★☆約束の彼方に 16


 ★


「くそ!」


 最後のピリオドに入って、敵のマークがさらに厳しくなる。体力には自信があったのに、相手はまだまだいけるぞとこちらにギラギラした気合いをぶつけてくる。


 さっきから試合は一進一退。こちらが入れればあちらも入れる。我慢比べの容相だ。


 しかもここに来て、まさかのアクシデント。


 長友先輩の動きが格段に悪くなった。おそらく足がもう限界に達している。それは俺が腑抜けていた前半部分の守備の穴を塞ぐために、長友先輩が走り回った結果だ。


 俺はなんとかマークを振り切って声を出す。


「吉本先輩!」


 吉本先輩は俺に気づいて、ノールックでパスを出す。針の穴を通すような正確さで、敵が触れないギリギリのパスコースを射抜いて俺にボールが届く。


 俺は一回のドリブルでマークを置き去りにすると、ゴール下に切れこむと見せかけて、ノーモーションのジャンプシュートを放つ。


 それは誠に見てもらっていたシュートだ。そのシュートはリングのうえでしば

らく暴れ、かろうじてリングにおさまった。


「よっし、いいぞ!」「ナイスシュゥ」「早く戻れ、カウンターを食らうぞ」


 ベンチからも大きな声援が飛ぶ。残り五分を切った。二点差でリードだ。


「攻めろ。守りに入ったら負けるぞ」


 木室さんからの熱い指示が飛ぶ。だが敵も諦めない。じっくりと時間を掛けて攻めてくる。そしてこちらを焦らしたところで、長友先輩がマークするはずの相手がスリーポイントを放つ。


 俺はリバウンド競争のために、ゴール下で体を張る。だが運の悪いことにそれが決まってしまう。


これで相手に再逆転された。一点差で追いかける展開。


「っくそ、まだ諦めねえのかよ」渕上先輩が吹き出す汗をぬぐう。


「まだだ」吉本先輩は意地でも諦めない。


 俺は速攻を掛けるために自陣を駆けあがる。しかし相手の戻りが早くて速攻は決まらない。椎葉先輩のスローインから、吉本先輩がボールを押しあげる。渕上先輩はポストの位置に入らせてもらえない。俺もマークに張りつかれ、身動きできない。


 そのとき、瀕死の長友先輩が突然こちらに近づいてきた。手を前に十字に組んでいる。


 スクリーンか。


 俺は長友先輩と交差しながら外へ抜ける。敵は俺を追跡しようとして、動かない長友先輩という壁、スクリーンにまんまと引っかかる。


 吉本先輩からの想いが籠ったパスを俺は受け取り、シュート体勢でリングを狙う。


 俺のシュートを阻止しようと、長友先輩をマークしていた相手がやぶれかぶれのように突っ込んでくるのが、視界の端に映っていた。その勢いには凄まじいものがある。


 まずい、ぶつかる。


 頭では分かっていた。だが俺の体はシュートに持っていこうとする。


 そのとき、高校一年生で木室さんとずっと一緒に練習していたシュートが浮かんだ。後ろにジャンプしながら打つ難易度の高いシュート、フェイダウェイシュートだ。これが多分、俺の持ちうる技の中では一番賢い選択だった。 


 だけど俺は――


 膝に力を入れ、大きく体を飛翔させる。

 決めたんだ。これからさき、どんな困難が待ち受けていようと、どんなそしりを受けようと、俺はもう逃げない。振り返らない。だって俺は、この世界を笑い飛ばして生きていたいから。


 だから後ろに飛ぶな、前に飛べ!


 明日に向けて飛び立つように、ゴールに向けて地面を蹴る。そしてシュートを放つ。敵は俺のボール目掛けて飛びこんできた。しかしボールには触れられず、そのまま俺の体に接触する。


 俺は敵と一緒に倒れた。もみくちゃになりながらも、倒れまいと無理な姿勢で足を踏ん張ろうとした。それがいけなかった。


 ブチ。


 なにかがちぎれるような音と一緒に俺は地面に背中をぶつけた。響くホイッス

ルと観客が騒ぐ音。


「ファウル七番、バスケットカウントワンスロー」


 俺は点数掲示板を見る。二点が加えられた。


 やった、決まった。


 それに相手のファウルでフリースローまでもらえた。倒れる俺のところに長友先輩が近づいてきた。


「やったー、さすがは透ちゃんー。よく決めたねー」


「やりました、先輩のおかげです」


 長友先輩の手を借りて立ちあがろうとして、膝からくる違和感と痛みが俺を捉える。


 なにかがおかしい。


 そう思ったとき、自分の左膝が言うことを聞かないことに気づいた。


「……あ」


 俺は体を支えきれず、そのまま尻餅をついた。同時に膝に痛みが走った。膝はボコッと赤く膨れあがって熱を持っていた。


「どうした、透」吉本先輩が近づいて来て、俺の足を見てなにかを悟った。続いて「レフェリー、負傷者です」と叫んで時間を止めてもらう。


 なにごとかと、会場中がざわざわと騒がしくなる。


「大丈夫です、まだやれます」


 立ちあがろうとする俺を、長友先輩が必死になって抑えつける。


「透ちゃん、さすがに無理だよー」


「その足、大丈夫か」渕上先輩が近づいてきて、眉をひそめる。


「無茶しやがって」椎葉先輩は俺にそのままの姿勢でいるよう促す。


 無理に動こうとしたせいか、膝の痛みはひどくなってきた。俺は苦痛で体育館の床に仰向けになり、天井に輝いているライトを睨みつける。残酷な光が線となって俺に降り注ぐ。


 俺はこんなところで終わりなのか。やっと生きているって実感したばかりなのに。担架を連れて木室さんがやってきた。木室さんは俺の足を見て、絶望した顔を浮かべる。


「これは、靱帯を損傷しているかもしれない」


「まだいけます」


 あまりの痛みに脂汗をかきながら、俺は必死に抵抗する。だが木室さんは厳しい顔でかぶりを振った。


「さっき言っただろう。監督は俺だ。透、よくやった。お前の残してくれたリード、絶対に守ってみせる。剣持、準備だ」


 木室さんは負傷した俺に交代を命じた。無理もなかった。一人では立ちあがることも出来なかった。俺はそのまま担架に担がれて退場することになった。情けない最後になった。


 敵は俺に向かって「すみません」と悲愴な表情を浮かべて頭を下げた。俺は痛みに歯を食いしばりながら笑って答えた。


「真剣勝負だから、気にしてないっす」


 ベンチの横を通るとき、ジャージを脱ぐ剣持先輩の姿が見えた。俺は苦痛に顔を歪ませながら、なんとか頭をもたげて剣持先輩に呼びかける。


「剣持先輩。あとは頼みましたよ」


「優勝トロフィーを持っていく。病院で待っていろ」


 剣持先輩輩はこちらを見なかった。軽くジャンプし屈伸し、一気にコートへと掛けていく。


 俺は担架で運ばれる不甲斐ない自分を呪いながら、目元を覆った二の腕の下、一人で悔し涙を流し続けた。

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