夏の日差しの下(もと)、一輪の花は咲き誇る。

タツノオトシゴ

1話 記憶の欠損


 僕の家の庭に、一輪の真っ白い花が咲いた。


 夏真っ盛りの今日、家の周りからはセミの鳴く声が絶え間なく聞こえてくる。

 僕が住んでいるのは都市部から車で軽く3時間はかかる秘境じみた森の中だ。秋になれば最低でも1回は熊と遭遇するような深い森の中。どこまでも孤独な場所だ。

 けれども、20分ほど歩けば小さな村があるのでそこまで孤独は感じていない。そしてそこには僕の友達がいた。

 そう、『いた』のだ。

 みんなは学業に励むと言って中学卒業と同時に都市部にある全寮制の高校に進学した。僕は父の生業なりわいである林業と農業で、稼げるほどになるべく、父に教わるために進学は断念した。学歴は中卒となるので就職も厳しいだろうから、既に僕の生活を支えるのは林業と農業と決まってしまった。


『何かが足りない』


 最近になって、妙な喪失感に襲われている。心の一部がないというか⋯⋯記憶の、思い出のない時期がある。

 あれほど楽しい時間をみんなと過ごして、それなのにその一部を思い出せない。もどかしくて毎晩毎晩思い出そうとしては朝になってたり、思い出してる最中に寝落ちしてたりと、ないものを掘り起こそうとしても何も出てこなかった。至極当然のことだが。


 さて、今日も仕事に励むとしよう。


 〇〇〇


 日が沈んだ。

 さて、と言いながら腰を上げ、1つ大きな伸びをする。今日は1日中、畑仕事をしていてずっとしゃがんでいたので腰に負担がかかっていた。

 ポキポキと幾つか腰の関節が抜ける音がしてから僕は畑を後にする。この後は夕飯だ。


 家までは歩いて20分かかる。何せ、我が家が持つ田畑は村の中にあるのでそこまで行かなきゃいけないのだ。村長さんのご厚意で家に限りなく近い場所を割り当ててくれたのにはかなり助かっている。

 舗装されていない道を、家まで続く一本道を黙々と歩く。もちろん、街頭などなく、日が完全に沈むと足の感覚を頼りにする他ない。


 シャリン。


 背後で、鈴のような音がした。

 振り向くも、そこにあるのは闇。ただ遠くにぼんやりと村の明かりが見えるが足の頼りにはならない。

 しかし、それのお陰で見分けることができた。

 ──そこに、誰かが立っている。

 村の明かりが逆光になって、そこにだけ人型の影が出来ている。身長からして小学校高学年くらいだろうか。

 疲労のせいだと目を何度か擦ったが、やはりそこに誰かいる。

「お、おーい」

 びくびくしながらも声をかけるが、返ってくる声はない。

 困惑した僕はしばらく立ち尽くし、人影をじっと観察していると、あることに気づいた。

 ──微風に服の裾がなびいている。その位置も、膝の少し下。スカートかワンピースだろうか。つまり、あれは女の子だ。

 こんな時間に出歩いていては熊に出くわしてしまう危険性があると思い、再び声をかけるも、

「おーい!こんな時間に出歩いていると危ないよー!」

 しかし、シャリンシャリン、という軽快な音とともに少女は、人影は道脇の雑木林の方へと走り去っていった。


 そして、気配が消えた。

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