魔物~蟷螂~

久徒をん

第1話

 夜の酒場から少し外れた暗い道に足音が響いた。

 女が携帯電話を右手に持って画面を見ながら歩いていた。

 赤いハンドバッグを下げてひたすら画面を見ながら歩く姿勢が変わるのは五分後に起きる『何か』の出来事だった。

 街灯が点々と灯している道の脇の一部分が不自然に歪んでいた。

 コンクリートの壁に当たる街灯の光が微妙に曲がって何か盛り上がっているようにもみえた。

 それに気づかずに女は画面を見て歩いた。人通りのない道をコツコツと歩く音が響いた。


 その歪んだ場所に着くまであと二分…

 

 光の屈折は音を立てずに盛り上がりを増していた。

 女は左手にハンドバックを下げて右手に携帯電話の画面を持って歩いていた。

 赤い唇は軽く開いたり閉じたり呼吸を繰り返しながら何度も右手の親指で画面を擦っていた。

 画面を見る目は時折細めていた。

 同じ歩幅で歩く足の黒いヒールから響く靴音は常に一定で行進している位の正確なリズムで尖ったビートを刻んでいた。

 光の屈折は徐々に盛り上がっていた。女がその場所に着くまであと五十秒…

 歩く女との距離が近づくにつれて光の屈折が何かの輪郭を造りだした。

 細い何かで構成された輪郭は頭と体と長い手を表してきた。

 それは三メートルを超える大きな物体だった。


 女がその場所に着くまであと三十秒…


 女の唇は横に広がって歯が覗いた。

 女が微笑んだ。

 微かな鼻息が漏れた。

 光の盛り上がりがゆっくり道側に移動を始めた。

 その下の部分は大きな尻尾のようなものから数本の細い足と思われるものがゆったりと動いていた。

 コツコツと女の足音が響いた。


 女がその盛り上がりの物体に近づくまであと十五秒程になってきた時、物体は大きく前のめりになって屈折した手が更に大きく伸びた。


 それは鎌のような形になった。その鎌が女の肩に触れた。

 「えっ?」

 それが女の最期の言葉だった。


 女の体が地を離れて九十度に傾いた。

 女は悲鳴を上げる間もなくただ目を大きく開いた。

 赤いハンドバッグが地面に落ちた。小さなバッグはバサッと音を立てた。

 女の体は横向きのままVの字に曲がった。

 女の口が半開きになった。

 光の盛り上がった頭と思われる逆三角形の形をした部分が女の首筋に触れた。

 女の体はビクンと一度震えた。

 そして地面にドサッと大きな音を立てて仰向けに落ちた。

 女の手から携帯電話が離れた。

 女の胸に半透明になった鎌が刺さった。

 女は目を開いたまま動かなかった。

 そこにあるのは女ではなく肉塊に変わった人間の姿だった。

 肉塊の胸に刺さっている状態なのに不思議と血は流れなかった。

 肉塊の腹に半透明の鎌が刺さった。

 肉塊は再び地を離れて鎌に持ち上げられた。

 半透明になった物体は背中が開き薄い膜を大きく羽ばたかせて空を飛んだ。

 

 そこに残されたのは赤いバッグと携帯電話と片方のハイヒールだけだった。

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