第84話 城に帰るまでが戦争
敗北だ。
いや、歴史的な大敗北か。
残った手勢はせいぜい600騎。
それらを引き連れグランニアへの街道を全速力で敗走している。
魔獣兵は一体もおらず、騎兵だけが残っていた。
その騎兵も追撃に出たグレートウルフの群れに襲われ、数を少しずつ減らしている。
一人また一人と森に消えてしまった。
街道を行軍すると目立つせいか、付近の住民らしき者達が遠巻きにこちらを見ていた。
追っ手から逃げ続ける私は、酷くみすぼらしい人物に映ることだろう。
人目を忍ぶ意味でも、安全の意味でも裏の抜け道を使いたかったが、本来なら強みだった騎兵主体の編成が仇となった。
騎馬隊が通るには狭く、遮蔽物も多すぎるのだ。
そんな進路ではオオカミどもの追撃を振りきれる訳がなかった。
それにしても不甲斐ない。
まともな戦果は何一つなく、莫大な損失を生み出しただけだった。
レジスタリアの街も亜人どもの巣も攻略できず、魔王どころかその手下すら撃てなかった。
こちらは魔獣兵の悉くを奪われたのにだ。
ふと、今は亡きプリニシア王が思い出された。
彼も大軍を率いて大惨敗をして引き上げた人物だった。
今の私の憤怒と彼の絶望、果たしてどちらが色濃いのだろうか。
もはやそれを知る術はないのだが。
「草原地帯がまもなく終わり、森のエリアに入ります」
「クソッ、斥候をだして森の安全を調べさせろ!」
「できません、今は全速力で移動中です。これ以上の速さで馬を走らせることは不可能です」
「だが足並みを落とせば、すぐにでも追撃を食らうことになるぞ!」
「ええ、承知しております。ですのでこのまま進むしかありません」
「まともに調べもせず森の中へ……か。後生の者が私を語るとき、比類無き無能と呼ぶであろうな」
「もし襲われれば、です。敵がいない事を祈りましょう」
見通しの悪い場所を進むときは、先に数人を送り込んで安全の確認を調べることは初歩的な戦略だ。
主に待ち伏せ対策や、敵の動向を知るためだ。
今はそんな基本的な軍事行動もとる余力がない。
なんと情けない。
それでも大陸の覇者たるグランニア帝国の、次期皇帝の軍なのか。
舗装されてはいるが左右の、特に左側の森が深い。
豊穣の森を掠めるように作られた道だから当然か。
今は静かな森がかえって不気味だった。
不吉なものを感じてか、隊の者たちは誰一人口を開こうとしない。
薄暗い森の道をひたすら駈けていくが、徐々に精神の平衡を崩していった。
道の先が死後の世界に繋がっているような気さえする。
そんな意味のない不安が過る度に自分を戒めた。
何をバカなことを、このまま進めば二又の道になり、グランニアとプリニシアの分岐点に差し掛かる。
そこまで辿り着ければ助かるのだ。
「敵襲! 左方に伏兵!」
「おのれ、やはり備えていたか!」
いくつもの風切り音が私の体を掠めていく。
その音に触れた兵は吹き飛び、馬は棹立ちになり暴れ始めた。
左前方の木々の間に矢をつがえている弓兵隊が見えた。
伏兵から弓矢の射撃を受けること2射。
それだけで隊列は大きく乱れ、落馬者や列を乱したものが多数現れた。
もはやこの部隊で何人がついて来れているか、数えるのが馬鹿馬鹿しい程だ。
「駆け抜けろ! ここさえ乗り切れば国まですぐだ!」
自分に言い聞かせるように檄を飛ばした。
そう、もうすぐなのだ。
あと小一時間も走れば国境のはずだ。
もうすぐ森のエリアを抜けられる。
が、それは叶わなかった。
数百もの槍兵が目の前を塞いでいた。
自分の周りには数十騎。
どう考えても突破などできそうにない。
敵陣の中央には、とても武官みは見えない優男がいた。
その内政官らしき男が前に歩み出た。
「皇位継承権第一位の、アルノー将軍とお見受けいたしました。」
「……間違いない。貴様は何者だ?」
「私の名はクライス。レジスタリアでは、雑用をしております。」
「惚けるな。ただの使いぱしりにしては絶妙な配置だったぞ。」
「お褒めに預かり恐悦至極。まあ雑用係は事実ですがね。お褒めのついでに捕虜になっていただけますか?」
「ここで断っても、また別の手があるのだろう? もうよい、大人しく縄につこう」
「英断です、殿下。無駄に命を奪わずに済みます。」
偉大なる帝国の歴史に泥を塗ってしまった。
いや、そんな生易しいものではないな。
刃物で刻み込んだ、くらいのものだろう。
それを言ったところでもう何の意味もない。
私は部下に下馬を命じて、あとはこの男にされるがままになるのだった。
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