第十一話 白菫の真珠 -前編-
予想通り、他の部屋に異常はなく、カーディアンが密集していたのはベッケルが潜んでいた部屋への通路だけであることがわかった。
遺跡中のカーディアンがそこに集中配備されていたらしく、他の場所ではカーディアンに一回も遭遇しなかったのだ。
他の部屋の調査の間、サシェにはずっと気になっていることが二つあった。
ひとつは、禁書を読んだときにカーバンクル・カースが、霊獣カーバンクルと関係があるように書かれていたこと。
これは、帰ってからもっと詳しく読んでみないと何とも言えない。
もうひとつは、カリリエが見つけた手描き地図のソジエ遺跡のひとつに、しっかり丸が書かれていたこと。
かつて、その遺跡の最深部にサシェは入ったことがある。
そこにあるのは……。
ベッケルの目的について、ある想像がサシェの頭の中で形になりつつあった。
その日の夜、四人は無事にウィンダム連邦に戻り、月の大樹で受付のピククにホトルル遺跡の状況を報告した。
正式なレポートは、書記官であるピククが文章にして月の神子に報告することになる。
何者かが遺跡に潜み、カーディアンを操っていた。
証拠提出物は、魔導設備の応用について書かれた禁書。
ベッケルとカーバンクルにかかわる内容は報告しなかった。
禁書や羊皮紙の内容について、自分たちでもっと調べたかったからだ。
ホトルル遺跡の異常については、カーディアン関係のことだけで十分だろう。
技術院の技術者が禁書の記述を元に、魔導設備をリセットすることになるという話だった。
クルエルサイズをホノイコモイに届けるのは翌日にして、四人はそれぞれの家や宿で眠りについた。
冬が近づいていることを知らせるような、寒い夜だった。
***
「今日はひとりなのか?」
「ええ。ご希望のクルエルサイズを持って来ました」
サシェは、ディオから手に入れた大鎌をホノイコモイに見せた。
ウィンダム連邦一の大金持ちは、鎌を受け取ると目を細めて見入った。
「うむ。この柄の形状……話に聞いた通りだ。本物のようだな」
いいだろう――と、頷くホノイコモイ。
「以前、私の依頼を途中で放棄した件は、これで許してやる。わかったら、さっさと帰るがいい」
ミサヨと、特にカリリエを連れて来なくて良かった――とサシェは思った。
カリリエは間違いなく爆発していたに違いない。
こちらは死にかけたのだ――欲しい情報は先日訪問したときに伝えてあるのだから、“許してやる”だけでは引き下がれない。
「カーバンクル・カースという病気、あるいは白絹の衣についての情報が私の望みです。お聞かせ願えませんか?」
「ああ、そうだったな……」
金持ちの老人は、テーブルの上を見た。
そこには発行が遅れていた週刊魔法パラダイムの最新号が乗っている。
発行が遅れたのは、新聞社が天の塔の証言を確認していたためだった。
国中がランク10の冒険者サシェカシェの帰還を噂で知っている。
そこに“暗殺者を返り討ち”の記事が出て、週刊魔法パラダイムは飛ぶように売れているらしかった。
(サシェカシェには、利用価値がある。恩を売っておくのもいいだろう)
「……白絹の衣は、たった二着だけ製作された」
ホノイコモイが語り始めた情報は、他では知りえない貴重なものだった。
およそ百十年前――今は亡きタブジアナ侯国が、まだ海洋貿易で繁栄していた頃。
その国に希代の天才裁縫職人がいた。
彼が作り上げたのが、二着の白絹の衣だという。
それは彼の娘のために作られた。
娘の病名は、カーバンクル・カース――。
「それは、本当ですか?」
思わず叫ぶサシェ。
「信じる信じないは、おまえの勝手だ。続きを聞きたいか?」
「もちろんです」
白絹の衣は常に着用し続けた状態で、三年三か月の間効力を発揮した。
三歳のときから着用した娘は――。
「六歳でこの世を去った。ボロボロの炭になってな。二着目が盗難にあい、三着目は製作が間に合わなかったからだ」
淡々と話すホノイコモイ。
百年以上前の話だ。
娘の死を嘆き悲しんだ職人はもうこの世にいない。
そして――盗まれた二着目の白絹の衣は、長い間行方不明のままだった。
「若い頃にタブジアナに渡ってその話を聞いたわしは、白絹の衣を探し回った。それは若い商人の魂を引きつけるのに十分な商品だった」
「あなたが、そこまで白絹の衣にかかわっていたとは……」
そうだ――と、ホノイコモイは言った。
だが、見つからなかった――とも。
「おまえの話を聞いて、わしはある意味ホッとしたのだ。白絹の衣はすでに使用されて商品価値は百分の一以下だろう。しかしずっと心に引っかかっていたことに、決着がついたとも言える」
壁に掛かった絵画を見つめる老人の眼差しは、ずっと遠くを見ているようだった。
帰りぎわにホノイコモイが木箱を見せた。
その中には、様々なアイテムが無造作に放り込まれていた。
「今の話は、盗まれた白絹の衣の行方という情報に対する礼だ。クルエルサイズの報酬は、ここから適当に持っていくがいい。……一般には商品価値のないものばかりだが、冒険者のおまえには役立つものがあるかもしれん」
たしかにガラクタばかり――そう思ってひとつひとつ確認していたサシェの目にとまる物があった。
「これをいただいても、かまいませんか?」
サシェは小さなサーメット製の札を三枚手にしていた。
「何だ、それは?」
「市民にも、一般の冒険者にも必要ないものですが、他にめぼしい物もないようですので」
サシェとホノイコモイの目が合った。
老人は、サシェが見せた物が何かを思い出したようだった。
「ふん、よく言うわ。たしかに“それ”が必要な冒険者などめったにおらんだろうが……。おまえは物好きだなサシェカシェ。それが必要な場所に行って、生きて帰れると思っているのか?」
「まだ行くと決めたわけではありませんが、興味だけでそんなところに行ってみるのも冒険者です」
やれやれというジェスチャーを見せるホノイコモイ。
「好きにするがいい……」
「ありがとうございます」
ホノイコモイ邸を後にしたサシェは、その収穫に満足していた。
白絹の衣が他に存在しないことがわかった。
およそ百十年前に、カーバンクル・カースが発生していたこともわかった。
マリィが生まれたのが十年前。
モンブラー医師からもらった週刊魔法パラダイムの記事に書かれ、ホトルル遺跡で実物を見つけた禁書――そこに載っていた“百年に一度発生している”という記述に合致するように思える。
そして、白絹の衣に
マリィが着用を始めたのが依頼を受けるちょうど三年前。
それから二か月がたってしまっている。
――ということは、期限はあと一か月しかない。
あと十か月以内にメドをつけようと思っていた。
その予定を大幅に前倒ししなければならない。
(間に合うのか……? ……いや、間に合わせるんだ)
サシェは腰の小物入れに入れた三枚のサーメット製の札を確認した。
同じ物が、サシェの背中のかばんの中にもひとつ入っている。
それは、ソジエ識別札と呼ばれるアイテムだった。
***
「お疲れさまです。その様子だと、情報を聞き出せたみたいですわね」
家の前で、サシェの帰りをアンティーナが待っていた。
「ええ、話は夕食時にでも皆がいるときにしますよ。そちらも何かわかったことが?」
今朝、ミサヨ、カリリエと四人で会ったときに決めていた。
サシェはホノイコモイ邸を訪ね、残りの三人はホトルル遺跡で見つけた禁書と羊皮紙を調べると。
「それもありますが、その件は夕食時にでも……実は、折り入って話があって待っていましたの」
「…………」
サシェは少しとまどった。
このアンティーナという若い女性――年齢は二十四歳と聞いている――は、何というか、突拍子もないところがある。
突然、予想もしない行動に出ることがあって、“良く言えばミステリアス、悪く言えば天然”というのがサシェの印象だ。
「部屋に入れていただけますか?」
「あなたは命の恩人ですから、もちろんです」
そう言って、サシェはドアを開けた。
いつも“不遜”と言っていい態度のアンティーナが、このときはなぜか殊勝な様子に見えた。
「それは違います。先に救っていただいたのは、私のほうですから」
この後の展開は、やはりサシェの予想をこえていた。
「え?」
思わずサシェは聞き返した。
聞き間違いだと思った。
家の中で、サシェは自分のベッドの端に座り、アンティーナはその正面でタルルタ用の小さな腰掛け椅子に座っている。
身体が大きいアンティーナなので、ヒザをかかえるような座り方になっていた。
アンティーナが、もう一度繰り返した。
「私の主人になってください」
「……それは、プロポーズですか?」
とりあえず質問をするサシェ。
とんでもないですわ――と、アンティーナが否定した。
「魔法院で自分の幸せについて考えていましたの。何者にも縛られず、自由に生きる冒険者のサシェさんを見て、そういう生き方をしてみようかとも思いましたわ」
話が繋がらない――ので、サシェは黙って聞いていた。
「でも――幼少時からブレソール卿を崇拝し、絶対服従があたりまえの環境で育ったせいでしょうか……自分に心から正直になるのであれば、新たに信頼できる人を見つけ、そのお方のために生きることこそが私の幸せだと思えますの」
それは、例えば騎士が主君に忠誠を誓い、そのために生きるのと同じなのだろうか……?
少し違う気がする――とサシェは思ったが、よくわからない。
「サシェさんに感謝していますわ。私を従え、私に命令を下す主人になってください。お望みであれば、姉がベッケルにしていたように夜の――」
「ま、待ってください」
思わず大きな声を出したサシェ。
もうずいぶん前に見た、あのカリリエよりも大きい乳房を思い出してしまった。
軽い自己嫌悪とともに心を落ち着かせる。
「…………」
よく見ると、アンティーナはうつむいて顔を真っ赤にしていた。
普段の尊大な態度の彼女からは想像できないが、少し震えている。
決死の覚悟で話していたことがよくわかった。
それはそうだろう、自分の一生を預けると言っているのだから……。
そうは理解したものの、サシェは困った。
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