4話 再びその花は微笑む
「おーい」
目覚めは、土の匂いと朗らかな声とともにだった。
ゆっくりと目を開けると眼前に広がるは顔をくしゃくしゃにした、見るに堪えない顔の少女──りなの泣き顔だった。
「死んじゃうかと思ったよー!」
わなわな泣きながら喜ぶという実に忙しいやつだ⋯⋯なんて悪夢から覚めた直後に思うことではない。
後頭部に感じる柔らかい感触も相まって、どうやら僕は膝枕をされていると知ることができた。
「僕は⋯⋯どうして⋯⋯」
立ち上がり、現状を把握するのに努めた。りなはもはや戦力外なので自力で考える他なかった。
若干の倦怠感。身体中の熱⋯⋯は余韻程度のものだ。
首元に感じる冷気。手を回してみるとそこには保冷剤のようなものがあった。
「ぞれね⋯⋯わだじがね⋯⋯ゆうぎぐんのね⋯⋯おどうざんにね⋯⋯だのんでね⋯⋯もらっでぎだの⋯⋯」
嗚咽混じりでよく聞き取れなかったが恐らくはこう言ったのだろう。
今まで挙げたことを
しかしそれではいくつか疑問が残る。
どうして食後直後に倒れたのか。どうして父は助けに来なかったのか。──どうして彼女はこれほどまでに親身になってくれるのか。
「わあぁぁぁ!」
遂には大泣きを始めるりな。大事なことではあるがまずは彼女を
まったく、泣く意味がどこにあるのかわからない。
〇〇〇
「もう平気?」
宥めるのに十数分要した。骨が折れすぎてこっちまで泣いてしまいそうだった。
「うん⋯⋯」
ゆっくりと立ち上がるりな。どうやら本当に大丈夫らしい。僕としてもようやく立ち直ってくれて助かる。
「それで、どこに行くの?」
しつこく聞くも、今回は返事すらなかった。呆れられてしまっただろうか。
しかし、返事は遅れてやってきた。
「そろそろ着くよっ」
それは果たして希望か、はたまた絶望か。
深い深い森を進む。
歩き始めて何分、何時間経っただろうか。辺りの景色は林のような清々しいものから一変、薄暗い木々の生い茂る森へと変わっていた。こんなところに何があるというのか。第一、なぜこんなところに何かがあるとわかるのだろうか。
「ここだよ」
レディーファーストならぬボーイファーストをくらった僕は申し訳なく指さされた方向へ進む。開けた先にあったのは──
「⋯⋯沼?」
「本当は池らしいんだけどねー。でもどう見ても沼だよねっ」
目的地に着くや機嫌を取り戻したりなは僕の隣に立って懐かしそうに沼を見つめている。
ピリッと頭の中を一筋の光がよぎった⋯⋯ような気がした。これは何なのか知る由もない。
「ここにどんな目的が?」
僕が問うてもしばらくりなは水面を見つめていた。やがて、
「私の⋯⋯私たちの、約束の場所」
「約束の場所?」
再び問うと、りなは悲しい笑顔になった。
「やっぱり、覚えてないよね⋯⋯」
その笑顔は儚く、すぐに崩れてしまいそうなほど、脆かった。
そんな顔にはさせたくなかったが、かといって嘘をつくのもよくない。
「私たち、小学校の時までたくさん遊んだんだよ?」
爆弾発言だった。あるはずのない虚偽の事実をまるで本当にあったかのような素振りで──いや、本当にあったのかもしれない。
「ゆうきくん。きみは記憶のない時期があると私は思うんだ」
今日あってからの印象とは全く異なる、真剣な表情のりなが目の前にいた。
「⋯⋯どうしてそれを?」
そう、このことは誰にも口外していない。故に誰も知らないはずなのだ。たとえ1番身近にいる父でさえも──。
「その原因は、私にあるから」
「本当なのか!?」
知っているなら、
突然、鋭い痛みが右側頭部を襲った。いつか感じた痛みだった。
痛みのあまり、目を瞑っていた。耳からは何の音も聞こえない。さっき、僕が倒れた時に聞こえた、あの悲壮な声も──
映像だ。今、僕の目に映っているのはどこか懐かしい映像だ。
溺れそうな少女。手を伸ばす少年。
届け、届け⋯⋯届いた。そして、少女は引っ張り上げられる。
しばらくむせる少女。背中をさする少年。それはまるで風邪をひいて
とても、羨ましいかった。僕にはこんなことをしてくれる人はもう存在しない。そもそも僕は物心がついた時から1度も風邪をひいたことがない。
悔しさのあまり目を背けていた。映像は止まることなく淡々と進む。
少女は立ち上がると少年に一礼し、立ち去ろうとしたが、すぐに倒れ、少年に担がれて画面外へと行ってしまった。
画面が切り替わり、次のシーンは少年と少女が再開するところから始まった。
知っているようで知らない家から1人の少女が出てくる。その前には先ほどの少年が立っている。何言か言葉を交わすと、少女は深く一礼して家の中に消えていった。
そして少年はその場を立ち去り──
ぷつん。
映像が、終わった。
〇〇〇
目を覚ますと目の前には眠りこけている少女の顔があった。そして後頭部にはマシュマロのような柔らかい感触。言うまでもない、膝枕だ。
「起きたっ」
花を咲かせると、「立てる?」などと聞いてくるので何も答えず立ち上がる。
「それで⋯⋯思い出してくれた⋯⋯?」
そんなこと──
「──無理に決まってるだろ」
いきなり訳のわからない映像を見せられ、しかもそれだけで思い出すなど到底できることではない。
「そもそも、僕とりなは今日が初対面だよね!?」
混乱のあまり口調が荒くなっていた。唾も飛んでいたかもしれない。
「確かに記憶のない時期はあるよ?だとしても、君みたいな可愛い人に出会ってたら普通は覚えてるはずだよね!?」
「!」
一部、告白みたいになっているがそんなのお構いなしだ。
「なのに僕は覚えていない⋯⋯それはつまり、そういうことだろ⋯⋯っ」
全てを吐き出すと気持ちよくなれると思っていた。それ故、今目の前の少女が泣き崩れそうになるのを見て、逆に苦しくなってしまった。
──僕は、間違った選択をした。
いや、それ以前に選択とはなんなのか。僕の人生においてほぼ道は一直線で、分岐点などないと思っている。それは僕個人のことについてのことだけであって、決して他の人も同じだということではないと付け足しておく。
さらには見ず知らずの少女──それも超絶可愛い少女がいきなり僕の前に現れて、いきなり彼女と僕は会ったことがあるなどと。あの苦笑で察することはできなかったのか。だとしたら彼女はよっぽど幼い。
⋯⋯そうだ。彼女は、幼いのだ。見た目も小学校中学年くらいの背丈だし、あの無邪気な姿──今となっては別人になってしまったが──はどう見ても小学生そのものだった。僕の級友にそういう人がいたと記憶している。
だとすると、僕と接点があるはずがない。僕は進学していたら今は高校1年生。僕が小学6年生の時、彼女はよくて幼稚園年中だろう。──どこにも接点はない。
しかしここで1つ見落としがあることに気がつく。
彼女は村住みだということだ。もしかしたら接点があったかもしれない。
でも⋯⋯思い出せない。彼女のことを。もし会っていとしたら記憶に残っているはずだ。
そうだ。これは全て記憶のない僕が悪いのだ。今すぐ謝罪して再び助けて欲しいと懇願する他ない。
ゆっくりと地面に額を近づける。目の前では少女が、りなが今にも泣きそうな顔でいるはずだ。虚をついた気分で気持ちいい。
「⋯⋯やめてよ」
地面まであと数センチというところで声が掛かった。
「⋯⋯私の努力を、無駄にしないでっ」
聞き間違えるはずもないそれは、目の前にいる少女から発せられた言葉だった。顔を上げると泣きそうな顔から一変、怒りを顕にしていた。
「これは、私がやらなきゃいけないこと⋯⋯絶対に⋯⋯!」
そこには底知れぬ気迫を感じた。
しかしその恐ろしい面は少女のため息とともに一瞬で消え、そう、例えるなら花が一斉に咲き誇るかのように、
「じゃあまずは──」
背後にある沼の方に身を向けてから、顔だけこちらに向けて、
「久しぶりだねっ、ゆうくんっ!」
僕の知ってる、無邪気な笑顔の少女がそこにいた。懐かしい響きに僕はしばらく立ち尽くした。だからこそ、僕は1つ大事なことを思い出した。
──そうだ、彼女は言ってたじゃないか。「『小学校の時まで』、たくさん遊んだんだよ」と。
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