16-2



 レインと洗浄場に行くのは久しぶりだった。風呂の入り方を覚えてからはアイテルを使えない私でも一人で行けるようになっていたので、それ以来ということになる。

 服を脱ぐ時はいつも距離をとるようにしていた。彼女の『足』を外した後のアイテルによる浮遊を邪魔しないためだった。


 着ているものを全て脱いだ時のレインには両足がない。厳密に言うと足首から先が切り落とされたみたいになくなっていた。どうしてそうなってしまったのかは分からない。本人に聞いても教えてはくれなかった。


 私が一番見たいと思っていた仮面の中身は、恥ずかしいという理由からいつも確認することはできなかった。


「今日は一緒にいられそうね。身体、洗ってあげる」


 彼女はそう言って私に近づいてきた。

 さっきの右腕の止血から疑問だった。なぜ私にアイテルが効くのか。不思議に感じていたので質問してみると、レインは湯船の中で説明してくれた。

 原因ははっきりしていないが、私の寝ている間にそれができるようになったのだという。心臓の治療をしていたシンクライダーが最初に気づいたのだそうだ。

 要するに、アイテルが効くということはアンチアイテルが消えたということになる。もとに戻るかどうかは分からないらしい。


「レシュア、生まれて初めてのアイテル、使ってみたら?」


 いきなり使えるかどうか不安だった。レインはなんてことないと言いたげに髪を洗いはじめる。果たしてこの私にまだ力が残っているのだろうか。


 両手に集めたシャットアイテルを恐る恐る湯船のお湯にかざしてみた。お湯を少しだけ浮かせる様子を頭に思い描く……。

 ほどなくして湯船の底に溜まったお湯が、小刻みに揺れだした。

 そして次の瞬間、物凄い音と水圧が全身を包み込むように、中の液体が全てはじけ飛んだ。


「あらあら、やってくれるじゃないの。ほんとにこれがはじめて? すごいじゃない!」


 洗浄場を出て医療室に戻っても不思議な感覚が続いていた。自分ではないみたいだった。レインがいなければとっくにおかしくなっていただろう。

 たった二日が過ぎただけでこんなに人は変われるのか。心臓を治したと聞いたが、シンクライダーは私になにをしたのだろうか。レインに聞いてもはぐらかされるだけだった。

 私に輸血したものについてもそうだ。世界に二人といない特殊な血を持つ私に誰の血が適合したのだろうか。考えれば考えるほど混乱していくばかりだった。



 シンクライダーとロルは私の回復をとても喜んでくれた。ロルは目に涙を溜めて自身が犯した静観を未だに悔やんでいるようだった。大丈夫だという気持ちを笑顔で伝えると、ロルはとうとう泣き出してしまった。シンクライダーも悲しみを含んだ笑窪を作った。


 そこにいるみんなが生きている私を見ていた。これほど喜ばれた経験は今までなかったかもしれない。誰かに必要とされる以前に、ただそこにいてくれることを望む人達に囲まれる生活。この光景は、かつて幼い時に夢見たものと一緒だった。


 私の中でうごめいていた黒いなにかが、晴れやかな気持ちとともに吹き飛んでいくのが分かった。今までの苦痛が嘘だったみたいに目に映るもの全てが輝いて見える。ただ生きているだけなのに、幸せを感じられたのはいつぶりだっただろうか。


 なにかが欠落しているような思いは残るが、ここにあるものはかつて求めていた世界そのものだった。


 医療室に集まった面々とありふれた話をしていると、ふと気になることが頭に浮かんだ。ここにいない人達のことだった。

 レインを近くに呼んでそのことを質問してみる。


「ヴェインは今スウンエアに行っているわ。応援を頼まれたのよ」


 それだけだった。もっと詳しく聞きたかったが追々話すからとそれ以上のことは教えてくれなかった。

 まだいない人物がいたはずなのでさらに聞いてみた。


「キャジュは、メイルのところにいると思うわ」


 意味ありげな回答だった。

 私には言いたくない、もしくは言えないことがある。そんな意味合いを含んでいるような気がした。分かったふりをして笑顔で頷くと、気まずい相槌が少し遅れて返ってきた。


「……しかしメシアスさんも水臭いですよね。あんなにすごい身体を持っておきながらずっと黙っていたんですから。もっと早くに言ってくれれば俺もちょっかいは出さなかったんですけどね」


 突然のロルの発言に続く者はいなかった。それと引き換えに冷たい空気にも似た異様な雰囲気が医療室を漂う。これは過去の経験からして、ロルが余計なことを口走った時に起こる現象と等しかった。


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