第6話
「第七師団屯営にて、異神の発生を確認!」
「現状陸軍が応戦中とのことですが、地表や地下を無作為に泥化させながら、外に出ようとしています」
「……だから、没収した神域の上に建てるなってあれほど忠告したのに」
『賢木の枝』駐留部隊二〇名は、副長駿の指揮とぼやきの下、自分たちの戦地へと向かっていた。
節操のない町雀たちには、霊力を高めるとされる紋様を裏地に施したマントに絣の着物という袴という姿は、未だ馴染みが浅く、徒歩で歩く姿はさながら役者の行列のようで、好奇と笑いの種だった。
だが、とりわけ此度の『出征』はさらに奇異の目を向けられたことだろう。
何しろ最後尾には、牢をそのまま馬車と連結させて、そこに美少女とも美少年ともつかぬ、奇妙な人間がしまい込まれていたのだから。
その獄の上辺に、例の斬りかかってきた少年は腰掛けていた。
一人分余計に加わった重圧に、馭者も馬も辟易していたが、何も言わない。諦めている。この少年の奇行奇癖は今に始まったことではなく、どれだけ文句を言い立てようともあらたまることがないだろうと、隊員のみならず畜類でさえ知っているようだった。
半身をひっくり返した彼は、牢の中をじいっと丸い目で覗き込んでいた。
手に錠を下ろされ、膝を抱えてうずくまる澪は、彼を睨み返して言った。
「雌雄も、人かどうかさえも分からない珍獣を見るのは楽しいか?」
「楽しいと言ってもらいたいのか?」
純粋に問い返されて、澪は舌打ちして目線をそらした。
「楽しいと思われたいなら動いてみせろって。でなきゃつまらんだろ。ほれ、お手」
牢の向こう側から差し出された手を、切り取ってやろうかとも考えた。
だが今は本当に刃物など持ち合わせてはいない。力を使えば彼の佩刀なりをかすめ取ることもできるが、そうしようとした場合、怒りよりも徒労感の方が勝る。
「ただまぁ、もったいねぇとは思うよ」
と彼は言った。
「だってお前、その気になれば逃げられるだろ」
それは事実だった。
指先一本、あの老人の言うところの『深層世界』とやらに浸してしまえば、その世界を介して牢を破れるし、ここにいるすべての生命を刈り取ることだってできるはずだ。
だが、命を握られているという自覚がありながら、その少年は泰然としていた。
「その神様の力があれば、どんなことでもやりたい放題じゃねぇの。俺だったら、まず金。で、それで饅頭を買う。で、その次に団子を買って、次に草餅を」
などとうわごとのように自分の世界にひたる彼を、
「勝手なことを言うな」
と低く恫喝した。それではも、女の声のようだった。二年前から、とうに声変わりして良いものなのに、一向にその兆候が見られない。背や骨格だって、あの時のままだ。
澪は幼さを十分に残した顔を持ち上げて睨み据えた。だがその先に、少年の実像はない。あるのは、狂喜する父親の虚像だった。
「お前は選ばれた! 特別なんだ、わかるか!? これで皆が救われる」
この世の終わりのような地獄のなか、悪夢とも思える力づくの寵を得た後、濁った白で汚れた白無垢をつかみながら、その男は涙を流して喜んでいた。
信心深いひとだった。同時に、自分よりも他者が傷つくのに耐えられないひとだった。……弱い、男だった。
どれほどに信仰厚く神を奉じ、祈りをささげても、父の想いに竜神は応えなかった。
飢餓のなかで民は、私財をなげうった炊き出しの少なさに憤り、たくわえを秘蔵しているのだと怒った。倉を破り、次に植えるはずだった種籾を奪い取り、まだ食えぬと分かるや激情に任せて海へと投げ捨て腐らせた。
家伝の書物をその価値を理解できぬままに焼き、めぼしい財はたとえそれが母の遺品の安物の櫛であったとしても奪い去った。
やがてそれで作った金を使い果たすと、今度は父の祈祷が怠惰であったのだと責め、石を投げて罵倒した。
あの婚姻は、そうした煉獄の日々で神経をすり減らしたすえの、狂行だった。
だが、新政府は、すべてを犠牲にして守ってきた宮を、破壊した。
神は去り、死に、神子は『兵器』として取り上げられた。
その後、父の行方はようとして知れない。
海に身を投げたとも風聞で流れてくることもあった。郷里の出の者が、それらしき乞食を見たと噂していることもあった。
その言葉を、想いを、少年は一度も語ったことがない。言わずとも、この世界の何もかもが腐乱に満ちていることはわかっていた。
海も、父も、里も民も、新旧問わず国家だとか政府だとかも。
だというのに、なぜこの男は平然と、無遠慮に、その沈黙に踏み込んでくるできるのか。
「何も、知らないくせに」
感情が、発露した。
聞かせるつもりはなかったが、それでも彼は自身に向けられた言葉だと汲んだらしい。
「たしかに、お前の素性を聞いたところで何もわかっちゃいないなぁ」
のほほんと、どこ吹く風と平坦な調子で言った。
顔が、牢の上から引っ込んで、代わりに「あ」という呼気だけが漏れてきた。
「何も知らないってので思い出したけど、ひとつかなり大事なことを言い忘れてた」
何を、とは澪は聞かない。聞かずとも、少年は勝手に続けた。
「俺は、東雲霧生だ」
……何かを誇るような調子で、堂々と自己紹介だけをした。
それ以上は、何も言わなかった。
澪は脱力とともに、後頭部を鋼の格子にもたれさせた。
語られたのは名ばかりだが、どこかずれておかしいということは、今この瞬間までの交流で理解できた。
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