妃乃里と買い物⑮

「しぼってねーよ。しぼりのしの字もねーから。完全なるソフトタッチだろうが」


「はぁ……つまらない男になったものね。我が弟ながらがっかりだわ。女の喜ばせ方くらい覚えておきなさいな。男のたしなみでしょ?」


「…………もぉおお! お前が動くわむかつくこと言うわで全っ然集中できねーよ! だいたい、その女の喜ばせ方を知っていたところでお前にするわけないだろ。ただでさえおめでたい頭してるのに、これ以上のさぼらせたらたまったもんじゃない。だいたい女以前に姉だろうが!」


「いえ、その逆よ。姉である前に女なのよ。この大きいおっぱい見てわからないの?」


「もう何が言いたいのかわからねーよ、このあほ姉は。さっさとサイズ測らせろ」


――――――。


 しばらく沈黙が続いた。麗美は物音立てずに背筋をまっすぐ伸ばして姿勢良く立っていた。


「……やっぱ無理だわ。わかんねえ」


「えーーっ?! あたしがこんなにいい子にしててあげてたのにできなかったの? 測れなかったの? こんなにいい子だったのに?」


「いい子の前にでかすぎんだよ、乳が」


「そんなことどうでもいいから、良い子良い子して。良い子にしてたから良い子良い子してよ」


「するかボケ。いいからさっさと店員さん呼んでこうぜ。一向に前に進まねえよ」


 今……かな。

 麗美が少し歩み寄る。

 ようやく良いタイミングが来たと思い、口を開けようとした。


「……まあたぶんGカップだから、大丈夫よ。Gで。そんなことよりさ~、………………あ、あった。見てこのブラジャー!」


 試着室の中の女性がお目当てのブラジャーを探している間、麗美が立っている周辺には、その女性が投げ放った下着が上から降ってきた。麗美の頭にブラジャーが乗り、肩にはパンツが乗っかった。


 麗美のここぞとばかりに開けた口は開いたままだった。


「なんだそれ。カッチカチじゃん。鉄か何かでできてんのか? そのブラ」


「わっかんない。初めて見たからさ~、持って来ちゃった。これ着けようよ」


 最新作の非金属形状記憶ブラのことだろう。表面はかなり分厚くコーティングされていて、仮に痴漢されて揉まれそうになっても揉むことができないというもの。金属のようだが、非金属の物質でつくられており、金属アレルギーの人もつけることができるようになっている。胸がよく物などにぶつかり、変な刺激が伝わってくることも防止することができる。需要のことは考えず、商品開発、技術進歩としての意味合いが強く、新しいブラジャーとして売り出している。


「着けようはいいけど……これこそまじで付け方わかんねーぞ」


「なんとかなるんじゃない? ほらこうやって開けて付けて……ちょっと手伝って、奏ちゃん!」


「いや、手伝ってって、これ……わっかんねーよ」


「―――お客様」


 ……できた。

 やっと声をかけることができた。

 麗美の呼びかけと同時に、カーテンの動きが止まった。

  

「お客様?」


「…え……ちょっと何……は、はいはい、はーい! いますよ~ここに!」

 

 女性の声が聞こえる。まるで誰かに急かされているようにして返事があり、明らかに過剰表現と思われるが、中にいる女性は内側でピョンピョンと跳ねてジャンプしているようだ。ドンドンと音がする。


「先ほどから下着が店内に降り注いでいたりするのですが……大丈夫ですか?」


 大丈夫ですか? という聞き方は、麗美が今できる最大の表現だろう。

 怒ってもいいところ、いやむしろこの店の主として怒るべきところだと思うが、麗美はそのそぶりを見せることはなかった。


「大丈夫、大丈夫…………(ちょっと、もっとちゃんとガシッとやってよ、ガシッと!)」


 がし……? 急に小声でしゃべり、一部だけ聞こえた。


「中には、誰か他にいらっしゃるんですか?」


「えっ? あー、ん~、あーどうだろう。いるかもしれないし~、いないかもしれないしぃ……ねぇ、もういいんじゃないの? 別に姉弟なんだからいいじゃない……いてっ! 何すんのよ……え、ちょっと、何、急に……え……あんっ」


 ―――また何かが始まったようだ。何かが。

 カーテンが暴風雨にさらされた海のように波打っている。


 待っていると、ようやくカーテンが落ち着いた。


「あの……大丈夫ですか?」

 

 麗美は一歩前に進みつつ、更衣室の中にいるお客様にカーテン越しで声をかけた。

―――が、返事がない。


「あの、すみません。どうかしまし―――んっ!」


 突然、麗美の視界がグレー一色に包まれた。

 視界だけではなく、体も動かない。

 カーテンで体を包まれたようだ。

 麗美はどうしていいかわからず、そのままくるまれていた。

 

 しばらくすると、束縛が解かれた。

 麗美は何が起こったのかわからず、周囲を確認する。


「すみません」


 麗美は背後から声をかけられ、後ろを向いた。


「この下着、あなたに似合うんじゃないかな」


 その人は、お客様であり、この店の常連であり、男性であり、そしてきっと奏ちゃんさんなのであった。

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