★部活日和 2

「今から集まれるレギュラーで、秘密の決起会を開こう」


 学校の近くの安い定食屋で、大盛りのご飯を平らげたあとのこと。

 吉本先輩の鶴の一声で、俺たちレギュラーは吉本先輩の家に集まることになった。レギュラー陣、全員参加で盛大にいきたかったが、残念ながら長友先輩が欠だった。


「えぇ、今日は妹の誕生日会って言っていたでしょうー。ついてないなぁー」という理由だった。


 こうして吉本先輩の部屋にお邪魔することになり、皆で床に座って卓を囲んでいるわけだけれど、他人の家の匂いってのはどうにも落ちつかない。


 吉本先輩の部屋は颯太の部屋とは違う。漫画も雑誌もなく、引っ越し直後みたいに、無駄なものが一切ない。


 強いて言えば窓脇に置いてある、変な形で空を仰ぐサボテンくらいのものだ。


「相変わらずなにもねぇな。つまんねぇ部屋」


 渕上先輩が床にのぺっとたれているビーズクッションに、仰向けに体を埋める。巨体の渕上先輩の前に、ビーズクッションは抵抗を諦めたスライムみたいに床にへばりついていた。


「お前の部屋のように杜撰ずさんにはなりたくないんでね」


「嫌な奴だな、吉本くんは。昔は友達想いの良い奴だったんだけどな」


 二人の掛け合いは置いておいて、なにげなく吉本先輩の整理された机に眼を向けた。参考書が大きい順、巻数の順にきちんと整頓されている。持ち物は人と成りを映すらしいが、本当らしい。


 その机の横の壁には、額縁に入れられた一枚の写真がある。そこには幼い吉本先輩と渕上先輩が不機嫌そうに映っていた。


 どうやら小学生のミニバスケ時代に撮った集合写真らしく、試合に負けたあとなのか、不本意な感じだ。そう言えば吉本先輩と渕上先輩は、小学校のミニバスケットからの仲だったな。二人が気安い訳だ。


「あ、この写真」


 俺の横に座っていた椎葉先輩が立ち上がり、今度は机の上に飾られていた写真立てに手を掛けた。俺も気になって背中越しに覗いてみる。


 それは一年前の大会に撮られた写真だった。映っているほとんどは今も現役のバスケ部員で、弾けんばかりの笑顔とピース、そして準優勝と書かれた銀色のトロフィーが眩しい。


 ただ一人、吉本先輩だけが無表情だ。

 そんな仏頂面の吉本先輩の肩に手を回しながらトロフィーを持つ、一際目を引く人物がいた。写真のまんなかで、だれよりも晴れ晴れとした笑顔だ。去年唯一の卒業生、木室さんだ。


「いつ見ても良い写真だ」


 椎葉先輩は懐かしさに眼を細めた。去年を思い出しているのだろう。


 そんな椎葉先輩とは対称的に、吉本先輩は乾いた調子だ。


「俺はその写真を戒めとして置いているんだ。練習でくじけそうになるたびに、その写真を眺めては、あの敗北を思い出している」


 吉本先輩は唇を噛み締めた。


「一時も忘れたことはない。木室さんを最後の大会で優勝させられなかった、あの屈辱くつじょくを」


「あれはお前のせいじゃない」


「いや、おれがあのときコートにいれば、必ず勝っていた」


 慰める椎葉先輩に、吉本先輩は一歩も引かない。先輩からは憎悪の黒い炎が垣間見えた。でもそれは自分自身に向けての憎悪だ。


「俺の足が攣って退場さえしなければ、木室先輩に優勝トロフィーと、次の大会への切符を渡すことが出来たはずだったんだ」


「最近妙に張り切っていると思ったら、そんなことを考えていたのか」


 スライムに預けていた上体を持ちあげながら、渕上先輩が会話に混ざる。吉本先輩は決意に満ちた声でそれに応える。


「次の最後の大会にすべてをかける。負けたらそこでおしまいだ。必ず決勝まで勝ち進んで、木室さんは間違っていなかったを証明してみせる」


 椎葉先輩は吉本先輩の鬼気迫る勢いに、心配そうに写真を机に戻して座りこむ。


「気持ちは分かる。だけど気負いすぎるなよ」


「いいや、気負わずにいられるか。俺は必ずバスケ部を優勝に導いてみせる」


 椎葉先輩の思いやりも、今の頭に血が昇った吉本先輩には届かない。普段は冷静な吉本先輩がこんなにも意固地になるなんて、去年の後悔は計り知れない。


 そんな吉本先輩を渕上先輩は鼻で笑った。「ふん。まるでガキだな」


「なにを言われようと、これだけは譲れない」


「馬鹿馬鹿しい。吉本、お前はいつまでそんなことを気にしているんだ」


「……渕上は、俺についてきてはくれないのか」


 今まで一緒に部を引っ張ってきた渕上先輩に味方してもらえないことで、吉本先輩を突き動かしていた闘志が揺らぐ。吉本先輩はなんだかんだ言って、渕上先輩を誰よりも信頼している。きっと、だれよりも。


「ま、馬鹿馬鹿しいが嫌いじゃねえよ。そういうところ」渕上先輩が吉本先輩にニヤッと笑いかける。


「木室さんのことを抜きにしても、負ければ引退だからな。決勝の相手は間違いなく去年の奴らだろう。やる気になれる材料なら、多いに越したことはない。もう負ける気はないんでね。今度こそ俺たちがてっぺんに立つ。それだけだよ」


 渕上先輩は吉本先輩の胸に拳を当てる。そこには今まで一緒にやってきた、戦友同士にしか分からないやりとりがあった。


「ああ。頼むぞ、渕上」


 渕上先輩が味方に付いてくれて、吉本先輩の闘志もさらに燃えあがる。そのとき、突然玄関のチャイムが鳴った。吉本先輩がカーテンの引かれた窓の隙間から外を覗いて笑みを見せる。


「すまない、透。玄関の鍵を開けてきてくれないか」


「いいんですか、俺が出て」


「長友だ」


「長友先輩っすか、分かりました」


 俺は吉本先輩の指示に従い、玄関を開けに階段を降りていく。


 負ければ先輩たちはそこで引退。なにがなんでも負ける訳にはいかない。


 気合いを入れ直しながら階段を下り、玄関の鍵を開けると、なにやら口を尖らせて目尻をつり上げる長友先輩が立っていた。


「ちょっと、ちょっとぉー。僕が来るって、前もってみんなに連絡してたじゃんかぁー。鍵かけているなんてひどいよぉー。僕、いじめられてるって思っちゃったよぉ。せっかく妹の誕生日だったのにさぁ、途中で抜けてきたんだよぉ。それなのに、この仕打ちってどうなのさぁー」


 長友先輩はずいぶんとおかんむりだった。携帯で連絡していたらしいが、バスケ談義に夢中で、だれも気付いていなかった。


 さっきまでの三年生たちとの温度差がありすぎて、思わず俺は吹き出してしまう。


 この人はやっぱり空気が読めない。それはいい意味でも、だ。


「な、なんで透ちゃんは、笑ってるのぉー」


「べ、べつになんでもありませんよ。さ、入ってください」 


 笑いを堪えながら先輩をエスコートする。


 熱い人ばかりじゃなくてこんな緩い人が部活にいるのも、悪くない。

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