21-5



 俺達は残りわずかな時間を無駄にしないよう慎重に扱った。言い換えればそれは、思い出作りみたいなものだった。二人で地下都市の各所を回り、彼女がしたいことをできる限りやらせた。

 途中で悲しくなって泣き出すかと予想していたが、意外にも笑顔のままだった。そんな気丈な彼女を見ていると、自分のほうが泣きそうになった。


 出発前夜はお互いなかなか寝付けなかった。一度はそう決めた意思が大きく揺らいでしまうのではないかと疑うほどに心は乱れていた。

 どうせなら彼女の顔をこの目にしっかりと焼きつけておこうと思った。ところが寝台に横たわる美しい表情をじっと見つめてもなかなか頭に入ってこない。強く見ようとすればするほどその顔が知らないものに認識されて、とうとう俺は耐えられなくなり、惨めな声を出した。

 彼女は優しい指先で何度も拭ってくれたが、どんなに歯を食いしばっても流れるものを止めることはできなかった。


 こんな美しいものがすぐ近くにあったなんて今まで気づかなかった自分が本当に愚かだった。もっと早く知っておけばと思うと、後悔の念が怒涛のごとく押し寄せてきて、俺を悲しみのどん底に突き落としていく。

 きっとかけがえのないものを幾度となく泣かせた罰が下ったのだと思う。もはや償う時間さえ消失して嘆くことしかできない非力な自分が本当に情けなかった。


 もう二度と会えないかもしれないと不安が頭をよぎるのは、間違いなく俺自身の怠慢のせいだ。この人にふさわしい男になるための努力をする時間は十分にあった。それなのになにもしてこなかったのは、マーマロッテ達の好意に依存しすぎたからだ。



 ……彼女だってアイテルを使えなかったのにずっと守ってくれたんだ。

 ……だから今度は、俺が彼女の未来を守ってやらないといけない。

 ……戦場に立つのは、男の役目なのだから。



 夜は俺達を眠りにいざなうと容赦なく朝に変えた。出発は早朝とのことで俺も早く起き、彼女の身支度を手伝う。衣服は特に荷物がかさばるので着ているものを除いて二着選ぶことになった。

 そのうちの一着は初めて作ったやつだった。かなり着古した状態だったが彼女は未だに好んでよく着ていた。俺にとっても思い入れのある服だったので、それを選んでくれた時はとても嬉しかった。


 シンクライダーに呼ばれて医療室に行くと、仲間が全員顔を揃えていた。マーマロッテは一人一人に礼を言い女性達とは抱擁を交わしていた。

 レインとなにかを話しているみたいだったが俺には聞こえなかった。マーマロッテは顔を赤くして広げた手を忙しなく横に振っていた。

 医療室の面々と別れを告げたマーマロッテとシンクライダーはその足で外に出る。俺は途中まで見送るために彼らについていった。


「君の以前の自宅というと、確か二百キロはあったと思いますが、大丈夫ですか?」

「空は飛べるようになったから大した距離ではないよ。それに今取りに行かないと意味がないから」


 彼らには地上で暮らしていた頃の家に取りに行きたいものがあると言って同行した。二人は揃って首を傾げたが、俺はどうしてもそこに行きたかったので変な顔をされても全く苦にはならなかった。

 この不自然な見送りは、ジュカへの経路に影響がないことをきっかけに実行を決意したものだった。


「すまないがそこの丘で待っていてくれないか。すぐに戻る」


 目的の場所に着くと目の前には懐かしい風景が広がっていた。多少緑の量が増えていたが、そこは間違いなく俺の家だった。

 破壊された家屋の床の蓋を開けて中に入る。そこはさらに懐かしいもので溢れていた。しばらく見て回りたかったけれど今はそんなことをするために来たのではない。俺は記憶を頼りに『あれ』を探した。

 ……。

 あった。長いこと使用していなかったので埃を被っていたが、本質的な部分は時間の経過を感じさせない輝きを維持していた。


 彼らが待っている丘に駆け足で戻ると、説明もなしに待たされたのが気に入らなかったのか、マーマロッテは少しすねていた。

 シンクライダーはというと、彼女の少し後ろに立ち、やろうとしていることはおおよそ見当がついていると言いたげな笑窪を作っている。


「マーマロッテ」

「なに」

「これ、憶えているか?」

「ん? なんだろう。……あれ? これって」


 それは、小さな青い石がついた首飾りだった。


「お前が欲しかったやつだよ。忘れたか?」

「……ううん。はっきり憶えているよ。私がちょうだいって言ったらあなたはなんでだよ、て怒っちゃってさ、これは俺の宝物だぞって言うからますます欲しくなっちゃったんだよね」

「これ、持っていけよ」

「え? だってそれ、メイルの大事なお守りでしょ?」

「俺にはもう必要のないものだ」


 彼女の胸元に差し出した。

 しばらくして、小さな両手が遠慮がちにそれを受け取る。


「……ありがとう。大切にするね」

「なくした時は正直に言うんだぞ。また作ってやるから」

「うん。でもこれって、メイルのおうち、ずっと守ってくれていたんだよね。なんだかちょっと悪い気がするかも」

「俺にとって必要なところに置いておきたいだけだ。深く考えるな」

「……メイル」


 潤んだ瞳がこちらを見ていた。なにをして欲しいのかが手に取るように分かる、そんな表情をしている。

 俺はシンクライダーを見た。彼はこちらの心理を見抜いているかのような呆れ顔をして俺達に話しかけてきた。


「お二人さん。これでお別れなんですよ。僕がいるからどうしたというんですか。遠慮なんかしてはいけません。思うがままにすればいいのです」


 俺は返事をしないかわりに苦笑いをしてみせた。彼は目を閉じてこくりと頷く。

 マーマロッテを見ると赤面していた。たぶん俺も同じように見られているのだろう。

 どちらが先に行くのかは、もう決まっていた。


「なんだか、変な感じだな」

「だね。はじめてした時みたいに、どきどきしてる」

「じゃ、行くぞ」

「うん」


 彼女の身体が壊れてしまわないように、そっと抱き寄せた。

 相手の両腕がゆっくりと俺の背中に回る。

 互いが完全に預けられた瞬間、彼女との記憶が脳内に高速で映し出された。



 ……これで最後にはしない。物語はなにがなんでも続けてみせる。

 ……絶対に。



「……ここの丘って、私達が再会したところだよね」

「ああ。そうだったな」

「懐かしいね」

「本当だな」

「今度はここで、お別れだね」

「またすぐに会えるさ」

「いつ来てくれるの?」

「できるだけ、早く」

「うん。待ってる」

「それじゃあ、約束を交わそうか」

「そうだね。交わしちゃおう。約束」


 俺は彼女の頬を流れるものを指で拭ってから、ゆっくりと唇を重ねた。

 その瞬間、彼女の本心を感じたような気がした。

 受け取れなかった思いが、俺の心に言葉となって伝わってくる。



 ……ずっと変わらないから。きっと変えられるから。

 ……だから、早く迎えに来て。



 空を舞う彼らの姿が見えなくなると、俺は一人になった。

 燦々と注がれる日差しを浴びたこの身体は、強い決意で熱せられると同時に、温もりの中心にある悲しみの冷気で打ちひしがれていた。



 本当に、いなくなってしまう。

 このどうしようもない男に、全てを捧げてくれた人。

 マーマロッテ……



 この世界を結びつけているものが一気に剥がれ落ちた。

 丘の上に立ち、風に揺れてまた、時は静かにはじまりを告げる。

 あの頃とは違う、希望という名の情愛を残して。


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