エピトーム

緑川碧

第1話 エピトーム(前)


人口統制省に勤める佐藤智は登庁してからほとんどパソコンの画面とにらめっこしていた。


彼が務める人口統制省はその名の通り人口を管理運営する政府の組織だ。その管理方法はまず国にとって有益でない人物を人工知能エピトームが選び出す。そして候補者の中から人間の目線からエピトームの選択に間違いはないかを確認する。最後には選び出された人間の中から決まった人数をランダムに選び出す。選ばれた人間達は人口統制省の手によって自然な形で命を落としていく。


そして佐藤の仕事は人間の目線からエピトームの選択に間違いはないかを確認する仕事だ。最後はランダムに選ばれるとはいえ、自分の選択により人が死んでいるという重圧によりこの仕事の離職率は高い。しかし、佐藤は約20年間この仕事を続けてきた。


佐藤自身はこの仕事を天職のように感じていた。毎日名前の伏せられた人物の履歴とエピトームによる人格分析を眺めて、自分が要らないと感じる人間を選ぶだけである。佐藤にとって自分以外には妻と今年10歳になる娘以外の人間はどうなっても良いと常日頃から考えていた。それにエピトームが選び出す人間は大抵はろくでもない奴が大半だ。


しかし、僅かながらろくでもない人物以外も選ばれることがある。――難病患者だ。


難病患者に対してもエピトームは助かる見込みがないと判断すれば容赦なくリストにピックアップするのであった。延命治療は社会にとってコストでしかないと。これは人口統制省に勤める人間のみが知っていることであった。


そして佐藤にとっての一番大きな悩みはそれであった。佐藤の愛娘である咲が原因不明の難病にかかっているからだ。


医療技術の発展によりほとんどの病気が解明され、治療法が確立された現代にとって原因不明の難病は格好の研究対象でもある。そのため、まだ娘は生かされている。しかし、もし原因が解明され予防法、治療法が分かったら娘はどうなるのだろうか。手遅れだと分かり、対症療法による延命治療のみしか出来ないと分かったら、そんなことになったらいつか人口統制省に処理されるだろう。ならば今のままでいい。原因が分からず対症療法をひたすら繰り返し、ただ生きてて欲しいそれだけだ。


非合理的で娘の気持ちも考えていない、自分勝手な願いだと佐藤自身分かっていた。だが親の子に対する思いはそういうものであるべきだと佐藤は思っていた。



終業を告げるチャイムが鳴り響く、省内の時計は18時を差していた。ちらりと目を窓にやると空は僅かな赤みを残し、陽は落ちようとしていた。チャイムと共にちらほらと職員達は帰り支度を始めた。


いつもなら佐藤も終業チャイムと共に帰り支度を始めていた。だが佐藤はエピトームが提示したある人物の情報から目が離せなくなっていた。その人物の情報が娘と似ているのだ。


これまでの履歴、年齢、難病であること、エピトームが分析した性格、ほとんどが一致する。だが原則として判定する人間とは無関係の人間が選ばれるはずだ。


「あれ、佐藤さん今日は帰らないんですか」


隣の眼鏡をかけた新人――飯田正輝が声を掛けてきた。


「今日は中々集中できなくてね、後3人分見ないといけないんだ」

「へー、佐藤さんが珍しいですね」

「この年になるとディスプレイをずっと見てるのが辛くてね」

「大変ですね。……気晴らしにこの仕事に関する面白い噂を聞いたんですけど、どうです? 」

「まあ少しくらいならいいだろ。どんな噂だ」

「はい、僕らが確認する人間の情報って、本来僕らとは無関係の人間が選ばれるじゃないですか。でもたまにわざと本人が知り合いだって気づくような人間を入れてくるらしいんですよ。それで知り合いだって気づくんですけど、書かれている情報からエピトームは間違っているって判断できないんですよ。それでランダムリストに入れられちゃって本人は気が滅入ってしまい仕事を辞めてしまう。それがこの仕事の退職率の高い本当の理由だって噂です」

「馬鹿馬鹿しい……そんなことあるはずないだろ。俺は20年間この仕事をやり続けていたがそんなことは無かったし、そんな噂聞いた事無かったぞ。」


佐藤は努めて平時と変わらない受け答えを試みていた。現在まさにその状況に陥っているということを悟られないように。


「ですよね。でもちょっと面白くないですか」

「そうか? いったい誰が何のためにそんなことをするっていうんだ」

「いいですね、僕もそう思って考えてみたんです。それで考え付いたのは、エピトームが僕らを試しているんじゃないかって。この人間は私情に流されずに選定ができるのか、この仕事に相応しい人間かどうかを」

「エピトームは膨大な情報を元にその人間が社会にとって有益がどうか、害があるかどうかを判別するだけだろ。そんな人を試すような機能は備わっていないはずだ」

「例えばいつからかAIが意志を持ったって言うのはどうですか」

「エピトームが意志を持ったとしてそれが何故我々を試す真似をする必要があるんだ。それにAIと言っても所詮はプログラム、意志を持つはずがない」

「意志ではないが、エピトームが我々を試すのはあり得ることだと思いますよ」


飯田との話に興味を持ったのか同じ部署の加藤が話に参加してきた。確かこの男は大学では人工知能を学んでいたと言っていた。高給で定時で帰れて、休みもちゃんとあるという理由で人口統制省に入ってきた男だ。


「エピトームは元々は人口を管理するにはどういう方法が適切なのか、その施策を生み出すために開発されたAIだったんですよ。エピトームの基礎的な技術的としてはニューロコンピューティングとトランスファラーニングというもので構成されています。ニューロコンピューティングは人の脳神経の構造を模したものです。そしてトランスファラーニングとは経験等から有用な知見を学習することです。分かりやすく例えると、あるスポーツが上手い人達は他のスポーツをやってもすぐに上達するじゃないですか。彼らはあるスポーツを通じて体の使い方という、他のスポーツにも通じる知見を得ているんですよ。それと似たようなことをするのがトランスファラーニングです」

「よく分からないが、それが使われているからエピトームは俺たちを試しうるというのか」

「それだけが要因という訳ではないですが。エピトームは過去に人口統制を試みたAIや様々な事例の最適化AIの知見を持っています。そしてそれらをベースにこの日本における人口統制の最適化を行っています。そう、常にエピトームは学習しているんです」

「それが何故僕たちを試すようなことをするんですか」

「おそらくエピトームはこの仕事に必要でない人材を弾き出したいんじゃないかな。我々は人口統制システムの一部である訳だから最適化を行う必要がある。それに社会から不必要な人物を選ぶということが学習できるならば、この部署にとって不必要な人物を選び出すことを行っても不思議ではないと思う」

「知人かもしれない人間を選んだだけで精神が不安定になるというやつは要らないということか」

「というよりも、知人でも正常な判断ができるのかどうかを試したんじゃありませんか。エピトームが自信を持って不要と判断した人物を私情から不要でないと判断する人物を排除したいんじゃありませんか」

「つまり――知人でも機械的にリストに入れることが出来、かつ精神的に問題ない人間が欲しいということか? 馬鹿馬鹿しい、それならこの部署自体を機械化すればいいんじゃないか」

「エピトームの狙いは実はそこにあるんじゃないですか。離職率、職員の精神的負担の大きさを元にこの部署事態の自動化の提案を促したいんじゃないですかね。社会としてこのシステムが当たり前に受け止められている今なら自動化にしたとしても気にする人はほとんどいませんから」


エピトームが人口統制システムが日本に導入されたのはかれこれ30年前、人口の増大と食糧問題が顕著に現れた2042年である。世界各国はこの問題に対処するために様々な人口統制システムを導入していった。そして日本はアメリカ、中国、ロシアなどがAIを用いた人口統制に成功していたため、その例に倣った。当初は人口統制のシステムをAIが全て担当する予定であったが、一部の自然主義派から猛烈な批判を浴び、妥協案する形として人間を途中に介すると言うシステムにした。


「今の話題から少しずれるのですが、もしエピトームが僕らを試した際にNoと答えたらどうなるんでしょうか。」

「さ、さあ、そこまでは私も分かりません。ただエピトームが僕らの生殺与奪権を握っているということだけは確かです」

「飯田、加藤、無駄話はここまでだ。俺は作業に戻る。お前らも仕事が終わったならさっさと帰れ」

「あ、はい。お先に失礼します。」

「では私もお先に失礼します。」


飯田、加藤が帰ったのを確認して再び画面に目を向ける。


エピトームよ、お前は俺を試しているのか。



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