夜空の琥珀
はーこ
新緑と陽だまりの編入生①
夜が怖かった。長く、孤独な気がして。
いつか太陽を飲み込み、朝を奪ってしまうのではないかと、謎の不安にさいなまれる日々。
おびえてばかりの幼い私を、お母さんの優しい手と声が、いつだってなぐさめてくれた。
「どうしたの? セラちゃん」
「……ひくっ、みんながセラのかみ、へんだっていうの」
「まぁ、そんなことないのにね! セラちゃんの髪も、とーってもきれいよ。なんたって、お月さまの色なんだもの」
「ほんとうに?」
「あら、お母さんがウソついたこと、ある?」
「……ない」
「ふふ。ねぇセラちゃん、そんなに泣かなくてもいいの」
果てしない闇夜でも、お母さんは、昼間と寸分違わぬ笑顔を浮かべている。
深海色の瞳に吸い込まれ、いつしか、悲しむことさえ忘れさせられた。
「なかなくても、いい?」
「ええ。だから、これだけはよく覚えておいて」
額縁代わりのガラスの向こう、見上げた夜空の中央に、琥珀色の光がぽうっとまん丸な円を形作っている。
にじみ出る光はやわらかで、それでいて、凛とたたずむ。
目を奪うほど、綺麗だった。その美しさは、お母さんの言葉とともに、いつまでも胸に残っている。
「お月さまはね、セラちゃんのことをずうっと見ているの。どんなに悲しいことがあっても、きっと守ってくれる。あなたは、独りじゃないわ」
☆ ★ ☆ ★
「お母さん……」
しばらく寝ぼけ眼でぼんやりとしていたけど、ハッとして周囲を見渡す。
誰もいない、静まり返った教室。
(そっか……まだ朝早いから、みんな来てないんだ)
ようやく状況をつかむと、笑ってしまった。
「お母さんって寝言で起きるの、カッコ悪いなぁ」
思いっきり伸びをして、窓に映った自分に視線をやる。
ゆるいウェーブがかった黄金色の髪が、朝日にきらめいた。
瞳はブラウン。うん、いつもとおんなじ私の顔。
「大丈夫、私は今日も頑張れる。だからお月さま、力を貸してね」
懐かしい記憶に浸るのはおしまい。
両頬を平手打ちして、気合いは充分!
「よしっ!」
そうして私は、すっくと立ち上がったのだ。
☆ ★ ☆ ★
私の通う都立
梅雨の雨脚もすっかり遠のき、これからが夏本番という7月初旬。
快晴の空のもと、細長いえんじの包みを片手に、渡り廊下を急いでいたとき、ちょうど向かいから男子生徒がやってくるのが見えた。
「よぉ、
「……げ」
条件反射で口元が引きつってしまう。
ヤバイですお月さま。朝っぱらからごめんなさい、力を貸してください。
「なーに持ってんのかなぁっと……なんだ、愛刀か。朝早くからゆすりに向かおうとは、ご苦労なこったな」
(ゆすり……っ!?)
うろたえそうになるところを、グッと踏ん張る。
ここで引き下がったら相手の思うツボ。すうっと深呼吸をして――
「ざれごとほざいてンじゃないよ。こっちは夏の大会で忙しいんだ」
強い口調は、私の精いっぱいの虚勢。
ナメられないように毅然とするの。大丈夫、私にはお月さまがついているもの。
「んだと……!」
さらに言い募ろうと相手が動くのを認め、仕方なく肩にかけていた包みを下ろす。
包みと同じえんじの紐をほどき、間もなく現れたのは四尺弱の竹刀。
それを握りしめ、男子生徒の目前に掲げてみせた。
「くだらないことするヒマあったら、ちったぁ勉強しやがれ」
……痛いくらいの沈黙。
舌打ちが聞こえ、やがて忌々しそうな視線を置き土産に、男子生徒は去って行った。
その背中が渡り廊下を曲がって見えなくなると、やっと竹刀をおろし、
「こここ、怖かったっ!」
ヘナヘナと、その場に崩れ落ちた。
「おなか痛くなってきた。性に合わないことはするもんじゃないな、はぁ……」
……私は、異質な髪の色から周囲に恐れられている。
いわゆる、不良というモノを思わせたのだろう。子供のころからやっている剣道の竹刀も、私が持つだけで不良の金属バット的なポジションに置かれてしまうんだ。
そんな私に近寄る人がいたとしたら、さっきみたいな人たち。
同類だと勘違いしたのか、しばしばちょっかいかけてくるけど、一言いいですか。
違いますから!
私はウワサみたいに強くないし、実際は気弱な小心者。
でも入学したての頃、間違って殴っちゃった相手が運悪く上級生だったことがすべての始まり。あれよという間に恐怖は全校中に広まった。
自業自得といえばそうなんだけど……
「それにしたってひどくない? 私、不良じゃないもの! 髪だって地毛よ。抗いようのない遺伝子の力を前に、どう立ち向かえばいいっていうの、教えてよメンデル!」
叫ぶ。そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだ。
どうせひとりなんだし、誰も聞いてやしないんだから――
「あの」
(…………空耳?)
右を向いて、次は左。
誰もいない。首をかしげ、うなずく。
そうよ、誰もいないはずだったもの。それを踏まえた上で叫んだんだから、誰かに見られたなんてバカな話……
「あの」
……今、脳内をある可能性がよぎった。
(……まさか、後ろ?)
そろり、と振り返り、硬直。
そこには……ひとりの青年が、立っておられました。
「きゃぁあああっ!!」
バサバサバサッ!!
近くの小枝で羽休めをしていたハトさんたちもビックリの悲鳴を、響かせてしまった。
「見たっ? 今の!」
「え?」
すぐに返答はなかったけど、大きく見開かれた瞳が「見てしまった」ことを如実に物語っていた。
(ウソでしょ!?)
失礼を承知で、青年をガン見する。
どちらかといえば細身。黒い前髪が少し目にかかるけど、清潔感のある髪型。
それにシンプルな黒フレームの眼鏡と来て、どこにでもいそうなごく普通の生徒だ。いいな、私もそんな風に言われてみたい…… じゃなくて!
「すみません、少しお時間くださいな!」
有無も言わせず詰め寄る。ヤンキー口調でないあたり、もうすでに諦めの境地に入っている。
こうなれば、すべきことはただひとつ!
「ウチの制服着てるから、ウチの学校の人でいいんですよね!」
まずは身元の特定を……おっといけない、そんなおっかない表現をしなくても。
青年はあぜんとしている。
驚かせすぎちゃった。ここは穏便に済ませなくちゃ!
「コ、コホン。ごめんなさい、私ったらビックリさせてしまって。おほほほ」
即席の笑みで、ごまかそうとしてみた。
けど、見られてる。
超見られてる。
そんなに見つめられたら、恥ずかしくなっちゃいます……
「ふふっ」
「……は?」
青年が口元に手を当て、こらえきれないように肩を震わせている。
まず自分の目と耳と状況処理能力を疑った。
笑った?
なんで??
笑いの要素なんてどこにありました???
「すみません。ぶしつけに笑ってしまって」
「いえいえ……それより、私のこと怖くないんですか?」
戸惑いながら口にして、後悔した。
そんなことを訊くのは野暮だ。私本人を目の前にして、答えなんて返って来るはずないんだから。……それなのに。
「怖くなんかないですよ。面白いなぁとは思いましたけど」
……笑われてるなんて、どうでもいい。続く言葉は奇跡だ。
信じられない。私を怖がらない人が、校内に存在するなんて。
ふと、彼が着ている制服に目が行く。
「襟の色が同じってことは……もしかして、私と同じ2年生?」
ライトグレーのズボン・スカートは全学年共通だけど、我が光涼高校では、学年ごとに制服の色がところどころ違う。
私と青年が着ているシャツの襟は青。今年の2年生の指定色だ。ちなみにリボンとネクタイも同じ色で、白と黒の混じったストライプ柄。
「敬語は使わないでくれるかな? 同い年なんだし」
青年はしばらく目をぱちくりさせていたけど、やがてふんわりと笑顔を浮かべた。
「うん、ありがとう」
……こんな反応は、初めてのことだった。
なぜそこでお礼を言うのか。そして笑うのか。
「えっと、見ない顔だけど……何組?」
「A組だよ」
「えっ?」
――2年A組。それは、私のクラス。
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