神様 エピソード・ゼロ

杉背よい

第1話

1.

私は神様です、って言ったところで誰も信じないんだろうな──。


神様は大都会の真ん中を、両手に紙袋を下げて歩いていた。上下紺色のジャージを着て、背中には黒いナイロン製のリュックサックを背負っているが、柔らかそうな茶色がかった猫毛の長髪を一つに束ね、面相だけは異様に整っているため、ある種異様な雰囲気を醸し出している。

「暑い……」

そして雑踏。

神様は人でごった返した通りを抜けて、歩道橋に上ると、そこから下の道路をいつまでも眺めていた。

時折勘違いした人が「兄ちゃん早まらないほうがいい」と言って肩を叩いたり、涙ぐみながら二百五十円を手のひらに握らせてくれたりした。

神様は手のひらの二百五十円をしげしげと見つめる。

──ペットボトルの飲み物と菓子パンが買える金額ということかな。或いは立ち食いそばか。

「親切な人だ。覚えておきましょう」

そう思いながら二百五十円をジャージのポケットに入れる。ちゃりちゃりと小銭の擦れ合う音がした。

「あ、ダメだ。もう顔を忘れてしまった」


神様は年に一度のバカンスの真っ最中だった。普段天界にいる神様の周りには浮世を忘れさせるような美しい景色で溢れていた。だから神様はわざと人と物で溢れた繁華街などに現れて、景色を目に焼き付けたり買い物をしたりする。

少し物思いに耽る間にも、「カットモデルやりませんか」と声をかけられた。物憂げなオーラを出し続けることで相手は去っていった。

神様にはたくさんの兄弟がいた。

 一番年上でかつ権力のある神様から順に任される国と財産を分配された。神様が言うのも難だが、兄の神様たちは頼りがいがあり、向上心もあった。

「よっしゃ、俺が任されたからにはこの国幸せにしてやるぜ」

 というようなやる気が漲っていたし、事実そのために奔走していた。いや、このジャージの神様にももちろんそのモチベーションはある。

 しかしヒエラルキーの下のほうに位置する神様に託されたのは、比較的小さな美しい島国と、身の回りの世話をしてくれる精巧につくられた紳士の姿をした人形だった。


「藤井」と名付けられたその人形は、昔おとぎ話で聞いた猫しか与えられなかった末っ子をゆくゆく王様にしてくれるような気概もなければブーツも履いていない。しかし、神様には藤井の細やかな気遣いと、好きなジャージと美しい島国の穏やかな日常があればそれでいいのだった。

「ふう。そろそろ回りたいところも回ったし、帰りますかね」

──一応街も平和と言えば平和だ。

 神様がぼんやりと眺める往来の、一本横道に入ったところでは少年が殴られ、女性のバッグがひったくられていたが、神様の目には入っていないようだった。

 そのとき、再び神様は声をかけられた。

「それ、ヴィンテージのジャージ?」

 何ですか?

 び、びんてーじ?

 神様が不器用に発音しながら振り向くと、そこには制服姿の男子が立っていた。

中学生ぐらいだろうか?攻撃的な雰囲気を全身から醸し出しているにも関わらず、妙に人懐こくもある。

「違います。定価で買いましたし、かと言ってブランド品でもない」

「ふーん」

男子がつまらなそうに答えたので、神様は真面目に相手をしてしまったことを恥じた。

そしてよく観察してみると、中学生ぐらいに見えた男子は、顔に年齢不相応なしわがあり、世慣れた顔の表情筋の使い方をする。つまり、制服姿の成人男子だとわかった。

「あなた、失礼なようですが学生さんではなさそうですね」

神様は話しているうちに不安になり、慌てて補足した。

「趣味ですか? 私がジャージを着るみたいに」

すると男子──成人男子は真顔で神様の顔を見つめた。

「違います。思い出です」

 大真面目な口調で、成人男子は答えた。

「はあ……思い出」

 鸚鵡返しに神様はくり返した。真意を掴みかねている神様の横にすばやく回った成人男子は、同じように歩道橋から下の国道を見下ろしていた。

「あなたも相当なものですよね。こんなふうに道路を見下ろしているなんて、今どきミュージックビデオの登場人物ぐらいなものでしょう」

 神様はどきりとした。ミュージックビデオを好んで見ていたからだ。

「そ、そういうわけでは……」

「でも僕も、同じようなものです。僕が制服を着ているのも感傷のため」

 そう言って、成人男子は白い歯を見せて笑った。


2.

「あなた、自転車に乗って海へと続く道を笑いながら走ったことあります?」

 制服姿の成人男子は、またもや大真面目にそう言った。

「そんな清涼飲料水(夏の)のCMみたいなことはやったことがありません」

 正直に神様は答えた。

「ですよね」と成人男子は深く頷いた。

「笑いながら二台の自転車で友達と海へと走ったり、今は法律違反ですけど二人乗りしたり、片想いしてる先輩が急に出てきてパニック状態になったり結果それがいい作用をもたらしてまんざらでもない雰囲気を生み出したり……したことないですよね」

 成人男子の演説は止まらなかった。

「……ないですねえ」

 神様も素直に頷くしかなかった。ヤバい奴にからまれてしまったなあと思いながら。

「どれか、いっこだけなら」

「えっ?」

 成人男子の目がいよいよ熱を帯びてきた。傍らの神様の焦りはそれと同時にぐんぐん上昇していく。

「どれか一個だけなら叶えてくれるって言われて戻ってきました」

──え?

 見ている間に、成人男子の体が透け始めていることに神様は気付いたのだった。神様は事の全容を少しずつ理解し始めていた。

「気を悪くしないでくださいね」

 神様はおずおずと訊ねる。

「……あなたは亡くなった方ですよね」

 制服姿の成人男子は、口を横に引くようにして微笑んだ。初めて出会った時よりも、いくつも歳を重ねたように見えた。

「そうですよ。何番目かの神様」

 知っていたんですね。神様は力なくそう言った。


3.

 何が楽しくて、本当のバカンスのような土地に行かなくてはならないのだ──。

 神様と成人男子は、並んで電車に腰かけていた。電車は海へと向かっていた。

 成人男子は名を「おぐり」と名乗った。制服は高校時代のもので、不慮の事故で亡くなり、神様の長兄の──いちばん面倒見のいい神様が一つだけならやり残したことをやってきてもいいと許可してくれたのだと話した。

「それで一個だけ、と選んだのが海へ自転車で、なのですね」

 神様はおぐりを見つめた。どこか侮蔑を含んだような視線になっていたのか、おぐりは不服そうだった。

「そうですよ。いけませんか?」

 おぐりは口を尖らせた後、訊ねてもいないのに話し出した。

「……でも、考えてみたら僕には友達も片想いの先輩も後輩もいないし第一大人だし」

「そう愚痴っていたら、面倒見のいい神様がぽんと膝を叩いて」

 神様は嫌な予感がした。

「そうだ、えーと何番目かの下の神様に、暇で変わり者がいるのでそいつなら相手してくれるかもしれないと教えてくれたんです」

 おぐりはまったく悪びれる様子もなく「そいつ」などと神様を軽んずる発言をした。

──暇で変わり者。

 一瞬怒りを覚えた神様だったが、すぐに怒りは消失した。

 事実以外の何物でもない。

「だけど、数ある神様の中でもっともいい奴だ、と褒めてましたよ」

 おぐりにフォローされた。情けないようなまだ救いがあるような奇妙な気分になった。

 そう言っている間に、電車は海辺の駅に着いた。

 立ち上がりながら「そう言えば」とおぐりが言った。

「神様なのに瞬間移動とかできないんすか?」

 神様はため息をついた。

「あなたこそ」


 おぐりと神様は駅前でレンタサイクルを二台借りた。そして海を目指して自転車を走らせていった。

「どのへんから笑い出せばいいですか?」

 真剣に訊ねる神様に、おぐりは急にしんみりした声を出した。

「……ありがとうございます、神様」

──神様、って呼ばれたの二回目。

 神様もつられてしんみりしていると、おぐりは自転車を走らせながらアハハハと笑い出した。

「今、今からなんですね」

 アハハハと神様も合わせるように笑い出した。自転車を漕いだことがあるのは遥か昔だった。

 まだ神様が幼い頃。お古の自転車をもらって、天界の広い庭で練習していた。運動が苦手な神様は、なかなか乗ることができなかった。

「転んでも、諦めないことが肝心ですよ」

 そう言って根気よく付き合ってくれたのは、「藤井」という人形だった。

 おぐりと同じで神様にも友達はいなかった。藤井はそばにいてくれたけれど、青春もないし、片想いもパニックもない。

 あるのは、いつ始まったのか終わるのかもわからない無限の時間だけ。


「私……可愛い制服の女子高生でもなくてごめんなさい」

 神様は謝った。それどころかジャージ姿で。

「謝らないでください、アハハ」

 役に入り切ったおぐりはまだ笑っていた。神様は我に返り、せっかくのおぐりの夢が叶う瞬間を台無しにしないように笑いを再開した。

「そうですよね、アハハハ」

 いつの間にか夕暮れに近付いた海の、海面がキラキラと輝いていた。無闇に感傷的な風景だったが、素直に心を打たれた。

──綺麗だな。

「綺麗だな、私の国は」

 神様は思わずつぶやいた。おぐりは笑い止み、口を真一文字に結ぶと、神様を正面から見た。

「俺の国、綺麗だろ? ぐらい言えないんですか」

 あなたはこの国の、神様でしょう?

「えっ、言えないですよ。そんな大それたこと」

 慌てて否定した神様の手に、おぐりは自分の手を重ねた。体温もなければ質量もない、空っぽの感触だった。

「……神様の手って温かいんですね。知らなかった」

 もう気が済みました、と突然おぐりは言うと自転車を降りてお辞儀をした。


「不慮の事故、って言いましたが、中途半端なところから飛び降りました」

 語り始めるおぐりの笑顔が歪み、薄れていった。

「ビルの四階って、怪我をして誰かに迷惑をかけるんじゃないかとか、下の道路を通る誰かにぶつかって迷惑をかけるんじゃないかって最後まで迷惑のことばかり考えてましたけど」

「……同じ迷惑をかけるなら、生きている間に迷惑をかけるべきでした」

「もっと恥をかいても、迷惑をかけるべきでした」

 おぐりの口調はさっぱりしていた。神様は何かを言いかけて、再び口を閉じた。

 ぱたん、と音を立てて自転車が倒れた。無人の自転車が砂浜にめりこんだ。

 気が付くと、海岸に立っている神様の他には誰もおらず、すっかり日は沈んでいた。

 神様は二台の自転車を苦労して押しながら、海岸を後にした。


4.

 深夜営業をしているよろず屋「セルバンテス」に神様はいた。午前一時を回っているのに、「セルバンテス」は若者や、それほど若くはない若作りな者たちで賑わっていた。この店には何故かジャージ姿の人々が多く、神様は店内でしっくり馴染んでしまう。

 商品が箱ごと無造作に積まれた狭い通路を、体を傾けながら進んでいった神様は、パーティーグッズコーナーに辿り着き、コスプレ衣装の中からセーラー服を手に取った。

「そういう趣味もおありですか?」

 手にした途端声をかけられ、神様は飛び上がりそうになった。狭い通路の隙間から藤井が顔を覗かせていた。

「……私が女子高生ならよかったのに」

 藤井は少し考え込むような顔をし、

「ご主人が望まれるならあるいは」と言った。

 あるいは、何なのだ。

「私を探し回ったかい?」

「いいえ。神様の動きならお見通しですから」

 藤井は顔も無表情だが声にも抑揚がなかった。神様はどうという目的もないのだが、おぐりの制服姿を思い出し、セーラー服をカゴの中に放り込んだ。

「購入されるのですね」

「うん。あと、モディリアニチップスを一ダース」

 神様はつまらなそうに答えた。「小首傾げてモディリアニチップス」とくり返し放映されるCMが気になっていた。味は知らない。


 巨大なポテトチップスの箱は藤井が持ってくれた。親切な店員が配送を勧めてくれたが、住所を書く段になって記入に迷い、やめた。

「今回のバカンスはいかがでしたか?」

 藤井が顔色を変えずに訊ねる。

「……楽しかったよ」

 神様は答えた。それから誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。

「俺の国は美しかったし、平和だった」と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様 エピソード・ゼロ 杉背よい @yoisugise

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る