鬼に恋しや
野沢 響
第1話
船に乗り込んでから一体何日が過ぎたのか。
敗戦を知ったのは、終戦してから一ヶ月が経ってからだ。次の戦闘に準備をしている時に、別の部隊に所属している者からその事実を聞いたのだった。
船の揺れが通成を更に眠りへと引きずり込んでいく。
「おい、瀬野!」
はっとして自分の名を呼んだ男を振り返る。隣に座っていた矢島は通成の肩に手を置いてから、淡々とした面持ちで言った。
「俺達やっと日本へ帰れるんだ。こんな日が来るとは思ってもみなかった」
そう言うと、通成が抱えていた風呂敷に包まれた木箱に視線を落として、
「岡部、日本へ帰れるぞ」
そう話しかける矢島への返事は
岡部は通成や矢島と仲の良かった軍人仲間で、三ヶ月前に戦死した。遺体は島の墓地に埋葬されたため、箱の中に彼の遺骨は入っていない。
通成は木箱の中を開けた。中には彼がいつも肌身離さず持ち歩いていた品が二点入っている。一つは妻からの手紙。もう一つは万年筆だ。去年生まれた息子の写真もあったが、それは彼の遺体を埋葬する時に一緒に入れてきた。
「瀬野、港に着いたら岡部のかみさん探すぞ。港からそう離れてないところに国民学校があったのを覚えているか? そこにまずは行ってみようと思う」
「ああ、そうだな」
そこで会話が止まった。お互いもう一つ不安に思っていることがある。道成も矢島も当然自分の家族の安否は気になっている。だが、それ以上にこれから帰還すべき日本がどんな状況なのか、全く分からないということに強い不安を覚えた。敗戦したのは知っていても、人が、町が、一体どんな有様なのか想像がつかなかった。
日本へ帰還したのはこの会話をした日から三日後のことだった。
港で船を降りた後は矢島と船の中で話した国民学校へ向かった。公民館や市民病院も尋ねたが、岡部の妻子は見つからず、通成と矢島の家族の姿も見つけることは出来なかった。
至るところに自分と家族の安否を知らせる掲示板を見掛けた。木の棒に紙を留めただけの簡素なそれらを全て見て回ったが、いずれも二人の家族や岡部の妻子の安否を知らせるものはなく、二人共肩を落とすこととなった。
その後、矢島と話し合い、通成が岡部の自宅まで出向き彼の遺品を届けることになった。聞いた話によると、岡部の自宅があった場所は空襲の被害も少ないということだったので、もしかしたら彼の妻子は自宅に留まっているのかもしれない。
矢島とはそこで別れた。彼には両親と妻がいたので、彼らを探すという。
通成は岡部の自宅がある場所の近道となる山を目指して歩き出した。
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