24-2



 久しぶりに彼よりも早く起きた私は医療室の流し台にいた。

 いつになく身体の調子がよかったのでメイルに目覚めの一杯を楽しんでもらおうといつもの黒い液体を淹れていたのだ。

 ついでに自分が飲む緑色のやつも手際よく作って、彼の容器の隣に置いた。



 ……緑と黒。私のアイテル色と彼のダクトスーツの色。

 ……ちょっと不思議な感じ。まあ、偶然なんだけどね。



 監視室を覗き込むと、不自然に頭を揺らしたロルが椅子に座っていた。

 ねぎらいの意味を込めて彼の分の飲み物も作ってあげる。するとロルは半目の笑顔でそれをおいしく飲んでくれた。


 取っ手のついた容器を持ちかえつつ医療室の扉を抜けて、零さないように液体を見ながら歩く。



 ……よし、今日はアイテルなしで運んでみようかな。



 いつもは近いと感じる自宅までの距離も、液体に集中することで気が遠くなるほどの長さに感じた。前にスクネちゃんと遊んだ『おなかポコポコ』と同様、繊細な動作が要求されるとかつて人類最強と呼ばれたこの身体は地下都市を支える頑丈な柱のように固まってしまうのだった。


 ……。

 ふと我に返った私は、自分のしていることに思わず吹き出してしまった。

 アイテルを使えば一滴も零さずに運べるというのに、あえてそれをしない今の精神状態が昨日までの不安感を忘れさせるほどに心地よかった。

 このことを彼に伝えたら、今日も一日中側にいてくれるのではないかと思ってしまうくらいに、心は高揚する。


「……レシュア様」


 懐かしい声がした。容器の中の液体に集中していた私は、おそらく幻聴を聞いたのだろうと思いそのまま歩き続ける。


「あの、レシュア様」


 また同じ声がした。今度ははっきりと聞こえた。

 私は声のした方向に、恐る恐る視線を向ける。

 すると、避難通路の入り口にやはり懐かしい人物が立っていた。


「ルウス、おじさま?」


 ゾルトランス城軍兵統括責任者、ルウス軍師だった。

 全身を無骨な防具で固めた彼は真剣な眼差しでこちらを見ている。

 なにかがあったことを感じさせる、そんな佇まいだった。


「お久しぶりです」

「こんな早い時間に来られるなんて、どうかされましたか?」

「はい。つい先ほどオントが城に現れました。つきましてはレシュア様とメイル殿をお呼びいたしたく参上した次第であります」


 突然の展開に容器を二つとも落としそうになった。

 咄嗟の判断で放出したアイテルが零れ落ちる液体をもとの状態に戻す。

 ルウス軍師は落ち着いた様子を崩さない程度に頬を持ち上げた。


「あ、あの、彼、呼んできますんで、ちょっと待っててください」

「はい。ゆっくりで構いませんので」


 急いで自宅に戻った私はなかなか起きないメイルをお決まりの方法でなんとか起こした。事情を簡潔に説明すると、彼は聞き終わるなりすぐに準備をすると言い出して黒いダクトスーツに着替えた。


「お前も行かなくちゃならないのか?」

「たぶん。そう言っていたし」

「分かった。でもな、戦闘服は着ないで行け。ええと、あれだ。前に作った長袖のやつがあっただろ。あれに着替えてくれ」


 私を戦わせたくないという彼の思いが込められていた。嬉しい気持ちの反面、頼りにされていない感情を垣間見た気がしてほんの少しだけ肩を落とす。正直に告げようか迷ったが、急を要する事態の邪魔はしたくなかったので彼の要望どおり少し厚手の上下に着替えた。


「タデマルに連絡しておこう。なにかあった時の心の準備くらいはさせておかないとな」


 メイルの腰には彼の専用武器がぶら下がっていた。

 不安がないと言えば嘘になる。しかし過去の戦闘で実力差を見ているので最悪の事態にはならないはず。

 私はとにかく自分にそう言い聞かせて余計なことを頭に入れないようにした。



 ……大丈夫。

 ……メイルだったら簡単に倒せる相手なんだから。



 着替え終わったので家をすぐに出ようと言ってくるかと思いきや、彼はさっき医療室で淹れてきた液体を少し飲もうと言ってきた。私は強引に椅子に座らされて彼も食卓の向かいに座る。

 せかせかと緑色を口に含ませていると、それを見ていた彼の八重歯が控えめに光った。


「心配いらないよ。俺がついているんだから」

「うん。分かってる」

「危なくなったら全力で防御。なんならずっとそうしていったっていいんだ」

「うん。そうするよ」

「あんなやつ、余裕で倒してやるさ」

「うん。そうだね」

「それじゃあ、行くとするか」


 私達が家を出るとルウス軍師は微動だにせずに待っていた。メイルは過去に面識があるとはいえほとんど記憶にはないとのことだったので、初対面のような挨拶をする。


「とりあえずお二方には城のほうに来ていただきたい。詳細については移動しながらになってしまうが、よろしいでしょうか?」

「こっちとしてもそのほうがありがたい。なんとなくだがやつが来た見当はついているから」


 私達は空を飛びながら事の経緯を聞いた。内容はこうだった。


 カウザの母船を失ったオントは墜落時の脱出に成功したものの戦力のほとんどを破壊されてしまったため、これ以上の行動を起こすことができず降参を伝えに城を訪れた。元老院はオントの話を聞いてただちに追い出そうとしたが、オントは食い下がるような姿勢を見せ撤退するために必要な航行資源を求めてくる。ところが元老院はそれを頑なに拒み、逆上したオントが場内で暴れ出した。


「それで、俺達の助けが欲しくなったってわけか」

「いいえ、そういうことではありません。オントは私が拘束しました」

「へえ、すごいね。だったらさ、俺達がわざわざ行く必要ないんじゃないのか?」

「あなた達を呼び出したのは我々ではありません。オントが指名してきたのです」


 小高い山の頂上に建つゾルトランス城に到着すると、そこは私の知っている風景ではなかった。

 周辺に城の全長よりも長いだろう巨大な円筒状の物体がいたるところに突き刺さっていて、まるで廃墟のような状態に様変わりしている。円筒状の物体はどれもが所々ひび割れており、折れて短くなっているものもあった。


「あれは、なにがあったのですか?」

「アイテル砲の残骸です。カウザの母船を攻撃する際に破損したものになります」

「破損? カウザの反撃を受けたのですか?」

「いいえ。放出されたアイテルが強すぎたのです。それに耐え切れなくなったものが吹き飛んで、山に刺さってしまったのです」


 アイテルの力を蓄積させてそれを一気に放出するというゾルトランス唯一の兵器……アイテル砲。子供の頃に話で聞いたことがあったが、まさか本当に存在しているとは思わなかった。

 メイルは興味深そうにそれらの残骸を観察していた。


「その、アイテル砲とかいうやつはもう使えないのか?」

「現状では不可能です。早くても修復に一年、アイテルを溜めるのに約二十年はかかることでしょう」

「ということは、そいつでオントを操っているやつを攻撃することは無理だということだな」

「そういうことになります」


 ルウス軍師は私達を城の地下一階に案内した。そこは主に元老院の居住空間で占められていて、その一角には元老院の議会室というものがあった。部屋の中心に大きな円卓が置かれていることから、単純にそこを円卓の間とも呼んでいる。

 私達が通されたのは、その円卓の間だった。


 中は既に酷い有様だった。一目で荒らされたと分かるほどに滅茶苦茶になっている。部屋の象徴でもある大きな円卓も三つに割れて散乱していた。

 奥のほうを見ると、元老院達が寄り添うように立っていた。一人一人の表情からオントに怯えている感情が読み取れる。きっとものすごく暴れたのだろう。


 私はその中に元老院議長のグランエン・レブローゼの姿を見つけた。城を抜け出した夜のことを思い出して強い視線をぶつけてみる。すると彼は具合の悪そうな顔をしてそれとなく目を下に逸らした。


 メイルが一人で勝手に奥のほうへ歩いていったので今度はそちらのほうに視線を移すと、部屋のあちこちに立ててある大きな柱の一つにくくりつけられたオントを発見した。

 私はメイルに言われたとおり全力のアイテルを放出し、身の守りを固める。


「よう」

「メイル。遅かったな」

「名前を覚えられてしまったか。まあいいだろう。で、なぜ俺達を呼び出した」

「ここにいる者達では埒が明かないからだ。停戦の話を持ちかけても一向に応じようとしない」

「地球を離れるために必要なものがあるんだってな」

「いかにも。立ち往生しているのだ」


 元老院達のいるほうに視線を変えたメイルは大声で彼らに話しかけた。議員全員がオントを激しく警戒しているためか、メイルとも目を合わせようとはしない。


「こいつの要求に応じない理由はなんだ? 誰でもいいから答えてくれ」

「反撃を、危惧しているからだ」


 答えたのはグランエンだった。

 この光景だけを見れば私達のほうが敗北したかのような状況に見える。劣勢に立たされているのはオントのほうではなく、その正反対に位置する元老院のほうだと感じてしまったからだ。

 再びメイルを見ると、今度はオントのほうに顔を向けていた。


「おい、そうなのか?」

「それはない」

「本当だな?」

「二言はない」


「そうなんだとよ。こいつもどっかに消えてくれるっていうし、さっさと渡してしまえばいいんじゃないか?」


 グランエン議長はなにも答えなかった。

 それに痺れを切らしたメイルはルウス軍師に助けを求める。

 助言を求められた彼もどうしたらいいか分からないらしく、困惑した表情を浮かべていた。

 私はそんなルウス軍師の腕を軽く叩いた。ここに入ってからずっと気になっていたことがあったのだ。


「あの、マレイザお姉様はどこにいるのですか?」

「女王陛下は一ヶ月前の攻撃で御身を著しく消耗させてしまい、現在は箱の中で療養されております」


 箱の中。ジュカでも見た、あれのことである。


「攻撃をしたのはアイテル砲でしたよね? それなのにどうしてお姉様が」

「アイテル砲には操縦者が一人必要でした。陛下自らがそれを志願したのです」

「具合のほうは、まだ優れないのでしょうか?」

「はい。もうしばらく時間がかかると思われます」


 さらにルウス軍師は議会最終決定の権限を持っている女王が不在なので、事実上の最高指揮官であるグランエンが認めないうちは正式な停戦協議に進まないとも言った。

 メイルはまたオントのほうに身体を向ける。


「確か航行資源? だかが必要なんだってな。具体的にそれはなんのことを指しているんだ? この星にあるものなんだよな?」

「金だ」

「キン? ははあ、なるほど。ナーバルエービーを伝達させるために使うんだな」

「ご名答。やはりコルネリヤ式を従えていたか」

「言っとくけど、あいつはもうおたくらのところには帰らないからな」

「好きにするがよい」


 メイルが落ち着いた足取りで戻ってきた。あえてオントに背中を向けていることから、様子を窺っているのだと思われる。

 そして彼はルウス軍師の前で立ち止まり、小声で話しはじめた。


「金だってよ。あんたは知っていたのか?」

「はい。元老院はその件に関しても強く拒絶しています」

「今から準備するとしたら、どのくらいの時間がかかる?」

「量にもよりますが、一日あればある程度の回収は可能と思われます」

「分かった」


 彼はまたオントのところに行き、いくつか言葉を交わした。

 要求している金の量が千キログラムだと分かると、メイルはルウス軍師に急いで準備するように言った。

 ルウス軍師が円卓の間を去った後、元老院達があからさまな動揺を見せた。


「あんたらにとってこの星の金は、命よりも大事なものなのか?」


 元老院に向けられたメイルの言葉は無言のうちに虚しく掻き消えていった。


「そもそもこいつが柱なんかに縛られて身動きが取れないわけがないだろ。その気になればあんたらを皆殺しにすることだってできるんだ。こいつなりに譲歩しているのがまだ分からないのか?」

「しかしだな。根拠のない協定を結んだところで地球の安全が確保されるとはにわかに信じられん」

「その点については俺も同意見だ。だけどな、どちらかが最初に信じてやらないと約束っていうのは成立しないだろ。こいつが全部本当のことを喋っているなんて俺だって信じちゃいないさ。でも今はとりあえず話を進めるしか道はない。でないとあんたら死ぬまでそこに立っていなきゃならなくなるぞ」

「もしもこれが嘘をついていたとしたら、おぬしは責任を取れるのか?」

「ああ。取ってやるよ。またここをを攻めてくるようなことがあったら次こそは容赦しない。なにを言ってこようが俺が叩き潰してやる」


 彼の最後の一言でその場はなんとか納まった。

 金の回収手配を済ませたルウス軍師も戻ってきて、メイルと軍師の二人でオントの拘束を一旦解く。そして脱走させないために今度は軍兵訓練場の天井に吊るした。



 当人は脱走しない意思を示していたが、万全を期するためにルウス軍師が夜を徹して見張ることになった。

 私達もリムスロットには帰らずに、その日は地上三階で夜を過ごすことにした。


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