第八話 甲斐の地方病はとても厄介。さらには佐久郡失陥、諏訪氏離反という悲報が
■天文一〇年(一五四一年)七月 甲斐国
アニキが呼んでくれた坂田さんは、伊勢から流れてきたんだって。坂田
とりあえず、人手が足りないから多少の経費が掛かってもいいから、必要なモノを入手したり、道具を作るルートを開拓しながら、実際の製作をお願いしたいね。
「厳しいことをお願いするだろうが、期待しているぞ!」
「は、はいっ!」
なにやら、源右衛門さんは、怯えているような気がする。細めの身体がさらに細身になっているようにも思えるな。気にしないでおこう。まあ、いいや。
「坂田屋の初仕事として、蕎麦の種。それから木綿の種がほしい。甲斐で栽培したいのだ。栽培方法も知りたいな。後は桑の苗と蚕の卵だ」
「はいっ! 探します」
「頼むぞっ! 甲斐で一旗あげてみろ」
とりあえずは、蕎麦の種だな。蕎麦ならば痩せている土地でも栽培は問題ないだろう。木綿はちょっとした賭けだね。木綿は、本来は暖かいところの植物のはずだから、正直なところ甲斐でうまく栽培できるかはわからない。だが、甲斐の夏は暑いし、平成でよく全国一の気温になってたりしたからな。
熱帯並みの暑さといってもいいから期待はしている。
木綿が栽培可能だったら、まず布団を何とかしたいのはもちろんだ。今は畳の上に直接寝て、夜着という大きな着物を掛け布団代わりにしているからね。
木綿は換金可能な商品作物として期待できるし、それこそ木綿ふとんを売り出してもいいかもしれない。高級品となるからこれまた金を稼ぐ手段になるだろう。
養蚕は大丈夫なはずだ。山梨県では製糸工業がかつて盛んだったと習った覚えがある。たぶん、平成ではブドウを作っていた段々畑に桑を植えることになるのだろうね。
考えてみるとどちらも繊維系だな。
平地が少ないうえに、洪水の危険性も高いので甲斐は米作にはあまり向いていない。さらに米作に関して、悪条件はあるぞ。まるで罰ゲームのようで笑えないけれど、地方病だ。
『地方病』というと、一般的には、一定の地域に定着している病気のことだけれど、山梨県では地方病といえば日本
平成でいう甲府市、甲斐市、韮崎市、南アルプス市の笛吹川、釜無川の流域が地方病の主な発生地域だった。
過去形でいうのは、明治から一〇〇年以上掛けて地方病を撲滅したからだ。終息宣言が出されたのは、平成に入ってからで、おれが生まれる少し前だった。もちろん、明治以前から、地方病は
つまり、この時代でも地方病は発生しているというわけだ。
これから、酷い発生場所の調査もしなくてはいけない。地方病はミヤイリガイという米粒ほどの大きさの貝が影響している。
ミヤイリガイが棲む水域は、寄生虫の影響で『毒水』となる。毒水に皮膚が触れると体内に寄生虫が入り込み、不治の病の地方病を発症し、まず死に至る。
やっかいなことに、ミヤイリガイは『水陸両用』な貝だということ。カタツムリのように、水路から草原に揚がれば、草露すら毒水になるし、人家の窓にまでびっしりと貼り付く有様だったそうだ。
ただし、地方病への対処法はわかっている。寄生虫が生きるためには、ミヤイリガイが必要だから、ミヤイリガイがいなくなればいい。ミヤイリガイは、流れがゆるゆるした川や水路、池や沼に生息する。
だから、甲府盆地の水田の水路は、ミヤイリガイが棲めなくなるようにした。水路の流速を速めるために、全てコンクリートの水路にするという工事をしたんだって。これは、婆ちゃんに聞いた話だ。
全水路のコンクリート化の前には、水路に消毒剤や生石灰を撒いたり、箸で摘んだり、地道にミヤイリガイを殺したそうだ。
あの本では、全ての水路や池を潰して米作を諦めて、甲斐以外の国から米を買うようにする対策を採っていたけれど、さすがに現在は、他に米作の期待できる土地を領有していない武田家では、そこまで大胆な対応策は無理だ。
酷い場所を突き止めて、水田を潰していくという、緩やかな対応が現実的な対策だろう。
そんなこんなで、頭を悩ませているときに、さらに頭痛の種が舞い込んだ。
『佐久郡、敵の手に落ちる。諏訪
佐久防衛のための出兵をしなかったため、ある程度予想はついていたのだけれど、武田に味方していた佐久郡の国人衆の大井氏、平賀氏、内山氏、志賀氏らが、戦わずに山内上杉軍の長野
佐久郡の約五万石の領土が失われたことになる。
さらには、五月に村上・武田・諏訪の同盟で海野平で共に戦った諏訪頼重が、業正と単独で和睦してしまった。つまり、隣国の諏訪郡が敵に回ったに近い。
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