第2話 パラレルトラベルエージェンシーが団体ツアーを始めます
──ホワイトワールド
「今日はいい天気だ。絶好のトリップ日和だなあ」
「向こうの天気も晴れですね」
リキがパラレルトラベルエージェンシーの屋上で青空に向かって伸びをすると、ショウも空を見てまぶしそうに目を細めた。ショウが持っているタブレットには、パラレルワールドの天気情報が表示されていた。
今日は初めての団体ツアーが開始される記念すべき日だ。パラレルトラベルエージェンシー、通称PTAはパラレルワールドへの旅行をサポートする旅行社である。パラレルワールドの研究を長年行ってきた
これまでPTAではプライベートツアーだけを行ってきた。個人向けのツアーである。対象のお客様をどこかのパラレルワールドにトリップマシンで連れて行き、そこにいるもう一人の自分:アナザーがどんな人生を歩んでいるかを見に行くのだ。そして、やっぱり今の自分の人生がいいな、と思って満足して帰る。そんなツアーだ。
決して、あっちの自分の人生の方がいいと思われるような世界には連れて行かない。そのため、対象のお客様に合わせた下準備がものすごくかかる。費用も高額だ。しかも他のお客様には適用できない一回だけのツアー。とても効率が悪い。
そこで団体ツアーの企画が持ち上がった。自分に会いに行くのではなく、今とは違う世界を観に行く観光ツアーだ。これならば、たくさんのお客様を同時に連れて行けるし、同じツアーを何度も行える。その企画がやっとお披露目になる。今日はそういう記念すべき日なのである。
最初のツアーは「首都オオサカ見学ツアー」だ。
パラレルワールドというのは、どこで分岐したかによってその歴史の違いが大きかったり小さかったりする。数年から十数年の間に分岐したパラレルワールドならば違いは少なく、行き来するのにそれほど問題はない。しかし、何百年も前に分岐しているパラレルワールドでは、その歴史の進み方がまるで違っていたりするのだ。
「それにしても、最初が首都オオサカツアーとはな。思い切ったもんだ。もうちょっと調整が楽なところにすれば良かったのによ」
「最初だからですよ。あまり当たり障りのないところだと、パラレルトリップしたことが分からないじゃないですか。お客様の満足度を上げるには、こういう方がいいんですよ」
「生意気な。お前、いっぱしのこと言うじゃないか」
リキさんが茶化した。
「社長に感化されてますからね」
PTAの社長は俺のアナザーだ。社長はゴールドワールド出身、俺はシルバーワールド出身、大学三年生までは同じ人生だったが、そこから分岐して違う人生を歩んでいる。同じ自分に見えるが、社長は俺には無い経営センスが抜群なのだ。俺もそれを見習おうとしているが、なかなか敵わない。
アナザーという言葉はパラレルトラベルエージェンシーで最近流行り始めた言葉だ。パラレルワールドにいるもう一人の自分を話題にするとき、どうしてもまどろっこしい言い方になる。いつだったか、誰かがそれを「アナザー」と表現し、みんながそれを使い始めた。「パラレルワールドにいる誰々の別個体」というニュアンスが「アナザー」の一言で済むのだからとても便利なのだ。「イエローワールドの俺のアナザー」とか、「あそこにお客様のアナザーがいますね」というように使っている。
「ところで今日のツアーは何人だっけ」
「一人来れないって連絡ありましたから、九人ですね。え?」
名簿を見ると、見慣れた名前があった。
「『
「おお、目黒のオバちゃんか! お前のリピーターじゃないか」
「団体ツアーにあのオバちゃん……嫌な予感がする」
斉藤マサコ、六十二歳。通称「目黒のオバちゃん」。旦那は宝石商で五十代半ばで引退。一生食べていけるだけの財力あり。何不自由なく暮らしてきているが、人生これで良かったのかと思い始めた時にパラレルトラベルエージェンシーに出会ったのだ。もっと他の人生があったのではないかと、プライベートツアー「もう一人の自分に会いに行きませんか」に参加、何度も何度も違う自分の人生を確認しに行っている。でも結局、自分より成功していない自分に会いに行ってるので、今の人生が正しかったと確認するための旅なのである。
プライベートツアーはその人の別の人生が見えなければ面白く無いので、事前に綿密な調査をし、様々な場面で出会えるようにツアーを設計する。アナザーが買い物に行ったり、どこかのコミュニティに出かけるところにばったり出会ったり、会社に勤めていれば会社訪問を設定したり、井戸端会議に参加したり、新聞配達に扮してお宅訪問したり、それはそれは様々な仕掛けで、その人の生活が見えるように設計するのだ。そしてツアー参加者は、その仕掛けを通じて、もう一人の人生が幸せなのか、そうでないのか、今の自分と比べてどうなのかを感じ取るのだ。忘れてはいけないのは、このツアーの目的は、ありのままを見ることでは無い。もう一人の自分を見て、「ああ、今の人生で良かった」と感じることで幸せを感じて帰ってもらうことなのだ。間違っても、あっちの人生が良かったと悲観して終わらせてはいけない。これは観光サービスなのである。
マサコは最初の旅でショウに案内してもらったのだが、これを大層気に入って、次からは名指しのリピートである。金持ちでリピーターなので、PTAとしてはお得意様、大事なお客様なのである。
ただ、マサコには少し問題があった。行動が自由すぎるのである。ツアーでの様々な仕掛けではアナザーに接触することはあるが、変装するなどして本人だとばれないようにしている。目の前に自分がいたらパニックになるからだ。加えて、アナザーの前では声を出さない決まりになっている。それが、マサコは興奮すると「今の人生どうなの!?」と直接質問を浴びせ、面倒臭いからと変装を取ってしまったりするのだ。その度に、横にいるショウが大慌てで取り繕うというのがお決まりのパターンなのだ。
「何で団体ツアーに来てるの……」
「お前がアテンドするからじゃねーの」
「リキさん、苦労しますよ」
「よせよ。このオバちゃんはお前の担当だ。俺は知らんよ」
「そんなあ。何か起きたら助けてくださいよ」
「分かった。じゃあ、俺が八人の面倒見るから、お前は目黒のオバちゃんだけ見とけ。それならいいだろ」
「それじゃ団体ツアーじゃないですよ!いつもと同じじゃ無いですか」
「俺はチーフとして、この初の団体ツアーを成功させなければならない。最善策を取るまでだ。よろしく頼む」
そう言って、リキさんは行ってしまった。最悪だ。何も起こらないように祈るしか無い。
フロアに出ると、もうお客さんがちらほら集まってきていた。PTAはホワイトワールドにある城から出発する。PTAのスポンサーであるシゲさんという金持ちの城だ。パラレルワールドに行くツアーが城から出発するなんて、かなりリッチな印象だ。実際それを狙っているのだ。このツアーは一ツアー百万円から数百万円かかる。金持ちだけが行けるセレブなツアーなのだ。
今日の参加者は五十代から七十代のご婦人ばかり。大抵はどこかの大会社の社長夫人か、資産家などだ。
「いたわいたわ。ショウちゃん、こっちこっち」
噂をすれば目黒のオバちゃんだ。ショウは少しビクっとしたが、すぐに平静を装い挨拶した。
「これはこれは斉藤様。いつもいつもありがとうございます。本日は団体ツアーにご参加ですね。お待ちしておりました」
「ショウちゃんが団体ツアーのアテンドやるって聞いたから来ちゃったわよ。団体ツアー、今日がオープニングなのよね。ワクワクしちゃうわ」
「ありがとうございます。精一杯務めさせていただきますのでご期待ください。それから、少し言いにくいのですが、斎藤様、今日は団体ツアーですので、くれぐれも個別の行動はされませんように……」
「嫌ぁねぇ。分かってるわよ。ちゃんと大人しくし・て・る・か・ら」
ぞくっとした。嫌な予感がする。
団体ツアーに備えて二十人乗りのトリップマシンが開発されていた。今回はお客様が九人、運転手にリキさんと俺で十二人。かなり広々としている。
運転手がトリップの設定をする。運転席のパネルは紫色にセットされている。オオサカ首都ツアーはパープルワールドに翔んで行くのだ。
「それでは出発します」
運転手が紫色のパネルを押した。瞬間風が吹き、トリップマシンの周りの景色がカチっと入れ替わった。
──パープルワールド
「みなさま到着しました」
パラレルトリップは一瞬である。お客様はドラえもんのタイムマシンのような体験を期待するが、実際はこんなものである。後ろの席で初めてのお客様が「えー? もう着いたの? あっけないわね」なんて声を出している。プライベートツアーを何度も経験している目黒のオバちゃんが、「そういうものよ」と、私は分かってるわよ感を出して優越感に浸っていた。
翔んで来た先はPTAのパープルワールド支店だ。オオサカに設置されている。支店と言っても、トリップマシンと観光バス一台が入れるくらいしか無い倉庫のようなものだ。ここからバスに乗り、ツアーを開始する。ここからが本番なのだ。
PTAは現地のツアー会社とアライアンス契約を結んでいる。今回用意されているツアーバスは現地のツアー会社オーツアーのものだ。バスガイドもそうだ。ガイドの内容はPTA用にアレンジされている。つまり、この世界:パープルワールドを知らない人向けになっている。そういう教育を何ヶ月も経てこの団体ツアーが開発されたのだ。
バスが走り出した。途端に客たちが、おお、という歓声を上げた。街並みが和風なのだ。我々が良く知っている江戸時代の風景が近代的になったような街なのである。巨大なビルも和の雰囲気を活かしている。我々の住んでいる世界は大きな街はほぼ洋風だが、ここはデザインが和風なのだ。それでいて高層ビルもあるし、道路も整備されている。日本人の心に日本人であることを誇り高く感じさせるデザインだった。歩いている人を見ると、着物を着ている人が多い。我々が知っている着物とはちょっと違うが、着物を元にして西洋の文化を取り入れ、軽く動きやすくしたデザインに見えた。
オーツアーのバスガイドが解説を始めた。
「みなさま、ようこそパープルワールドにお越しいただきました。ここはオオサカが首都の世界となっております。みなさまの世界との分岐は豊臣ヒデヨシ公の時代に遡ります。みなさまの時代では豊臣ヒデヨシ公が早くに亡くなり、その後徳川の時代になったとのことですが、ここでは豊臣ヒデヨシ公が長く天下を治め、それから今に至るまで豊臣家が摂政または関白として国を治めておられます」
この世界は単にオオサカが首都というだけでなく、豊臣家が代々治めてきた世界なのだ。戦国の世を平定し、徳川に天下を取られず、他国とは協調路線を歩み、大きな争いには中立し、日本の文化を守り、他国の文化も取り入れながら日本文化を発展させた国がここにあった。
首都オオサカは活気に溢れた商人の街である。そして首都圏は観光に力を入れ、外国人が多く訪れる。オオサカは商業の街、キョウトはお寺の街、コウベは洋館の街。そしてオオサカ城が政治の拠点になっている。
バスはまず国会議事堂に到着した。オオサカ城である。オオサカ城は政治の中心地。城内に国会議事堂を始め、様々な官庁や国の中心機能が配置されている。昔は豊臣家が本丸に住んでいたらしいが、今はそうではない。城そのものは国へ寄贈し、豊臣家はオオサカ城内の現代和風の大きな屋敷に住んでいる。
国会議事堂では、議会の本会議が見られるとのことだった。会議場には議会の上部、三階席が議会を円状に囲んだガラス越しの傍聴席になっていて、いつでも誰でも見ることができる。もちろんインターネット中継もされているが、直接の傍聴はいつも人気だ。団体ともなると予約しないと傍聴できないことも多いらしい。今日は初めてのツアーということもあり、その点は準備万端である。
「面白いねぇ。洋服と和服と半々くらいだねぇ」
出席している議員はスーツの者とさきほど見た現代風和服の者がいた。そういったことも含めて、なかなか楽しめるものだ。豊臣家が関白として仕切っているとは言え、民主主義の形態をなしているところが面白い。
「あれ? オバちゃんは?」
ショウは目黒のオバちゃんがいないことに気づいた。
「勘弁してよ」
ショウは傍聴席にはいないことを確認して外に出た。廊下にもいない。トイレにもいない。
「そうだ。GPS」
PTAでは初めての団体ツアーということで、今回から客全員にGPS端末を事前に配っていた。もちろんパープルワールドで機能するGPSだ。ショウはスマホでオバちゃんの位置を確認した。城のお堀の側にシグナルがあった。
「オバちゃん、勝手にお散歩かよ」
ショウは三階傍聴席の廊下を駆け出し、階下に向かう階段を駆け下りた。
途中、黒のパンツスーツに黒サングラスの女性とすれ違った。スーツだというのにかなりのセクシーボディなのが分かるモデルのような容姿だ。
「あれ? 長峰さん? まさかね」
長峰というのは、イエローワールドでEMウィークリーというゴシップ週刊誌の女性記者をしている
鬼塚の事件というのは、時空間研究所の前所長
長峰がこんな場所にいるはずは無いが、もしかするとパープルワールドにも長峰ユリのアナザーがいるのかも知れない。いや、他人の空似かもしれない。いや、それよりもオバちゃんを回収しなければ。ショウは足を止めずに階段を駆け下りた。
「斉藤様、困りますよ。あれほど言ったじゃ無いですか」
「あー、ショウちゃん。いいところに来た。ほら、あそこに錦鯉がたくさん。すごいわねぇ。あれ、かなり高いわよ」
「もう、何言ってるんですか。GPSがあったからいいようなものの。迷子になったらどうするんです。団体ツアーなんですから単独行動はダメですよ」
「あら、GPSがあったわね。じゃあ、はぐれても大丈夫じゃない」
「そうじゃなくて! もう、すぐ戻りますよ」
「嫌よ。政治の話なんて面白く無いじゃない。早くショッピングに行きましょうよ」
「頼みますよ。今日は団体ツアーなんですから自由なアレンジはできないんです。そうですね。あと十五分もしたらここを出てお土産屋に行きますから。ね」
「じゃあ、先回りして二人で行ってましょうよ。どうせみんな来るんでしょ? いいじゃない」
「いや、だから」
これは埒があかない。ショウはリキに電話で助けを求めた。しかしリキは冷たかった。
「ショウ、お前オバちゃんに付いてろ。それでいい。それがお前の任務だ」
ショウは団体ツアーの横で目黒のオバちゃんとのプライベートツアーを全うした。そのおかげでリキは旅程通りにツアーを進めることができた。ショウがオバちゃんに付きっ切りだった成果である。
一日の旅程を終了し、バスに戻ると、ショウはぐったりしていた。
「リキさん、これじゃプライベートツアーと変わりませんよ。いや、無計画な分、もっと悪い。疲れた……」
「災難だったな。他の八人は大人しく回ってくれたので楽だったよ。やっぱり団体ツアーの方が効率いいな。迷子がでなけりゃな」
リキはいたずらそうにショウをからかった。
「ああ、早く戻りたい……あ、そうだ。リキさん、途中で長峰さんらしき人を見かけましたよ。ちらっとしか見れなかったけど、あれきっとアナザーですよ。パラレルワールドってやっぱややこしいですね」
「長峰? あの記者の長峰ユリちゃんか? どこで?」
「国会議事堂の階段です。サングラスしてたんで、はっきりとは分からなかったんですけど」
ショウの話を聞きながら、リキは眉間にしわをよせて目を細めた。
「うーん、ちょっと気になるな。本部に連絡して、ユリちゃんがいまどこにいるか確認してもらえよ」
「何で?」
「あの事故以来、ユリちゃんはトリッパーの能力が覚醒しちまったんだよ。でも力を制御できないんで、どっかに翔んでしまっても大丈夫なように、いつもセンサー着けてんだよ。まあ、あの後俺がトレーニングしたんで、自覚のないときにどこかに翔んじまうことは無いとは思うがな」
「あの事故? あの事故ってネオの事故ですか? あれって長峰さんだったんですか?」
「何だ、知らなかったのか。結構問題になってたろ」
「事故は知ってましたけど、長峰さんだったとは知りませんでした」
「そういうことだ。本部に一応確認しとけ」
「分かりました」
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