫んだ。

すると世界は一瞬のうちに光に包まれ、目を開けることすらできない輝きが辺りを覆い尽くした。

離れていても視界を奪い去る、強烈な閃き。

永遠に続くと思われたその光も、徐々に力を失い、やがて消えた。


恐る恐る目を開けてみる。

私は自分の眼が信じらず、眼の錯覚を疑った。

この時の衝撃は、生涯忘れる事はないだろう。


あの原初の狐、大狐族の長老が、影も形もなく消え去っていたのだから。

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