16-3
メイルがすごい身体を持っている。初耳だった。私は意図的に避けようとするレインに身体がつきそうなくらいまで寄って問い詰めてみた。彼女は回答を避けたがっているみたいだった。
「ごめんなさい。今は話さないほうがいいと思うの。お願い。分かって」
納得できなかった。ならば直接会って話がしたいと訴えてみる。
「どうしてもそうしたいというのならば、いいわ。行ってきなさい。キャジュだったら、きっと出てきてくれると思うでしょうから」
レインの言葉を最後まで聞かずに医療室を出た。後ろから発せられた気遣いの言葉は、もう耳には入ってこない。
右腕の傷は自分のアイテルで治せることが分かったので一人になっても問題はなかった。むしろそんなことよりももっと大きな問題が心にわだかまっている。そんな気がした。
二人が同じところにいる。そういう単純な嫉妬ではない。近くにあったものが雲の上のさらに上まで遠ざかってしまったような、そんな喪失感と焦燥感が今の私をつき動かしていた。
自分がここにいる意味があの倉庫の中にあるのだとしたら、この目でしっかりと確かめておきたい。それが私に絶望の一つを与えたとしても、もう後ろを振り向くことはないのだから。
倉庫の扉の前で立ち止まると、心臓が唸るように跳ねた。
彼がこの中にいる。考えただけで視界が揺らいだ。
震えた手が意を決する間もなく呼び鈴を押す。
ほどなくして頑丈そうな扉が横に開いた。
「レシュア、目を覚ましたのか」
キャジュだった。いつものおっとりとしたあどけない表情がかなりやつれているように見える。私はそんな彼女に精一杯の作り笑顔をしてみせた。愛くるしいお返しを期待していたが、虚ろな目をした真顔の彼女しかそこにはいなかった。
「レインから聞いてきたのか?」
首を横に振った。そして今は声が出せないことを身振りで伝えて、中にいるだろうもう一人のことを聞いた。
「すまない。メイルは今寝ているんだ。また今度にしてくれないか」
首をまた横に振った。寝顔を見るだけでもいいから中に入れて欲しかった。
私は出せない声をなんとか絞り出せないかと試してみた。すると、かすれた吐息の中にわずかな音が漏れた。
……。
どうやら、キャジュには届いていないみたいだった。
「レシュア、お前もまだ休んでいたほうがいい。声が出せるようになったらまた来てくれ。その時までは、すまない、我慢していてくれ」
もどかしさでどうにかなりそうだった。扉を押さえつけているキャジュの手を強引に振り払って中に入ってしまいたかった。そこにあるものを、ここがあの時と同じ世界である証拠を見ておきたかった。
でもそれは、彼女の物憂げな表情を否定することにもなる。たとえ会いたい気持ちが抑えられなくなっていても、その一線だけは越えてはならない。
キャジュという存在は私が人間であり続けるための大事な心の一つだった。それを壊してしまっては彼女と出会ってから積み上げてきた精神がもとの形に戻ってしまう。今の自分の存在理由を捨ててまで起こす価値はない。仮に強い意思が働いたとしても、身体はきっと動かないだろう。
結局、キャジュには扉を閉めてもらった。
彼女の言うとおりなのかもしれない。まともに喋れない今はなにをするにしても不自由だ。少しでも早く出直せるように大人しくしていたほうが彼らのためにもなるのではないかと思った。
気がつくと倉庫に来る前まで乱れていた思考がなぜか鎮まっていた。おかしいくらいに冷静な自分がそこにいた。
おかしくなったのは身体の調子だけではない。意識というか感覚というか、勘のようなものが強く働いていた。それは私自身の意思ではない、違う誰かの心が教えてくれるような不思議な感覚だった。
ゆっくりでいい。そう言ってくれているような気がしたのだった。
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