24-1 マーマロッテside ずっと、晴れるといいな / the ultimate moment of reversal



 最近の朝はやたらと気だるい。身体を動かさなくなったことが影響しているのか目を開けてもなかなか布団から出られなくて、起き上がっても水を飲む以外のことをするのがとても億劫だった。


 彼は毎日朝早くに目を覚ましてすぐに家を出ていく。同じ時間に起きられない私を気遣って出て行く彼に不信感を抱くことはないにしても、一人きりの朝になんとも言えない侘しさをいつも感じていた。


 遮るものがなにもないとはいえ、平凡な生活に慣れていない自分にとってはこれも乗り越えるべき壁だった。彼のようになにかに打ち込められれば解決する問題なのかもしれない。だがそんなやる気も朝に襲ってくる倦怠感のおかげで湧きあがることはなく、結果終日まで尾を引いてなにもできずに一日を過ごしてしまうのだった。


 ここに戻ってきてから早くも一ヶ月が過ぎ、季節の変わり目がいよいよ訪れようとしている。外の景色を見渡すと地下都市リムスロット周辺の大地は本格的に紅い色彩へと染められていて、幸せに満たされたこの心を理由もなく物悲しい気分にさせた。

 おそらく幸福だからこそ感じる贅沢なのだろう。胸が切なさで締めつけられる度に、私は彼の温もりを求めては安堵する日々を送った。


 ゾルトランスの攻撃を受けたことにより巨大な空中拠点を失ったカウザはあれ以来地上に姿を現さなくなった。私達地下都市の住民にとって脅威である謎の新兵器『オント』もあれ以来一度も来ていない。


 それでも地下都市リムスロットは依然として警戒を怠らなかった。タデマルとメイル、そしてロルの三人が交代で周辺一帯を二十四時間監視し続け、住民全員に許可のない外出を禁じた。私とメイルが見たカウザ空中基地墜落の出来事が彼らを駆り立てたのだろう。

 だが私には少しやり過ぎているように感じた。住民の安全に関わる問題なのは十分理解している。だからといって、来るかどうかも分からないもののために自分達の生活を犠牲にしてまでする必要が本当にあるのだろうか。

 そんな言葉をメイルに不満として漏らしたこともある。それならば一緒に監視すれば済む話だとあっさり言われてしまったが、私にとってはそんな単純なことではなかった。

 決して戦争に直接関わることが嫌になったわけではない。ここを守るためだったら命を懸けてもいいと今でも思っている。タデマルにオントと戦ってこいと言われれば喜んで行くつもりだ。



 私はただ、彼と戦争の話をしたくなかった。たとえ彼が不機嫌になったとしても、そんな話で関係を深めることになんの喜びも感じなかったのだ。



 彼はそんなこちらの態度を察してくれているようで、戦争に触れる話題を自ら進んですることはなかった。私もまた、そんな彼の邪魔になるようなことだけはしたくなかったので、監視中はできるだけ一人で集中してもらおうと家の中でじっとしていた。



 ここに戻ってきてからの唯一の楽しみは彼との食事の時間だった。昼には必ず食堂に来てくれて決まった時刻に二人で食べる。日の差す間に彼の笑顔が見られる貴重な時間でもあり、これがまた格別のひとときだった。

 私の作った料理をうまいと言いながら無邪気に頬張る彼を見ていると、そのなんとも可愛らしい顔に私は無条件の幸福で包み込まれる。この瞬間以上に彼から必要とされていることを実感できるものはないとさえ思うほどだった。


「ついさっき、レインから通信が来たんだけど聞くか?」

「うん。聞きたいな」

「地下都市アレフの片付けが完了して、昨日から全区域の稼動を開始したそうだ」

「あれからもう一ヶ月だもんね。なんか、自分のことのように嬉しいよ」


 レインは私達がジュカから帰ってきた直後にヴェインの支援をすると言って単身アレフに移り住んだ。スウンエアから避難してきた頃の都市の中は見るも無残な光景だったらしく、とても生活できるような環境ではなかったみたいだったが、レインの協力もあって今は順調に再興へと向かっているらしい。


「しかし喜ぶのはまだ早いだろう。食料の問題がある」

「そっか、これから作っても今食べるものがないと辛いもんね」

「そのことなんだけどな、お前に相談したいことがあるんだ」

「なになに? おすそ分けでもするの? それなら喜んで手伝うよ」

「おう。それもする予定なんだが、実はな、ここの栽培を続けようと思っているんだ」

「え? だって今年の分は終わったんだよね?」

「そうなんだが、あっちに食料をあげたらこっちの分が不足してしまうだろ? それにアレフの供給だって安定するまではあっちもなにかと不自由すると思うんだ。だからそれまでの間はこっちのほうも支援できる量を確保しておきたいんだ」

「じゃあ、また忙しくなるんだね」

「今回のことは俺が発起人だったというだけで、育てるだけなら他の人間がやってもいいんだ。お前さ、最近身体の調子よくないだろ? 俺としてはできるだけ側にいてやりたいから無理に参加しようとは思っていないんだ。どうだ? やっぱり嫌か?」

「うん。ちょっとだけ本音を言わせてもらうと、側にいて欲しいかな」


 彼の表情は決して暗くはなく、むしろ優しい眼差しで気にかけてくれる。

 ただ、瞳の奥にはほんのわずかな迷いも映っていた。


「その言葉が聞けて安心したよ。正直なことを言うとな、少し混乱していたんだ。俺はいつだってマーマロッテのことを一番に考えてる。でもこんな状況だろ? 一体俺はなにからお前を守ろうとしているんだろうってさ。時々分からなくなるんだ。それにお前も言ってたよな、今を見て欲しいって。なんていうかさ、それも大事なことなんじゃないかって最近思うんだ」

「なんか、私っていつもわがままばっかり言ってる」

「俺は別に嫌じゃないけどな。どちらかというとわがままをもっと言ってくれたほうがお前らしくていいと思う」

「へへへ。それ、かなり嬉しいかも」

「あとな、あんまり深く考えるな。俺だって好きで監視しているわけじゃないんだ」

「え? なんのこと?」

「カウザとのことだよ。本当はもう、関わりたくないんだろ?」

「そんなこと、ないよ」

「仮にそうだったとしても、俺達の関係と戦争は切り離しておきたいと思っているはずだ」

「……ごめん、なさい」


 見抜かれていた。苦しめないように表に出さなかった気持ちが却って彼を悩ませていたのだと分かると、自分の浅はかな考えが浮き彫りになって恥ずかしくなった。



 相手を苦しめたくなければ、言いたいことをはっきり言ってしまえばいい。



 ここに来て間もない頃に教えてくれたヴェインの言葉が胸に響いてくる。そしてその助言は、相手の本当の苦しみを知るための勇気が足りないことを私に気づかせた。


「謝るのはこっちのほうだ。お前を黙らせたのはこの都市を守ることに意識を向けすぎた俺にある」

「メイルは間違っていないよ」

「間違ってなくても、お前を苦しめていたら意味がないじゃないか」

「私だって、そうだよ」

「なあ、マーマロッテ」

「なに?」

「今日の監視、断ってくるわ」

「そんなことして大丈夫なの?」

「ロルに土下座でもすればなんとかなるだろ」

「ちょっとだけ、気の毒かな」

「そうだな。でもちょっとだけだから大したことないよ。きっと」

「うん。そうだね。大丈夫だね」

「よし。そうと決まれば早いとこ家に帰ろう。なにかしたいことがあるか?」


 欲を言えばやれることを全部やってみたいが、


「くっついていたい。それだけでいい」

「なんだよそれ。毎晩しているだろ?」

「全然違うよ。昼と夜とは全然違うんだから」

「そうなのか。まあお前がそうしたんだったら、俺も遠慮はしないからな。気合入れとけよ」

「なんか意味深だ。でもなんか、楽しみだ」

「鼻の下伸びまくっているけど、いきなり襲われるとか、ないよな?」

「フフフ。どうかな?」

「お、おう、お手柔らかに頼むよ」


 メイルはゲンマルお爺様がいなくなってから少し雰囲気が変わった気がする。私以外の誰かと接する時の仕草や歩き方まで、以前には見られなかった哀愁を漂わせていた。

 過酷なアイテル訓練が彼を変えたのかもしれない。でも私にはそれだけとは思えなかった。普段から見せる控えめな笑顔の中に滲ませる彼の憂いの眼差しは、どこか私の知らない遠景を見ているようで、なにかしてやれることはないかといつも考えた。


 彼の人生を支えたお爺様のことを思うといつも胸が苦しくなる。全ての感情を共有することはできなくても、近づけるところまでは近づいて支えになってあげたい。私の薄っぺらな言葉なんかで励ますよりも、そのほうが彼のためになるのではと思い、落ち込んでいる時は黙って側にいるようにした。


 そんな彼は、時々話の合間に幼少時のことを話してくれた。

 お爺様と分かち合った様々な思い出を懐かしそうに振り返り、彼の表情から読み取って同じように幸せな気分に浸る。私はそんな彼の心の中で生き続けるお爺様が純粋に羨ましかった。

 その気持ちを正直に伝えてみると、彼は縁起でもないことを言うなと本気で怒った。確かにそのとおりなのかもしれないが、遠い記憶の中の色褪せないお爺様は間違いなく彼の中で生き続けていた。



 人はこの世に生まれ、そしていつかは死んでこの世を去る。

 私にとっては長く生きることよりも、どのくらい愛されていたかのほうが重要だった。



 彼とは未来を誓い合ったけれども、そうしたところでお互いの気持ちがこれからも変わらないとは限らない。絶対にありえないと確信している今の私でも、この先がどうなるかなんてはっきり答えることはできないのだ。

 それならばいっそのこと、彼に思われているうちに終わってしまったほうが救いがある。たとえ彼を悲しませることになっても、お爺様のようになれるならそれは長い時を共に過ごすより幸せな最後を迎えられると思った。


 監視を断って一日中付き合ってくれた彼の温かい胸の中でも、私はそのことをずっと考えていた。

 今を噛み締めれば噛み締めるほど、その思いがどんどん強くなっていって、全身を駆け巡る不安と情念が彼の全てに注がれた。

 彼も、私の思いを全部受け止めようと必死に溶け込んできた。



 この日の私達は、世界を二人だけのものにしようと死に物狂いで愛し合った。

 今までのことやこれからのことを全部忘れて、時間をも止めて……



 願いが通じたのか、彼との一瞬は確実に止まった。

 世界が完全に消えてなくなり、私達は物言わぬ一個の塊になる。

 あの瞬間は間違いなく、彼の心にも強く刻まれていたことだろう。



 そしてその日の夜は、朝の気だるさを忘れてしまうほど深い眠りに落ちた。


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