8月2日 心が飢え死ぬ


お酒を口にして多幸感を得る。が、アルコールはセロトニンを出させるだけ出させるだけなので、当然あとに待っているのは無気力な自分だ。酔っている間はなんというか、全てのものが良く見える。意味もない嬉しさで満たされて、すべてのものを片っ端から褒めたり好きだと言って回りたくなる。

そして酔いが覚めると自分は何をやっていたんだろうという気分になって、騒ぎすぎて家の人からも釘を刺され、苦笑いしか出てこない。一人頭の中で全く意味のない言い訳とごめんなさいとあれこれを繰り返すうちに気付いたら自然と出来上がっていた言葉が、「まあそのうち死ぬんで許してください」

 無責任極まりない言葉だけれど、無性に気に入ってしまった。とても今の僕の態度を指し示すのにぴったりだと思う。これ以上ない。あまつさえ、付け加えるに僕に自殺する甲斐性はないのでどうせ死なない。それくらいの甲斐性があったらなあと思わなくもないけれど、こればっかりは究極的にはわからない。死にたい人もこれから死ぬ人も今までに死んできた人も、大多数はわからなかったんだと思う。妄想だけれども。希死念慮。

ただ死にたい死にたくない自分で死ぬ死なないを抜きにしていつかは死ぬだろう、またはこう死にたいという希望がある。食べ物がなくなれば飢え死にすることを人は自殺とは言わないだろう。それと同じで、心の養分が足りなくなれば心は死ぬ。心が死ねば体も死ぬだろう。肉体的な直接の死因が縊死だろうと心臓麻痺だろうと、僕に言わせれば飢え死になのだ。心が限界を迎えてダメになれば自然と僕は死ぬだろう。もう死ぬ! と決めて死ぬのは怖いし、間際に「こんなはずじゃなかった」って悲しさがいっぱいこみ上げるのはやはり死に際として寂しい。それにやっぱり勇気がない。無理になったら自然と死ぬ。そういう意味での「どうせそのうち死ぬ」。

僕が今のままの無責任な生活を続けていれば、流れるままに今ある信頼を失い愛を失い生きる意味を失い、その先の道は辛い人生だろう。足を滑らせて崖から落ちればどうせ死ぬ。それは僕の意志や思考とはまったく関係のないものだ。

そういう自論で最近は無責任な自分の生活を自責したり改善しようと努力したりすることのストレスから逃げて毎日を過ごしている。客観的に見れば非常に良くないことだと思う。けれども申し訳なくも死んでしまえばどうせ残された人がどう思おうと僕には関係ないし、ゆくゆくは僕に失望し果てる人達なのだから遅かれ早かれ、寧ろ悲しんでもらえるうちに死んでしまった方が幸せかもしれない。まあ幸せに思える思念体こと僕は既に死んでいるのだからやっぱり関係ないのだけれども。

ここまで綴ってみて振り返って統括するに、僕の辛いことからの逃避はますます強くなり、いよいよ全ての責任から逃げているし、逃げたいと強く願っている、みたいだ。ずっと家に引きこもって暮らしている僕にそんな辛い出来事や義務が直接降りかかることはほぼない。ただ強いて言えば、ゆったりと流れる時間そのものがどうしようもない重さをゆっくりとゆっくりと着実に僕の人生を沈めていくけれど。

僕は逃げたい人間なのだなと、最近の無責任な死生観を振り返るに思った。これは、自分にとってはちょっとした発見だ。文章にしてみて良かったと思う。


まったくの別件だけれど、明日は僕にとってちょっとした挑戦が待ち構えている。受験や部活の最後の試合みたいな、人生でそう多くない大きな関門である。僕はきっとそれに失敗するだろう。しかも、それに失敗してしまえばもう人生に心残りはないと思っている。そうしたらすがすがしく死ねるのではないか? そんな変な期待もしている。死にたいというよりは、「死ねる自分」への願望みたいなものがある。死ぬだけの勇気と甲斐性のある自分への。


ただどうせ死んでしまったらそんな自分に満足することもやっぱりできないし、加えるならどうせ甲斐性がないので死ねない。どこまで行っても小さい人間なのだ。


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