第一五話 アニキ自慢のトイレと銭ゲバ典厩

 ■天文一〇年(一五四一年)七月 甲斐国 躑躅ヶ崎館


 とりあえず、方針は決まった。おカネを作って、麦を確保してうまく年を越そう。おカネをつくる前に、まずは家中の無駄遣いは減らすべきだ。

 当然のことながら、一番無駄遣いが危うそうなアニキをマークだな。


 ところが、アニキの姿が館に見当たらない。庭で散歩している気配もない。また湯治でも行ったのだろうか。


 湯治で思い出したが、へなちょこアニキは、やっぱり色白の見かけどおり病弱なんだよ。ちょくちょく湯村(甲府市湯村)に湯治に行っている。この時期の湯治というと、温泉を楽しむという面より、療養の意味合いが多いからね。

 信玄公は労咳(結核)だったとも言われているしな。おれが張り切って頑張っても倒れられたら困るぞ。納豆とか食べさせればいいのかな。確か良質なたんぱく質が豊富に含まれていると聞いたし、お腹も壊しにくいはずだ。


 そういえば、アニキの病弱がらみで悪いニュースがあったのを忘れていたよ。

 永田徳本とくほんというお医者さんがいるんだ。婆ちゃんはどんな治療でも一六文(一六〇〇円)しか治療費を取らなかった伝承があるので『十六文先生』と呼んでいたな。製薬会社の名前の由来にもなっているね。

 その徳本先生は、武田家お抱えの侍医だったのだけれど、親父信虎が追放された後に、どこかに消えてしまったらしい。アニキの身体をぜひ診てほしいんだ。徳本先生は、できる透破の富田郷左衛門さんに居場所を探してもらって戻ってくれるように説得してみよう。


 ともあれ、アニキを探しているうちに、よく見かける小姓がいたので、行方を聞いてみたら「御屋形様は厠です」とのことだ。

 体調を悪くして、倒れていると大変だ。恐らく新しくアニキが造った厠だろう。新築の厠に駆けつけてみたら、扉の前には小姓が二人。済ました顔で、座っている。


「御屋形様は厠の中か? なかなか戻らないので、心配になって様子を見にきたのだ」

「ええ。中にいらっしゃいます」


「おーい? たろさ。大丈夫かあ」

「ああ。じろさか。『山の間やまのま』に入るかい?」


 呼びかけてしばらくして、扉を開いて手招きするアニキは特に具合が悪い様子もない。しかし、トイレに招き入れるとはどういう神経だよ。


 え? 厠に入るとそこは部屋でした。

 六畳ほどの畳敷きの部屋。ご丁寧に文机ふづくえまで設置してあって、どうやらアニキは読書をしていたようだ。これがトイレなの?


「どうだい? じろさ、『山の間やまのま』は。ここの紐を引っ張ると水で流せるんだ。見ててごらん」


 水洗トイレだと!? 水道もないのにどうやって流すんだよ。アニキが紐を引っ張ったところ、鈴のようなカランカランとした音が屋敷の外でして、確かにサラーッと水が流れてきた。

 アニキは考えに考えた設計を実現させた体の満面の笑みだ。


 外に小姓が控えていて、鈴の音を合図に風呂の残り湯を樋に流しているらしい。なんというか、斜め上の発想で何もいえません。


「な……なんかすごいね。でもどうしてこんな広いんだ?」

「ここだと、静かに読書できるからね。それに万が一刺客が襲ってきても、狭い厠だと逃げられないけれど、このように広いと逃げられるかもしれないでしょ?」


「ああ、確かに刺客がきたら広いほうが安全かもしれないな」

「そうだろう? 山のように草木(臭き)が絶えないだろう? だから『山の間やまのま』と名付けたんだ」


 と、嬉しそうにネーミングの由来を教えてくれるアニキだ。

 くっ。センスはあるけど、この無駄遣いはどうなんだ?


 でも、怒れない。怒れないんだ。やっぱり、おれもアニキのことが好きなんだろう。もう造ってしまったのはしょうがないか。

 だが、これからの無駄遣いは許さないぞ。絶対に阻止しよう。


「山の間か、さすがたろさだ。教養に溢れている名だね。ところで、今後臨時のついえってあるかい?」


「ああ。八幡神社の宝物殿を修理したいって言われちゃってさ」


 だめです。絶対駄目です。宝物よりカネが大事です。許可しません。


「ああ。了承しちゃったんだろ? 今年の修理は無理だ。施すための麦が買えなくなってしまう。おれが話をつけてくるよ」

「そうだね。修理にはお金がかなり掛かるらしいから、みんなに配る麦が買えなくなってしまうよね。じろさは頼りになるなあ」


 修理をしたら、まずいことなど百も承知というところが、少々頭にくるけれど、とりあえず、少し予算は獲得したぞ。

 他にカネを稼ぐ方法はないだろうか。


 カネを稼ぐには、やはりカネを持っているヤツから奪うのが早いだろう。カネを持っているヤツはどいつだ? まるで銭ゲバだな。だが、来年までは銭ゲバ典厩でいいや。

 あ。黒川金山の金山衆の頭領田辺新左はカネを持っているだろう。おれが釘を刺すまでは絶対にかなり中抜きをしていたに違いないぞ。

 新左……新左から、カネを巻き上げてやろう。新左ってそういえば、新左衛門のことだよな。閃いたぞ。


「なあ、たろさ。黒川金山の田辺新左に『左衛門尉さえもんのじょう』を許可してやろう。その代わりカネをたんまり貰ってくるよ」

「ああ。朱印状書けばいいんだろ? 将来の当主にもあわせて許可する形のほうがいいだろうね。後はじろさに任せるよ」


 左衛門尉は本来は、朝廷が許可する官職の一つだ。だが、この時期は僭称せんしょうといって朝廷に関係なく領主が官職の名乗りを許可するケースも多い。

 スルガ爺の駿河守、ビゼン爺の備前守、ヒョーブ爺の兵部少輔ひょうぶのしょうゆうなどは全て親父信虎が名乗りを許可している僭称だ。

 許可された側では、朝廷の許可した正式な官職ほどのステータスはないけれど、一定のステータスを誇示できる。ハクがつくといっていいだろう。


 特に、金山衆の田辺新左は武士ではないのに武士並みのハクがつくのだから、これはカネになるはずだ。

 よし。この調子でどんどんカネがあるところから巻き上げていこう。

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