第98話  非道な男

海戦の一方に陸の陣地は大いに沸き立った。

『敵艦隊壊滅、継戦能力喪失』の言葉にみんなが歓声をあげていた。

これで大きな不安要素がひとつ片付いたことになる。

オレは月明に感謝しつつ、そっと胸を撫で下ろした。


陸の方はというと、両軍向き合うように丘に陣取っていた。

2000にも満たない軍では攻め込めないレジスタリアと、多勢を抱えていても警戒をしているグランニアは、どちらも開戦に踏み切れない。

ボンヤリしている訳にもいかないので、戦の切っ掛けとなっているアルノーについて、生存を知らせる使者を再度送った。

クライスは『やるだけ無駄』と考えているようだが、念のためだ。


しかし皇帝といっても人の親だろうに、子供の無事について何故気にしないのか。

交渉持ちかけてくるどころか、これまでの使者への返事すら出さない対応に、疑問の念が尽きない。

そこまで考えてハッと思い出す。

あの男は享楽的に一般人を捕まえて、冗談半分で殺す非道な男だったことを。



あの時の恨みを思い出さない訳じゃない。

今でもたまに夢に見るくらいにはトラウマになっている。

それでも冷静さを欠くわけにはいかず、今は忘れるしかなかった。

遠くに陣取るグランニア勢を、何も言わずにただ睨み続けた。



「領主様、報告を致します!」

「なんだ、送った使者についてか?」

「はい、返答は『何もない』とだけ」

「……なんてヤツだ」

「あとは、こちらを」



目線で促された先には一人の人間が横たわっていた。

服が真っ赤に染まっていることが、離れていてもわかる。

あれは使者として送ったレジスタリアの文官だが、まさか斬られたのか?

いくら敵同士とはいえ、そこまでするとは考えもしなかった。

オレは驚きを隠さないまま、隣にいたクライスに声をかけた。



「交渉に応じないどころか、使者に手をだされるとは。ここまで野蛮なヤツらだったのか?」

「口封じのつもりでしょうな。向こうとしては困るのでしょう。アルノー殿が生きていることを喧伝されるのは」

「どういうことだ? 普通は皇太子が生きてる事は吉報だろうが」

「理由のひとつは、この戦の大義名分が崩れること。もうひとつは、アルノー殿の存在がかの国では疎まれていること、ですね」

「疎まれているって、皇太子なのにか?」



ジワリと嫌な汗が流れる。

これから聞かされる話は、残酷な現実そのものなんだろう。

耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、それには耐えた。



「領主様は不思議に思われませんか? 将軍として名を馳せる皇太子に」

「それはアイツが有能で勇ましいだけの事だろ?」

「いいえ、本来王族は安全な場所にいるものです。世継ぎであれば尚更、危険から離されるべきなのです」

「それが今回の事態にどう繋がるんだよ」

「彼は皇太子に任命されました。ですが、別の者に皇帝を継がせたくなったのでしょう。アルノー殿には『国のために死んだ英霊』になってもらわねば困るのです」



握りしめた拳がギリリと鳴った。

向こうの腹のうちが、うっすらと理解できたからだ。

皇帝は、あの男には人の心がないのか。

命を一体なんだと思っているのか。



「王族であれば、ほどほどに軍歴を積ませてから、将軍位を解任させるのが習わしです。それをせずに『勇名を轟かすことが出来るほど』の激しい戦地へと送り続けた」

「つまり、どっかの戦場で死んで欲しかったからか?」

「死ぬか、大失態を犯すのを待っていたのでしょう。廃嫡は余程の理由がない限りできませんからね。以上の事から、皇太子の身柄を交渉に利用はできない、と言えます」

「今まで攻めてこなかったのは、こちらにアルノーが居たからじゃないのか?」

「恐らくは違います。単純に軍備に手間取っただけでしょう」



クライスの推測は恐らく正しいのだろう。

ここまでの不可解な態度も、使者を斬り殺す暴挙に出たのも、全て整合性が取れるからだ。

『何もない』との返答。

なんて体温のない言葉だろう、腹の底に氷を落とされたような気分になる。


人の想いを、獣人の命を、自分の子でさえも踏みつけにし続けた男。

皇帝とはそこまで偉いのか、神にでもなったつもりか。

いっそ直接乗り込んで首を飛ばしてやりたいが、さすがのオレでもあの防御線は突破できそうにない。

魔法兵による厳重な魔防壁と、周囲を何重にも固められた鉄壁の陣が阻んでいる。

魔王と呼ばれながら、なんて無力なんだ。

一人の人間すら殺すことができないとは。



自嘲と憤怒がないまぜになったような心境で敵陣を睨んでいると、胸が急に熱くなった。

感情の方ではなく、物理的に。

胸元を見ると、そこには懐刀として持っていたミレイアのナイフがあった。


それは熱を発し続け、まるで際限が無いように、より熱くなっていく。

慌てて胸から取り出すと、ナイフがそれを望んでいたかのように、静かになった。

不思議に思ってナイフを眺めていると、奇妙な声が頭に響いた。




ーー皆殺しにしてしまえ。




一体誰の声だろう。

クライスたちには聞こえていないのか、反応が見られない。

男でも女でもない、若いのか年老いているのかすらわからない、不可思議な声。



ーーニンゲンは有益か? ニンゲンは世界に必要か?



外部ではなく、オレの頭に直接響いているのか。

あらゆる思考を、防御をすっ飛ばして、直接心に投げかけられているようだ。



ーー娘の害悪でしかない者共だ。獣人を虐げ続けた種族だ。今後も軋轢は無くなることはない。



そう、そう通りだ。

シルヴィアのために、より良い世界を作らなくてはならないんだ。



だから、オレは……。





邪魔な人間どもを殺し尽くすべきなのだ。





ーー手始めにニンゲンの頭領の首を刎ねよう。安心するといい、私がいれば敵は居ない。



そうだ、きっとそうだ。

お前さえいれば、オレは負けることはないんだ。

遮れるものなんか何も無い。



「領主様、どちらへ?」



「旦那、どこへ行かれるんです?」



「アルフ、どうしたの? 一人で出歩くのは危ないわよ」



背中にかけられた声を全て無視して、向こうの丘へと向かった。

目指すのはあの頂きに居座る、ふんぞり返っている男の首。

その次は辺りに散らばっている有象無象どもだ。

一人残らず灰にしてやる。


オレの心に応えるように、右手のナイフは盛大な黒炎をその身に宿した。

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