14-3



 唇の感触を残したままだとなんだか申し訳ない気がしたので、気持ちを一旦落ち着かせるべく横になった。


 数分後、呼吸の乱れがだいぶ安定してきた頃合いを見計らい、やるべき作業にとりかかることにする。

 まず、製造区域でもらってきた大きな型紙を食卓に広げて小さく切り取った。あまり時間が残されていないので適当に切ってもよかったが、自分のためのものではないのでやはり丁寧に仕上げようと思い、直線の綺麗な四角に切り出した。


 レシュアのことを思う。過去のこと、少し前のこと、そして今のことを考えながらゆっくりと、慎重に筆記具を走らせた。



 ……我ながら、情けないものだな。



 納得がいくまで何度か書き直し、とうとう出来上がったところで来客を知らせる鐘が鳴った。


「ちょっといいかしら?」


 レインだった。時刻は施術を開始する予定の一時間前を指している。

 ここへは洗浄場の帰りに寄ったみたいで髪の毛がまだ乾ききっていないようだった。女物の寝間着姿に義足と仮面は不自然に映ったが、見慣れてしまったせいかどことなく可愛らしいと思えてしまった。


「シンクから聞いているよな?」

「ええ、もちろん。だから来たのよ。あなたと話がしたくてね」

「予定の時間がそろそろなんだが」

「八時でしょ。そのことなんだけれど、今回も参加することになったから、よろしくね」

「アイテル止血係ってやつか」

「私があなたを連れて行くことになっているから、話が長引いた場合は開始を先送りしてもらうようにお願いしているわ」

「あんたとそんなに長い話をしなくちゃならないのか。施術前から気が滅入りそうだ」

「まあまあ、そんなこと言わずにさ、楽に語り合いましょうよ」

「はあ」


 入り口側の壁に凭れるように座り込んだレインは、義足の重みから解放されたように足を広げて俺を寝台の上に座るよう促した。


 首にかかった体拭き用の布を頭にかけてくしゃくしゃと掻きまわしている。

 俺はそんな彼女を黙って見守る。

 すると彼女の話は突然はじまった。


「移植の件だけれど、どうしてそうしようと思ったの?」

「そんなの、レシュアを助けるために決まってるだろ。他に理由があるのかよ」

「だってあなた、死んでしまうかもしれないのよ。それでもいいの?」

「ああ」

「レシュアはきっと悲しむわ。私だってそうよ」

「今さらなにを言っているんだ。俺をここに置いたのはあんただろうが」

「分かっているわ。でも、あなたをこの都市に招いたのはそこまでのことをさせるためじゃない。孤独に生きるあの子の心の支えになって欲しかっただけなの」

「だからなるって言ってんだろ。あいつの壊れかけている『心』を本当に支える時が来たんだ。それだけのことだ。なにも戦っているのはあんた達だけじゃない。俺にだって命を懸けて戦うものがある」

「そんなことしなくても、十分助かっているわ」

「違う。そういうことじゃない。この際だから正直なことを言わせてもらう。俺はな、ずっとあんた達に後ろめたさを感じていたんだ。自分だけが戦争から離れて生きていると思われているんじゃないかって。だから、実はほっとしているんだ。やっと同じ位置に立てる、胸を張って生きていけるって」

「言ってくれるじゃないの。まあ、あなたのことをそんな風に見ているのはロルだけだと思うけれど」

「そいつ一人で十分堪えていたさ」


 仮面の奥からけたけたと笑い声が出てきた。たぶんこの人の頭の中にも天才ロルの不敵な笑みが浮かんだのだろう。相当可笑しかったのか膝を叩いて喜んでいる。

 喜劇の天才でもあるロルを十分に堪能できたのか、気持ちをもとの場所に戻すように沈黙を挟み、レインは続けた。


「あなたにも辛い思いをさせてしまったわね。配慮が足りなかったわ。今になって言うのは変かもしれないけれど、これからは気をつけることにする。ごめんなさい」

「確かに変だな。しかし俺もしっかり足跡を残すのだし、結果が出たら誰も文句は言わないだろう。とにかくな、今は前だけを向いていよう。俺のことはレシュアを救ってから考えればいい。綺麗事に聞こえるかもしれないが、一番はあいつの人生を終わらせないことなのだから」

「……ありがとう、メイル」

「気にするな。で、話はそれだけか?」

「あ、そうだったわね。忘れるところだったわ。実はねメイル、今日はあなたに聞いて欲しいことがあるの」

「どうした、恋の悩みか?」

「全く違うとは言い切れないわね。でも、そうじゃないわ」

「なんだよ、もったいぶるな、言えよ」

「今日あなたに聞いて欲しいのはね、先代女王のことよ」


 薄暗い部屋の明かりに照らされたレインの仮面に、一瞬だけ美しい女の顔が見えたような気がした。誰の顔かも分からないその相貌をレインの本当の顔のように思ってしまい、そこから滲み出てくる表情に哀愁みたいなものを感じてしまう。

 彼女から思い込みの素顔が消えると、レインは部屋の温度が高いことを理由に仮面を外したいと言い出した。俺は当然、断った。


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