第五話 訓練と絡み酒 

目が覚めると、奴隷時代には想像もできなかったような、ふわふわの布団の中で目覚めた。きっといい羽毛を使っているのだろう。だけど、夏に使うには少し厚過ぎるかな、と思いつつゆっくりと体を起こした。


 眠ってしまってどのぐらいの時間が経ったのだろう。部屋のカーテンは固く閉ざされ、外が夜か朝かもわからない。それと、部屋が妙に酒臭い。


 ―昨日飲み過ぎたか?


 と思ったが、どうやら自分から漂っている匂いではない、ということはすぐに分かった。


 ベットの上、俺の隣にアリサが下着姿で寝ていた。 部屋の暗さにも目が慣れてきて、ここが俺にあてがわれていた兵舎の一室であったが、部屋の床には見覚えのない酒瓶がいくつか転がっているのが見えた。


 「アリサさん、なんでここで寝てんですか。起きてください」


 そう言いながら、アリサの肩を揺らす。


 ―大丈夫、俺は薄着の女性が隣にいたぐらいで狼狽えたりしない。童貞だけど、本気で好きな人がいるから。だから、好きな人以外は…まぁ、マユラの裸を見た時は最早感動さえしたけど…とにかくいやらしい気持ちになったりはしないってことだ。


 なんとなく自分に言い訳しながら、アリサさんに何度か呼びかけると、気怠そうに目を覚ました。


 「あぁ~、あたまいたい」

 「飲み過ぎですよ、水もらってきましょうか?」

 「う~ん、あとでいいやぁ~。それより今何時?」

 「え、えっと…」


 部屋を見回したが、時計のようなものはない。兵舎の玄関に大きな柱時計があったからそれを見に行くか、と思ったがとりあえずいい加減カーテンを開けよう。夜ならもうひと眠りしてもいいし、朝なら早く支度をしてマユラ達の見送りに行かなくては。


 俺はベットから降りると、窓を遮っていた分厚いカーテンを勢いよく開く。途端にまばゆい光が視界に広がり、目が眩む。どうやら太陽は天辺に近いところにあるらしい。


 ―ん?まずくないか?


 「ア、アリサさんっ!もう、昼ですよっ!早くマユラの見送りに行かないと!」

 

 俺が、焦っているのに、アリサさんはそれを全く意に介さなかったようで、一度引き起こした体を再びベットに横たえた。


 「ちょっと、アリサさん!」

 「ん~、姫様ならとっくに行っちゃたよ~」

 「えっ」

 「頑張って、って言ってたよ」


 ―そんな…まさか、最低だ。見送りの時間を寝過ごしてしまうなんて、なんていうミスをしてしまったんだ。


 「えっと…俺、どうすれば」

 「いいよ、いいよ。大丈夫だから」

 「いや、大丈夫じゃないと思うですけど…」


 散々お世話になったのに、見送りにも行かないなんて、とんだ恩知らずだと思われたに違いない。


 「だから、大丈夫だって、姫様の気持ちは私が一番よく理解してるから。だから、あなたがこれからやらないといけないことは、見送りに行けなかった後悔なんかじゃなくて、明日からの訓練に向けてゆっくり体を休めておくことだよ」

 「………はい」


 俺なんかよりずっとマユラとの付き合いの長いアリサさんが言ってるんだから、今はそれを信じることにしよう。だから、マユラには今度会ったときにちゃんと謝るとして、


 「えっと、アリサさん、俺の聞き間違え出なければ、訓練は明日からって言いました?今日からじゃなく?」


 確か昨日は今日から訓練を始めるようなことを言ってたような気がする。


 「…ああ、それね。私、昨日飲み過ぎて頭痛いから、今日は無理ぃ」

 「……」

 「…ごめーん」

 「いや、俺は気にしてないですけど…」


 昨日、紹介された時から思っていたが、本当にこの人が戦闘訓練の指導役で大丈夫なんだろうか。明日からが心配だ。



 なんて、俺の心配は的中してしまった。…心配の方向性は間違っていたが。


 アリサさんの指導する訓練は、もうそれは想像を絶するほどのスパルタだった。訓練が始まって初めの1ヶ月は毎日吐くまで走らされたし、吐いたところで筋トレのメニューは一つたりとも減らしてはくれなかった。正直、奴隷やって時の方が体力的には楽だったかもしれないまである。


 そんな過酷な日々が再び始まって、もうそろそろ3カ月目に入ろうとしていたある日の夕暮れ、俺は満身創痍で木剣を握り、アリサさんと対峙していた。


 「はぁ、はぁ、はぁ、ア、アリサさん、もう、そろそろ、あきらめませんか?」

 「うーん、ダメだよ。言ったじゃん。私に一太刀浴びせることができたら、今日の訓練は終わりだって。ジュンヤも乗り気だったじゃん」

 「ま、まあ、そうなんですけど…」


 今日は午後から剣術の訓練をやっていた。


 『一太刀浴びせることができたら今日の訓練は終わり、あとは自由にしていい』と言われて、がむしゃらに立ち向かえば一発ぐらいまぐれ当たりするだろうなんて、見通しが甘すぎた。訓練が始まったころは、頭上にあった太陽が、今では西の空で赤く燃えている。


 剣術の訓練を始めたのはまだ10日程度ではある。訓練が始まって、初めの1ヶ月でで基礎体力を集中的に鍛えて、2カ月目に入ると本格的に戦闘訓練を始めた。最初は体術を教わったが、鬼に対して俺は決して体格が優れているとは言えないから、打撃や投げは最低限だけで、基本的には受け身の練習が主だった。その次に剣術を始めて、素振りや人形相手に打ち込みなどをしていたが、今日になって初めて掛かり稽古をすることになった。


 「それにしても、5時間やって本当に一太刀も当てられないなんて、逆にすごいかも」

 「そ、それは、どうも」

 「褒めてないよ」


 ―知ってるよそんなこと。


 自分でも思うが剣術の才能はほとんどない。と言うか、近接戦闘は向いてないと思う。確かに、剣で切りかかるなんて未だに抵抗があって、踏み込み切れてないところはあると思うが、そんなんじゃ言い訳できないぐらいのセンスのなさだと思う。


 「まぁ、人には向き不向きがあるからね~。ジュンヤはやっぱり弩を主とした戦い方を身に着けた方がいいかな。ジュンヤってば弩だけは本当に才能あるもんね~」

 「今度は褒めてます?」

 「うん、褒めてるよ~」

 「…ありがとうございます。それじゃ、方向性も決まったことで、今日はこのぐらいに―」

 「ダメだよ。弩を主にするとしても、接近されたときに自分の身を守れないとダメでしょ。だから、今日は約束通り私に一太刀浴びせるまで訓練は続けるよ。たとえ、日を跨ごうとも」


 アリサさんが力強く宣言する。


 仕方ない。アリサさんは一度決めたら妥協はしない…たまにしか。訓練が夜遅くまで続いたことだって何度もある。ここは、気合を入れてやりきるしかない。今日は日が完全に落ちるまでに決着をつける。せっかく、早く訓練を切り上げるチャンスがあるんだ。それをみすみす逃すようなことはしたくない。


 俺は大きく深呼吸してから、アリサさんをまっすぐ見据え、覚悟を決める。

 

 「うん。いい目になったね。いいよ、掛かってきて」


 アリサさんは右足を半歩後ろに引き、左手に持った木剣を腰の高さに構える。


 アリサさんは左目に眼帯をしている。しかもハンデとして、木剣を利き手とは反対の左手に持ち右手は使わない、さらに先手は必ず俺に譲ってくれている。しかし、そんなハンデを感じさせない、若しくはそのハンデも俺の実力じゃ、付け入るスキがない。


 アリサさんの死角となるはずの左側から攻撃するようにしているが、そんな見え見えのやり方じゃ軽くあしらわれてしまう。だからと言って、力押ししようにもこれも簡単に受け流されてしまう。ここまできたら、どんなに馬鹿らしくても、多少卑怯だとしてもやれることはやってみるしかない。


 俺は木剣を両手で握り、頭上に軽く掲げるようにして構え、ゆっくりとアリサさんに近づいた。


 剣の届く距離まであと5、6歩となったとき、次の一歩を踏み出したのと同時に木剣を振り下ろす。もちろんこの距離では剣がアリサさんに届くことはない。…俺の手に握られいる限りは。


 俺は木剣を振り下ろすようにして、アリサさん目掛けて投げつけた。


 「んっ⁉」


 アリサさんはほんの一瞬驚いたようであったが、的確に飛んできた木剣を自身の木剣で弾き飛ばす。


 「うぉぉぉぉ!」


 そこにすかさず飛び込む。アリサさんは後ろに下がりつつ、飛んできた木剣をはじいて、振りあげた状態になっていた木剣を振り下ろそうとしたが、その時にはすでに俺の手がアリサさんの背中に回っていた。そして、そのままの勢いで二人で地面に倒れこむ。


 「ははっ、なかなか良かったよ。今のは。一太刀かって言われたら微妙なとこだけど、頑張りに免じて合格にしてあげる。

 相手との実力差がある時、逃げられるなら逃げた方がいいけど、どうしても戦うしかないなら、相手の意表をついて好機を自分で作るしかないからね。

 ただ、気づかいは嬉しいけど、戦場では相手に変な情けはかけちゃだめだよ」

 「…はい」


 一応訓練なので、アリサさんが頭を打たないように倒れる瞬間に背中に回していた両手で彼女の後頭部守るように抱いた。…俺の頭は二つの柔らかいクッションがあったからなんの心配もなかった。


 ちょっとだけ幸せになった。



 訓練がいつもより早く終わり、まだ動ける元気があったので、傷にしみるのを我慢しつつ風呂に入った後、アリサさんと新京の商店街まで出かけることにした。この町に来てからというもの、訓練ばかりでまともに街の中を出歩いたことなんてなかった。


 今歩いている商店街は新京の中で最も活気のあるとことで、今は稼ぎ時とかで多くの傭兵が前線に出向いているらしいが、それでも多くの人で賑わっていた。


 俺とアリサさんは、アリサさんの行きつけの小洒落た居酒屋で一杯しようと言うことになり、商店街の中ほどにある『いこい』という居酒屋に来ていた。


 未だに、お酒のおいしさはわからないが、おつまみとして注文したスモークされた何かの肉が美味しかったのでそればっかり食べていた。前に、露店で、オオサンショウウオやサルのような動物の丸焼きが売られているのを見てから、ここでの食材については深く考えないようにした。世界が違えば食文化も違うわけだから、細かいことを気にしてはいけない。


 「それでさ~。ひまさまはさ~」


 しばらくすると、アリサさんは完全に酔ってしまっていた。何度も同じ話を繰り返している。


 「あらあら、アリサちゃんったらまた飲みすぎちゃったの?」


 居酒屋のおばさんが少しあきれたように言う。


 「いつもこんなになっちゃうんですか?」

 「3回に2回はこうなるね。だから、こうなったときは家に泊めるんだよ。さすがに、酔っぱらった女を一人で帰すわけにはいかないからね」


 いい人なんだなと思う。夫婦でこの居酒屋を切り盛りしているそうだが、商店街にあるほかの居酒屋と違って落ち着いた雰囲気のとこで、結構好きなタイプのお店だ。


 「今日はどうする?あんたが連れて帰るかい?」


 そうしようかなとも思ったが、ここから兵舎までは徒歩で20分ぐらいかかる。酔っ払いを連れて帰るのは骨が折れそうだ。


 「えっと、良ければアリサさんを泊めてもらってもいいですか?ちょっと、帰るの大変なんで」

 「もちろんいいよ。せっかくだし、あんたも泊まっていきな。今日は客室前空いちゃってるしね」

 「いや、そこまでしてもらうわけには―」

 「いいんだよ」


 そういうと、おばさんは声のボリュームをさげて


 「あんた、マユラ殿下の関係者なんだろ。殿下にはいろいろとお世話になってるからね、遠慮なんかしなくていいよ」


 そう言った。


 どういうつながりかはわからないが、この人もマユラと縁のある人ということか。とにかく、ここは素直にお言葉に甘えることにしよう。正直俺も、お酒に慣れてないせいか、少ししか飲んでないのにちょっと頭がふらふらしている。


 少ししてから、完全に寝込んでしまったアリサを居酒屋の2階にある客室まで運んだ。俺もそのまま寝ても良かったのだが、少し夜風にあたりたくて、居酒屋の外にでた。さすがに夜も遅いのか商店街も人通りがかなり減ってきている。


 「いてて」


 俺は今日の訓練で傷ついた体を労わりながら、とりあえず居酒屋の外に置かれていた木箱の上に座った。


 ……………。

 

 こうして、一人でぼーっとしてると。どうしても元の世界のことを考えてしまう。


 「あのー、いきなりですみません。怪我されているようなら、治癒しましょうか?」


 なんだか女の人の声がしたが、どうせ俺に話しかけられたわけじゃないだろうし、気にしない。


 それよりも、今気になるのは、母さんは心配していないかとか、七海は元気かなとか、元の世界のことばかりだ。


 そして、そんなことを考えていくと、いったい自分は何してるんだろうって、なんだかもどかしくなって、焦燥感と不安で心がぐちゃぐちゃになりそうになる。


 「ダメだ、ダメだ」


 ネガティブになりかけた気持ちに何とかブレーキをかける。


 「私の話聞いて…」

 「わっ、えっ、あ、あ、え?」


 見知らぬ女性がいきなり顔を覗き込んできたので、びっくりした。目の前の女性もなぜか驚いたような、顔をしたまま固まっている。


 「えっと…」

 「あっ、す、すみません。私『赫狼』隊のクレハと申します。あなたはもしかして新兵さんですか?初めてですよね、お会いするのは」


 目の前に立った女性は笑顔でそう言った。あまりに奇麗な笑顔だったので少し見とれてしまった。


 「ん?どうかしました?」

 「あー…っと、自分はジュンヤって言います。なんていうか、今はまだ隊とかには入ってなくて、傭兵見習い…みたいなことやってます」


 クレハさんは金髪と言うかクリーム色の髪を三つ編みのおさげにしていて、端正な顔立ちと優しい声とか相まって、いいとこのお嬢さんと言う感じだ。


 「そうだったんですか。でも、偉いと思いますよ。最近は碌な経験もないのにいきなり実戦に行くような人が増えて、大きな怪我をする人とか、…命を落としてしまう人が少なくありません」


 クレハさんはそう言いつつ、打撲で青く変色していた俺の右腕に手をかざした。


 「では、治癒しますね」

 「あ、はい」

 「…『大精霊の御慈悲を』」


 彼女がそう言うと、打撲していた箇所が淡い光に包まれた。以前、鬼に致命傷を負わされた時にも治癒術をかけて貰ったことがあるが、その時のことは気を失っていて記憶がなかった。だから、こうして目の前で治癒術をかけている様子を見るのは初めてで、傷がまるでビデオの早送りのように治っていく様は、なんだか不思議な感覚だった。


 「えっと、ありがとうございます。治癒術って精霊石要らないんですね」


 そういえば、精霊術を使うにはそれ専用の精霊石が必要だと聞いたことがあるが、さっきは精霊石を使っている様子はなかった。


 「えっ⁉治癒術を見たの初めてなんですか?」

 「ええ、まあ」

 「治癒術は、数少ない精霊石不要の精霊術の一つで、発動には詠唱を行うだけでいいんですよ。あと、特別な術になるので、使うにはある程度の素養が必要になりますが」


 ―失敗した。


 下手に質問すると、こっちが常識のない奴だって怪訝な顔をされてしまう。質問はアリサさんだけにしておこうと、いつも注意してたのに。お酒を飲むとどうも注意力が落ちてしまうようだ。


 「それで、他に痛むところはありませんか?」

 「いや、もう―」

 「ダメですよ。怪我しているところがあるなら、我慢せずに素直に言うことです。戦場で生き残るためには、自分で頑張ることも必要ですが、同じぐらい誰かに助けてもらうことも重要なんですよ」

 「す、すみません」

 「もう、別に怒っているわけじゃないんですよ。ただ、獣牙団の先輩傭兵として後輩に助言をしなければと思っただけです」


 彼女はそう言いつつ、今度は俺の右の脛当たりに手をかざして治癒を始めた。


 「ところで、あなたはどちらの出身なんですか?お名前は新京生まれの方みたいですけど、違うんですよね?」

 「わかるんですか?」

 「ええ、まあ。新京生まれの人はなんとなく、名前に特徴がありますから。でも、あなたが新京生まれなら、もうとっくに傭兵になってるか、若しくはこの町のどこかで傭兵相手に商売してるはずですから、多分他の所から来た人なんじゃないかなって」


 ―そんなものなのか。


 確かに所謂日本風の名前の人がこの町には多いらしい。いつもお世話になっている兵舎の隣の食堂の店主はサトシ、奥さんはサトコリカっていう名前だったし。ちなみに、女性の名前にはリアとかリサとかがよく付いているが、これは帝国の古くからの風習で、次女や三女に付けるものらしくて、長女にはついてない。


 「えっと…、自分はは帝都で、大きな貴族の家で雑用なんかをしてたんですが、いろいろと事情があって、ここで傭兵をすることになったんです」


 俺がそう言うと、クレハさんはなんだか悪いことを聞いたみたいな顔をした。


 「そうですか、詳しい字事情は知りませんが、自暴自棄なってはいけませんよ。人間誰しも間違いはあるのです。大切なのはそれを―」

 「あっ、いや、別に悪ことをしたとか、大目玉食らって、ここに送られたわけじゃないですからね」

 「そ、そうですよね。とても悪い人には見えませんもんね」

 「ははは…」


 今度からはもっと言い方を考えないと、変に誤解されそうだ。とにかく、俺のことをいろいろと聞かれても困るし、話題を変えよう。

 

 「ところで、クレハさんはこんな夜遅くにどうしたんですか?女の人が一人で出歩くのは危ないですよ」

 「もうっ、私だって傭兵なんですよ。アぺ・カムイ第13契約はちゃんと結んでいます。しかも、私は相性が良くて、この前の傭兵腕相撲大会でも決勝トーナメントまで進んだんですよ」

 「は、はあ、そうなんですか…」


 契約がどうこう言っていたのはよくわからないが、見た目以上に腕力はあるらしい。というか、そもそも、マユラもアリサさんも相当腕が立つわけで、男性と比べて女性がか弱いなんて、元の世界の感覚でいるのが間違いなのかもしれない。


 「それで、そう言うジュンヤさんはここで何をしてるんですか?」

 「うーん、その訓練をつけてくれている人と飲んでいたんですけど、その人酔いつぶれちゃって。そんで、まぁ、暇になったんで、将来のこととかいろいろ考えてたんです」

 「将来のことですか?傭兵になるのでは?」

 「そうなんですけどね。なんというか、このままでいいのかなって。別に他に何かできるわけでもないですけど…」

 「事情は分かりませんが、何か迷っているなら―」


 「おい!何してる!」


 急に怒鳴られた。声のした方を見ると、燃えるような赤い髪をした大男がすごい剣幕で向かってきていた。


 「ああ、レッド。もうどこいってたの?探したんだから」


 クレハさんがレッドとか言う強面に対して、かわいく頬を膨らませて言ったが、言われた本人は相変わらずこっちを睨んでる。


 「てめぇ、クレアになにしたんだ!」


 やばい。完全な言いがかりだけど、こういう輩は一度頭に血が上ると周りが見えなくなるタイプだ。

とにかく、俺から何を言ってもどうしようもないだろうから、クレハさんに何とかしてもらうしかない。


 とりあえず、アイコンタクトでクレハさんに救援を求めた――が、おそかった。


 俺は大男に胸倉をつかまれて無理やり立たされていた。


 「もう、レッド!いきなり何をいているの!私達はただ話をしてただけでしょ!」

 「関係ねぇ、俺は今こいつに聞いてるんだよ!」


 ―うわぁー、ひくわー。俺の苦手なタイプだよ。というかこういう奴が好きな人っているのかよ。


 「んで、お前はなんでさっきから黙ってんだよ。耳ついてのかぁ、おい!」


 ―流石にイライラするけど、我慢我慢。


 「まあまあまあ、落ち着いて。話を聞きましょうよ」

 

 極めて冷静に言う。


 「てめぇの話なんざ、聞きたかねぇんだよ!」


 そんな叫びとともに、道に投げ倒された。


 ―何言ってんだこいつ。…これはしょうがないよね。いくら温厚な俺も怒ちゃっても仕方ないやつだよね。


 「…おい、あんた、いい加減に―」


 ―いい加減にしろ。


 と、さすがに拳を振り上げるもの致し方ないと思ったとき。バッシーンっと乾いた気持ちのいい音が商店街に鳴り響いた。そして、赤毛の大男がよろめいて地面に膝をついている。


 「もう!いい加減にして!レッド、あなたはいつもお酒を飲むと喧嘩ばっかりして。前に約束たよね。仲間と一緒じゃなきゃお酒は飲まないって。なのにどうして―」

 「途中までは!…途中までは…スヴェンと一緒だった…さ」

 「それで、一人でうろついて、勝手に勘違いして、人に迷惑をかけて、本当にいい加減にしないと私にも考えがありますからね!」

 「…悪かった」

 「私にじゃないでしょう」


 大男は目は合わせないものの、一応こっちを向いてから、


 「いきなり絡んだりして悪かった。少し飲み過ぎたみたいだ。反省してる」


 っと軽く頭を下げた。そう言っている様は、ずいぶんと小さく見えた。


 「はぁ、もう、本当に。ジュンヤさん怪我はありませんでしたか?」


 クレハさんはそう言って、手を差し出してきた。


 まあ、レッドとかいうやつの気持ちも流石に察していたので、その手を取らずに立ち上がった。


 ―…なんで被害者の俺の方が気を使ってるんだろう。


 とは思ったが、まあいい。


 「俺は大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで、それより彼の方が大変みたいですよ」


 レッドは本人の言うように酔っぱらっているのか、それともクレハさんのビンタが強烈すぎたのか、上手く立ち上がれずにふらふらしている。


 「本当にしょうがないんだから。ごめんなさい、今日はこの人、家まで連れて帰ります。また、後日ちゃんとお詫びに来させますんで」

 「ああ、いや、いいですよ。クレハさんには怪我の治療してもらったし、それでちゃらってことで」

 「いや、それでは―ってどこいこうとしてるの⁉」


 俺とクレハさんが話している中、レッドはその大きな体を揺らしながらどこかへ、歩いて行こうとしていた。


 「どこって、帰るんだよ」

 「帰るって、一人じゃ帰れないのに。もう、その、ジュンヤさん今日は本当にご迷惑をかけてすみませんでした」

 「俺のことはいいから、早く一緒に行ってあげてください」

 「はい、ありがとうございます。このお詫びはいつか必ずしますので」


 クレハさんは一度深々と頭を下げた後、千鳥足で歩くレッドの方に駆けていった。


 ―あの二人付き合っているのだろうか?


 なんというか、正直趣味悪いと思わなくもないが、やんちゃ坊主と優しいお姉さんってかんじで、案外お似合いのカップルなのかもしれない。


 ―まあ、どうでもいいんだけど。なんか、疲れたし休もう。


 俺は、傷は癒えたが、ずいぶんと気疲れした身体を引き摺って、居酒屋の二回にある客室のベッドに倒れこんだ。


 明日も頑張ろう……。

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