in Cd

@sadameshi

in Cd

  午睡ごすい微睡まどろみを打ち消す明朗な声。

 鳥の鳴き声かと聞き違い、椿ははたと目を覚ます。

 学園の中庭。

 その木陰に憩いを求めた昼過ぎのこと。


 女子*

 「……君はそうして惰眠を貪るほどの何かを、今日に成し遂げたと私に誓えるかい?」


 そうして差し伸ばされる手と、枝垂しだれる金糸きんしの髪。

 陽に影となって、その顔の凹凸は明瞭はっきりとしない。

 見慣れれば驚くこともないその髪色だが、寝起きの者には目に沁みる。


 椿はその柔らかな手を取って、緩慢かんまんに上半身を起こした。

 

 椿*

 「……成し遂げたことね……あ、朝に一発抜いた。そしてその不浄な手は洗わないままだ。」


 女子*

 「そうか。若人わこうどらしいがしかし、ばっちいな。」


 と、言いつつも手を離さない彼女、きざはしメリアは、不敵な微笑ほほえみを口の端に浮かべ、なおも椿を立たせようと腕を引く。


 仕方がなく立って制服を払う椿を、彼女は仁王立ちで凝視、いや監視していた。


 ハーフの彼女は俺と同程度に上背があって、加えてたまの碧眼である。

 本人が意図しなくても、向かいに立つ相手は威圧を感じてしょうがない。


 椿*

 「お前、少しは恥じらいというものを持て。」


 メリア*

 「精処理は万人のするものだ。そんなことを逐一気にしては、誰の手も握れない、そうだろう。」


 椿*

 「いや、みんなきちんと洗ってるから、俺と同じにしちゃ駄目よ。いらない覚悟だから、それ。」


 メリア*

 「まあ、そんなことは瑣事さじだ。私が聞いているのはそういう事ではない。精処理なぞ、お前が成さずとも、他の誰かが成すだろう。そこで提案だ。今日も放課後、部活勧誘を手伝ってくれ。それはお前にしか出来ぬことだ。」

 

 青い瞳の視線を残し、彼女は颯爽とそこを去る。

 ひるがえるスカートの裾を追いながら、椿は溜息混じりにその背に告げた。


 椿*

 「……俺にしかできない、じゃなくて、俺しか当てがない、だろ?言葉は正確に使えよ、独身貴族。」


 メリア*

 「にょえっ!………………う、うんっ………。お、お前にもその言葉、そっくりそのまま返してやろう。独身貴族とは、あえてか致し方なくかは問わず、配偶者を持たぬことにより、金銭的、精神的に余裕がある者を皮肉してそう呼ぶのであって、貴族っぽい風貌と友達が少ないという事実だけを掴まえてそう用いるのは、はなはだ安直、かつ、は、な、は、だ、不適切な言葉だ。撤回してもらおう。」


 椿*

 「やっぱ友達いねえんじゃん。」


 メリア*

 「おるわ。仰山おるわ。」


 椿*

 「じゃあお前なんで、授業中にこんなとこいるの?」


 メリア*

 「…………。」


 椿*

 「確か、お前のクラス今、身体測定中だよな?」


 メリア*

 「…………。」


 椿*

 「…………。一緒に昼寝するか?ここ譲ってやるぞ、ほら。俺の制服枕にしていいし。きっとクラスは自習中なんだろ、な。」


 メリア*

 「…………ニ十分だ。ニ十分だけ、そうしてやる。だから放課後は手伝え、いいな。」


 椿*

 「時給は?」


 メリア*

 「…………なあ、泣くぞ、いいのか。外人ルックの私がおいおい泣くぞ。それはもう、見るに堪えない凄絶な景色だぞ。」


 そういったメアリの肩を、俺はそっと押して寝かしてやる。

 制服を丸めて頭の下に引いてやり、俺もその隣に横になった。

 昼の盛りの陽光は、木漏れ日であっても目に眩しい。


 メリア*

 「…………気持ちいいな。」


 椿*

 「寝過ごしても、起こしてやんねえからな。」


 そう椿が言ったときにはもう、メリアは至宝の瞳を瞼で覆い、浅い息を口から漏らしていた。

 白皙はくせきの皮膚が日に焼けはしないかと、椿は内心不安に思いながら、また意識を手放しにかかる。

 

 椿*

 「…………なんだって、俺を頼るんだよ……。」


 その不満は、そよぐ風とこずえの触れ合う音に掻き消され、メリアの耳には届かなかったに違いない。






 ………………。


 梢*

 「また、さぼってる……なァ。」


 窓に備え付けられた鉄棒を両手で掴んで、古謡梢こうたいこずえは中庭に目を落とす。

 そこには不良然とした幼馴染の姿があって、彼を祝福する、春の日永の陽光が、窓を透かして同じく梢の頬も撫ぜた。


 美代子*

 「………梢、こ~ず~え~ったら、もう!聞いてる?」


 梢*

 「んァ?……あ、ああ……ごめん……で、なんだっ、け……?」


 美代子*

 「またぼうっとしてるの?」


 梢*

 「生理痛の薬が、眠くなる……から。」


 梢は薄い唇の端を指で掻きながら、友人にたどたどしく答える。 

 その声は耳を寄せても小さく、かてて加えてかすれているので聞き取りづらい。

 それでも、近くの席に座る男子は彼女の口から飛び出た単語に身を固くする。


 美代子*

 「あんた、少しは男子の目を気にしなさいよ。眠くならないやつ、貸そうか?」


 梢*

 「それだと、あんまり、効かないから。もう痛い……なァ。死にたく……なる、なァ……。」


 美代子*

 「だぁ!また平気でそういうこと言う。ってかあんたさっきから何見てるのよ。」


 美代子もまた、緩く巻いた茶の髪を揺らして、梢の机にどかりと座り、窓の外を見下ろす。


 美代子*

 「……………ああ、椿か。あのヤンキーまたサボってんのね。また来年も一年、になったら梢どうするの?あんたの責任でもあんのよ。」


 梢*

 「椿……も、美代子に言われたくは……ないって思ってる。」


 美代子*

 「それってどっち?ヤンキーって部分?それとも留年の部分?」


 梢*

 「自分の心に、聞いて頂戴……。」


 梢は涼やかな、細く鋭利な瞳を、物憂げに友の方に流す。

 彼女の瞳は、首の座っていない赤子のように、左右、一時も定まらず揺れている。

 不安におびえる様な、はたまた何かを沈思ちんしするような。


 長いびんの毛と、露わになった首筋が、零れる日差しに砂浜の石英のごとくちらと輝く。

 健康的とは言い難い、痩せ細った体は、紺のセーラー服を支えるので精一杯のようだった。


 美代子*

 「っていうか、あれいいの?メリア嬢と一緒じゃん。」


 梢*

 「メリアが良いなら……いいん……じゃない?」


 美代子*

 「だってあんたさ、いくら振られたとはいえ、一度告白した相手が他の女といたらさ、取る行動は一つしかないんじゃない?」


 梢*

 「ん……ぁ…………きいィィィィィッ…………こう?」


 美代子*

 「なんでハンカチ噛んだのよ。」


 梢*

 「……嫉妬、って、こうでしょ……?」


 美代子*

 「そうしてる人、周りで見たことある?」


 梢*

 「えっと、佐倉さくら……が、前にスルメイカで……。」


 美代子*

 「どんなシチュエーションよ、それ。いいから、もう、ハンカチ涎まみれじゃない。」


 身体測定の後、自習となった教室は騒然として、あちこちで笑いが起こり、三々五々、他人の言葉の尻に噛みつき、食らうのに躍起になっている。

 その喧噪と比べ、校舎に囲まれた中庭の静寂は辺りから隔絶して、その底に眠る二人の影は、どこか童話の一場面のようだった。


 梢は片肘を机につき、執拗に人差し指で唇を弄りながら、芝生に横寝する椿を見守る。


 美代子*

 「それでさ、あんた、身長伸びたの?どうなの?」


 梢*

 「…………伸びた、よ。」


 美代子*

 「へえ…………。」


 梢*

 「嘘じゃ……ない、よ。」


 美代子*

 「嘘だったら、帰り三戸部みとべん家でなんか奢ってよ。で、何センチ?」


 梢*

 「百……四十センチ。」


 美代子*

 「あんた……ほんと馬鹿ね。サバ読むにしても一センチぐらいにしなさいよ。どうせ確かめる術ないんだから。」


 梢*

 「……美代子、に、言われたくない。」


 美代子*

 「あんた、やっぱり私のこと馬鹿だって思ってるんじゃん。留年にケツってる馬鹿女って。白状しなさい。」


 梢*

 「……傷薬、お尻に塗る?」


 美代子*

 「あんたほんといい性格してる。……でも、まあいいや、放課後、椿のバカも誘って遊ぼう、忘れないでよ。」


 梢*

 「ぅん?……あぁ、お腹痛ィ……けど………椿に、よろしく……。」


 そうして机に伏せる梢に、その頭を撫でてやる美代子。

 簡素な黒いゴムで留められたポニーテールを解き、美代子は櫛でいてやる。


 美代子*

 「あんたは可愛いのに、それに気づくのはなかなか、至難の業というか、険しい道のりというか……。」


 美代子は幼馴染の友人をそう評して、自分の席に戻る。

 チャイムが不躾ぶしつけに鳴り渡り、あちこちに張り巡らされた会話の糸が一瞬でほつれ、断ち切れる。


 その大きすぎる音を、打ち寄す波音のように遠くに聞きながら、梢は重たげな瞼を持ち上げ、もう一度だけ、椿の姿をその目に留めた。






…………。


 時は少し過ぎて。

 梢が俯瞰ふかんし、森閑と切って取った中庭は、傍に並んで見ればなんということはない、懈怠けたいを帯びてよどんんだ、対流する時の溜まり場である。

 その渦に足を絡め捕られた者がまた一人、椿の下に姿を見せる。


 佐倉初代さくらはつよ

 光沢した真新しい制服を纏い、その黒髪は、形のない風が体を得たようにしてうねる。

 彼女は義憤ではなく嘲りでもって言葉を舌に乗せた。


 初代*

 「腑抜けてますね、先輩。」


 変わらず春の日盛りである。

 そこにあったはずの静寂は袈裟けさに切り落とされ、覆水盆に返らず、もう昼寝を続ける雰囲気でもない。


 メリア*

 「ん……ん?なに……?地震かみなり火事おやつ?」


 椿*

 「……お前にとっておやつは災害なのか。」


 メリア*

 「人、菓子に抗うこと能わず。その不合理さときたらもはや災害……じゃない。誰だ、私のシエスタを邪魔する同胞はらからは。」


 眠気眼を擦って起きるメリアの視界に、少女が濡羽色の髪を扇のごとく、仰々しいほどに広げ、憤然として迫る。

 涙ぼくろが煽情的で艶やか。

 その双眸の光彩は赤く透け、鼻梁も高く、どこか異国情緒漂うエスニックな雰囲気を湛えている。

 松葉を並べたような凛々しい眉を、彼女は鷹の羽のように雄々しく吊り上げ言う。


 初代*

 「先生に椿先輩を連れ戻して来いと頼まれました。なぜ私に一任されたか分かりますか?…………そうです、私が学年で一番美しい女性だからです。」


 椿*

 「…………。」


 初代*

 「美人は寛容です。例え先輩が自分の尻穴に指を突っ込んでその形状を自己分析する穴リストanalystだとしても。」


 初代の制服は手が施されており、スカートのヘム部分は無造作にハサミで裁断したように、短い箇所は太腿をほとんど露わにし、片や長い箇所は脹脛ふくらはぎを覆っている。

 抑揚の無い、直線的な彼女の両の足は、参差しんしと囲う紺のスカートから、その白磁はくじの素肌を見せつけ、人を蠱惑こわくする。


 だが、メリアもまた、誇りである金の髪でもってそれに対抗せんとする。


 メリア*

 「……おい 醜女しこめ。私の前で一体誰が美人、だって?」


 初代*

 「似非えせ日本人かつ似非外人のあなたには分からないでしょう、この微妙の、趣ある美貌は。」


 椿の学ラン、その襟を掴んで、まるで猫が子を運ぶように引きずらんとする初代は、そのままメリアに顔をずいと近づけ、挑発する。


 メリアは匂い立つ初代の香水、その鈴蘭の清涼さを鼻腔に感じて、なおのこと苛立ちをつのらせた。


 メリア*

 「先輩への言葉遣いがなってないぞ、醜女しこめ。」


 初代*

 「はっ。それはあなたが似非えせだから、正しく日本語が通じてないだけでしょう?」


 メリア*

 「ちゃんと通じてるわい!このゴキブリブ~ス。」


 初代*

 「黄金うんこ。」


 メリア*

 「…………か、陥没乳首!」


 初代*

 「陰毛ジャングル。」


 互いの鼻頭を噛み合うように、舌戦とも言えぬ野卑な言葉をぶつけ合う二人、その狭間で、椿は目頭を手で押さえる。


 椿*

 「おい、お前ら、互いに照れながら身体的特徴を暴露し合うな。それは人が一番やっちゃいけないことだぞ。だがまあ、お前らほんと仲良いな。さすがお下劣ゴールド&ブラック。」


 メリア*

 「誰がゴールドだ。」


 初代*

 「誰がブラックですか。」


 息の合った声が椿の脳天に落ち、時を置かず二人の蹴りが彼の背中に飛ぶ。


 椿*

 「いでぇ!突っ込みを脚ですんじゃねえよ!口だけじゃなく足癖も悪りいのか。」


 椿の咆哮が四面の壁に反響して、それに呼応したようにチャイムが鳴る。

 午前の終了を告げる鐘。

 それと同時に下校時間となる。

 どこからか波濤が岸壁に砕けるような音がして、中庭を音の奔流に飲み込んでいく。

 机やら椅子を引く、その騒音は規律的な人間の行為そのものとなって、そこに居る三人の奔放不羈ほんぽうふきただすよう。


 一人慌てたのは初代だった。

 彼女はチャイムに弾かれたようにして、途端に自分の腹を抱え込み、うずくまる。


初代*

 「…………う、お腹……痛い。なんて、こと……ひどいです、先輩。本当は好き、だったのに……こんな、酷い、です。」


 そしてさめざめと、腕で目を覆い隠し、涕涙ているいして見せる。


 外連けれんたっぷりの初代の演技。

 その一連の動きを睥睨へいげいしていた椿は、同じく演技がかった嘆息をし、そして覚悟を決める。


椿*

 「…………こいつ、いつもの保身に入ったな。」


メリア*

 「どうする君、先生が跳んで来るぞ。……二階から。」


 メリアの言につられ、校舎を仰ぐ椿の瞳。

 乳白色の壁、それと空を映す窓の一つに大柄な男が張り付いている。


 男*

 「処女こそ物の正義なり!!!」


 落下する孤影を椿は認め、彼はまた頭を抱えるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る