あるローカルアイドルの卒業

夕辺歩

第1話

「美味しい!」

 味見するなり大声を出した奏太に、かえって智子の方が驚いたようだった。

「冷たくて美味しい! このトマトスープ、本当に智が作ったの?」

「えっ? あっ、ええと、うん! そ、そうだよ。……でもその、ほとんどママが」

「使ってんのウチの『さくらトマト』だこれ」

 声を弾ませた奏太は尻すぼみな智子の言葉などろくに聞いていない。

「才能あるよ智。小六でこれなら、将来プロになれるんじゃない?」

「本当? な、なれるかな」

「なれるって絶対! うわあ美味しい。……あ、来た。来た来た来た!」

「曲?」

「曲! 紙とペン、紙とペン早く!」

「ちょっ、待って、ええと、ええと……!」

 軒先から覗く青い空。そそり立つ入道雲。止まない蝉の声。

 縁側であたふたする幼い二人を夏の庭から向日葵たちが見守っている――。



 ――そんな六年前の夢から突き放されるように目覚めた。

 文言を考えているうちに寝てしまっていたらしい。

 響奏太は現実の憂鬱さに溜息をついた。

 ブラインドを下ろした薄暗い実習室では奏太の使うパソコンだけが青い光を放ち、このところ悩みの多い彼の険しい目元を照らしている。

 画面には『ローカルアイドル朝倉とまとに対する佐倉町商店街の依存を問う』の文字。

 カーソルの点滅を見つめて、奏太は時の過ぎ去る早さを思った。

 小学生だったあのとき。あの夏の日。奏太は智子のトマトスープに覚えた感動を曲にした。それが朝倉とまとのデビュー曲『あ☆さくらトマト!』になった。

 もし自分に作曲の趣味などなかったら、と彼はifの世界に思いを巡らせる。

 とまとの活躍はなかった代わり、これほど不本意な行動に出る必要もなかったことだろう。

「奏ちゃん」

 細く開いたドアの向こうから囁く声がした。

 当の朝倉とまとが――、幼馴染の朝倉智子が入って来た。

 奏太の側に屈んだ智子の表情は硬かった。眉を寄せて、ライブでは見せない不安そうな目だ。

「ねえ、やっぱりやめよう? ネットに町の皆の悪口書き込むなんて。そんなの私……」

「卒業したくないのか。この前俺に話した、調理師になりたいって夢は嘘なのか?」

「嘘じゃないよ。だけど、やっぱりこんなやり方は……」

 ディスプレイの光に智子の瞳が潤んだ。

 もちろん奏太にも後ろめたさがないわけではない。

 良心の呵責に、奏太が思わず俯いたときだった。

「パソコンはもう使うなってアドバイスしたはずだけど」

 室内灯がついた。

 市長を叔父に持つ長身の優男、クラスメイトの田代英介がそこにいた。

「またアイツに狙われたいのかい奏太」

「放っといてくれ。学校からなら平気だろ」

「リテラシー低いなあ。場所の問題じゃないよ」

 呆れ顔の英介がそう言い終える前にパソコンが耳障りなビープ音を響かせ初めた。

 警告の文字と画面の点滅に奏太と智子が顎を引く。英介が肩を竦めた。

「ほら来た『パピヨン』だ。コンセント引っこ抜いて。さっさと帰ろう」

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