孤独な旅の末⑦

第6話・ティーチ


 時はグリーンの執り行った氷壁の精製前、ティーチは正門の前に陣取ると討伐隊の出現を待った。


 いや、正確にはグリーンの魔法の完成を待っていたと言って良い。

 いくら相手の心を読めるティーチといえど百を超える相手の心を読み分けて戦う事は出来ない。


 つまりこちらの力を誇示し、相手を降伏、または全滅させる必要があった。

 その為には町を守るグリーンの魔法が必要だったのだ。


 一方、討伐軍はすでに町の付近までその足を延ばしていた。

 約80名からなる金色の鎧を身にまとった兵士と約20名の黒衣を纏い書物を携えた対魔法部隊、そして両部隊の指揮官と思われる人物の姿がそこにあった。


「やぁやぁブラウン隊長。調子はいかがかね?」


 黒衣に身を包んだ男性が隊長に近づいた。

 隊長と呼ばれた男性はやや小振りな身長ながらその厳格な姿勢からだろうか、他の隊員と相違ない鎧を着用しているとは思えない特別偉才な雰囲気を放っていた。


「体調は……常に磐石とするのが武人の務めだ。どんな肩書きを背負おうと一個の武人である以上それが変わる事はない」


「ひゅー……相変わらずお堅い事で頭が上がらないよ。しかし、帝国きっての先鋭部隊に金獅子と名高きかのブラウン将軍まで駆り立てて行う事が、たった一人の教育者の始末と無垢な町民の虐殺とはお上の考えは分からないものだね」


 ブラウンは軽口を交えながら国に対しての明らかな不信感を口にする男に、幾分気を悪くしたが、確かにこの大げさな出兵には納得のいかない点も多々存在した。


「流石は見聞のピート様ですね。帝国唯一、自由意志の元に滞在を許される最高峰の魔道開拓者の思想は一兵卒の僕には及びもつかない」


 話に割って入ったのは若く屈強な兵士を選りすぐった討伐軍でもことさらに若い15、16歳頃の少年軍人だった。


「アキラ!我々武人は国家の腕であり、足だ。その我々が己の思想で動く事はあってはならない」


 ブラウンはそう怒鳴ると、少年隊員を軍に返し、ピートに向き直った。


「やれやれ……いくら部下の失言とはいえあれは少年にはこたえるのでは?」


「心配は無用だ。そんな軟弱者に鍛えた覚えはない」


 フンと鼻息荒くそう言い放つブラウンの横顔はまるで我が子に試練を与える父親のそれであった。


「フム……興が冷めてしまいましたね。続きはお互い帝国に戻っての鎮魂の儀(祝勝会)までとっておくとしましょう」


 不適な言葉を残してピートは持ち場へと戻った。

 ブラウンは鞘から刀を抜き取ると何も無い闇夜の空間を一閃した。迷いを断つが如く鋭く繰り出された斬撃は疾風の刃となり数十メートルは先にある大木に浅く・・・・・・しかし確実に傷をつけた。


(迷いがあるのは私も同じか・・・・・・これでは部下に示しが付かない)


 ブラウンはそんな事を考えながら軍へと戻った。


 数分の後、町へと出陣した討伐軍は信じがたい光景を目にした。

 目標であった町があるべきそこは天にまで届く様な氷の壁に覆われていた。


「馬鹿な……こんな田舎町にこんな魔法が実在するはずが……」


 それは大国最大の魔法開拓者であるピートですら驚愕するものであり、軍に生じる混乱を誰も責める事は出来なかった。


 しかし、状況はそんな討伐軍をあざ笑うかのごとく悪化する。氷の壁の印象から篭城策に出たと思われた教育者が突如眼前に現れたのだ。


「俺の名はティーチ……教育者だ。お互い町民を巻き込むのは本意ではないはずだ。この軍の最高権力者と話がしたい」


 ティーチにはこの騒動における慢心は無かった。

 例え討伐軍を武力を持って退けようとも町を守りながら帝国と戦いを続ける事になるという展開は是が非にも回避したいと考えていたからだ。しかし、その期待は容易に受け入れられるものではなかった。


「我が名はブラウン。この隊の指揮を預かる者だ。残念ながら我々に下された使命は貴公の申し出に応え得るものではない。弩弓隊、前へ」


 ブラウンの言葉を機に討伐軍が前進し、ティーチに矢を向ける。


「心身ともに強くあれ。身の強さは心の強さから生じるものであれ。心の強さは偽らざる己から生じるものであれ」


ブラウンは隊に向けて拳を掲げ、鼓舞と共に開戦を宣言した。交渉の余地が無い事を悟ったティーチはこれに対応する様に動いた。


「撃て」


 ブラウンの合図と共に数十にも及ぶ弓矢、それも弩弓と呼ばれる非常に太く殺傷能力に長けた矢、それらがティーチに向け飛来する。

 しかし、その矢でさえティーチに傷を付ける事は無かった。


「Armor of fire(火の鎧)」


 ティーチの宣言と同時にその身体を炎が覆い、飛び交う弓矢を全て溶かした。


「炎の高位魔法か、またレアなものを……」


 ピートは感心する様に言った。

 5大魔法の中でも使い手の極めて少ないのがこの炎の魔法だった。

 炎の適正は英語、仏語から古代語まで、全ての語学によって授かる。しかし、国々に亀裂を生んだ現世界では他国に渡って言語を学ぶ者は少なく、その魔法の多くが失われたものだった。


「あの高温と汎用性……相当数の語学に通じているな。ブラウン隊長!間接攻撃は無意味だ」


「全軍!剣を構えよ」「対魔法部隊!水魔法で防壁を展開しろ」


 ピートの助言と二人の隊員への命令は間髪無く行われた。

 しかし、それも実行には至らない。


「La flamme qui brûle le ciel(天を焦がす炎)」


 次の瞬間、ティーチを覆っていた炎の鎧が天へと昇り空を埋め尽くした。

 高熱が辺りを支配し、対魔法部隊が渾身の力で発言させた水の防壁が一瞬の内に蒸発した。


「英、仏、流石は教育者……勉強熱心だねぇ」


 合いも変わらず軽口を飛ばしながら・……しかし、本心では人一倍魔法に精通するピートはその強大な魔力を十二分に感じ取り、抗う事の出来ない死を直感した。


(くそっ……奴があれを宣言すれば恐らく全滅はまぬがれない。対魔法部隊の魔力では先の通り使い物にもなるまい……)


 ピートに続きその死のイメージは討伐隊の中にも段々と浸透していった。

 しかし、ティーチの口からは一向に魔法の宣言がなされない。そして、現状の絶望感が隊の全域に行き渡った頃、ようやく口を開いた彼の口からはまたも想定外の言葉が発せられる。


「今はまだ、生命に危害を与えぬようにしている。もう一度交渉したい……俺の目的は復讐ではない。平穏だ」


 そこには壮絶な才を持ちながら、日の目を浴びる事も出来ずにいた青年の小さな悲願があった。


 復讐心のかけらも持ち合わせず、自らの出生を呪う事もせず、ただ直向きに平和を求める人としての最も純粋な願望のみがその瞳に映っていた。


 そんな彼の、鼠の想いは猫である彼らには届かないが、そもそも猫にとって鼠は、命の危険を侵してまで狩る対象ではない。撤退指示を出せる副官のピートはそれを既に思案していた。


「あー分かっ」「駄目だ。その言葉だけは兵を預かる隊長が口にしてはいけない」


しかし、皆の気持を代弁したピートの言葉をブラウンが遮る。


「確かに貴公の力を前に我々に勝算は無いだろう。しかし、我々武人はそれを判断する立場には無い。この戦い……貴公との決闘をもって示しをつけたい」


 常日頃規律を第一とする先鋭隊員にざわめきが起きた。


「隊長!!いけません。数に勝る我々が決闘を申し出る必要はありません」


 話に割って入ったのは先刻の少年軍人だった。


「アキラ……覚えておけ。隊を預かる者には三つの責務がある。一つ、任務達成の責務、二つ、報告の責務……三つ目は、母国より預かりし兵の命を守る責務だ。アキラ、お前はいい武人になる。私の帰らぬ時は報告と皆の事を頼めるか?」


 少年隊員は応える事が出来ない。

 ブラウンは返事を待たずニコリと微笑むとティーチへと向き直った。ティーチはそのやり取りを見て若干の戸惑いを覚えたものの、それは破格の条件だった。


 そしてなにより、ティーチはこのブラウンという男に少なからず好感を持っていた。


 本人の意思とは無関係に周囲の思考を読み取るティーチの異能【リーディング】は平和を懇願した家系の意思に反して人々の知りたくも無い心根をティーチに聞かせ続けてきた。

 

 一方で至極稀に出会う志に全てを捧げたブラウンの様な男がいる。彼にも当然、自身の不利は理解できており、死への恐怖も当然の様にあった。それでも尚、立ち向かう信念をティーチは無碍にしてはいけないと感じたのだ。


「Convergence(収束)」


 ティーチは空に打ち上げた炎を手元に引き寄せ、決闘に応じる意思を見せた。


 ブラウンもまた鞘から刀を抜いて構える。ティーチは大鎌の先に炎を集め、頭上に構えた。


 ティーチの渾身の炎は本来収まるはずもない大鎌の先に密集され、そのあまりの高熱から眩い光を放っていた。


 一方、ブラウンは抜いた刀を正面に構え静止した。ブラウンの握る刀は彼の嗜好とは思えぬ煌びやかな装飾がされた美しい長刀だった。


 一瞬の沈黙の後、先に動いたのはティーチだった。

 ティーチは距離を空けた状態から鎌を振り下ろすと火球が一つ、ブラウンに向けてはじき出された。しかし、ブラウンはこの火球をその刃を持って切り開いた。


 隊員から大きな歓声が上がる。


「そうか。国王様から授かった宝刀ならばそれが魔法であっても切れないものは無い!純粋な戦闘であればブラウン隊長が優勢だ」


 パッと表情を明るくしたアキラが言った。

 だが、予想を裏切り、初太刀はティーチに軍配が上がる。


 正面に構えた宝刀を切り上げるように一閃し、火球を切り裂いたブラウンは手首を返し、ティーチに向けて刀を振り下ろす。


 ティーチはリーディングによってそれを先に感知すると身体をひねってこれを避け、その遠心力を加えた一撃をブラウンの胴体へ見舞った。


 ブラウンもこれを幾多の戦場を渡り歩いた経験則から予測し、回避にかかる。

 しかし前動作の反動とリーディング能力と比べれば見劣りする経験則ではティーチの攻撃を交わしきる事は叶わず、鎧を砕かれ、腹部をティーチの大鎌が通過する。


「ぬぐぅ……鎌に……残った高熱が幸いしたな……出血は思いのほか少ない」


 ブラウンの言う通り、大鎌の切り傷は刃の熱に焼かれた事により皮膚が焦げ、止血したかの様な状態になっていた。

 ・・・・・・もっとも常人であれば、切り傷と焼き傷の二重苦により場合によっては失神しても不思議ではない程の激痛が襲い、ブラウンの額にも脂汗が滲んで見えた。しかし、この一太刀はブラウンにも確信を抱かせた。


「成るほど……聞いた事がある。教育者はそれぞれ魔法力を秘めた紋を身体に宿し、異能を授かるのだったな。貴公、読心術者だな」


 またもざわめきが起きる。

 自然現象に属さない魔法が減少する最中、その発言はピートを含む対魔法部隊でさえ想定せぬ回答であった。ブラウンはこれを幾多の戦闘経験からティーチの異様な反応速度に触れた初見で見破ったのだ。


「ならば……話は早い。心を無とすれば貴公の利は無くなる」


 そういうとブラウンは目を閉じ、思考を止めた。

 辺りが静まり返る。ティーチの戸惑いが加速する。

 それは彼にとっても初めての体験だった。目の前の人物が目を閉じるとその人物はまるで大樹の様に一切の雑念を捨て、その心が静かになった。


 しかし、その静けさの中にも獣の様な闘争心を隠し持ち、獲物に近づく捕食者の如くじわりじわりと、だが確実にティーチを威圧した。


 次の瞬間、ブラウンは目を見開き弓を構える。

 放たれる無数の矢をティーチは転げて避けた。

 

 ティーチの反応は今までより格段に鈍かった。

 自部隊の長が見せる高度な技術と勝機に隊が活気付く。騒がしくなった周囲の心根がティーチの集中を殊更に乱した。


 ブラウンはこれを本能的に好機と受けとり、弓を放つと、脇差と宝刀を構えティーチに向かって駆け出した。


 ティーチは弓矢を火球で相殺し、武器の長さを活かして先に大鎌を振るう。

 これを脇差で受け止めようとしたブラウンの表情が歪む。想定以上の大鎌の力にバランスを奪われ、脇差に交差する様に宝刀を重ねる事でなんとかこれを押し返す。


 しかし、これにより勢いと間合いを殺されたブラウンは攻めに転じる機会を奪われてしまった。


 大鎌をはじき返されたティーチは間髪いれず火球を放ちながら、新たに水球の魔法を発生させ、ブラウンへと飛ばした。


 ブラウンは思考を閉ざしたままにその全てを宝刀で切り捨てた。

 ・・・・・・しかし、最期に飛来した水球を切り裂いた時、その独特の香りにブラウンは己の失態に気付いた。


「これは・・・・・・油か!?」


 油はブラウンの身体を覆い、それに惹かれる様に辺りに燻っていた火球の残り火がにじり寄っていった。


 如何なる魔法も切り捨てる宝刀も、一度身体を覆いつくしてしまった炎を打ち払う術は無い。


「見事だ……」


 身体を焼かれながら、それでもブラウンは動じなかった。


「約束しよう……我々は撤退する。アキラ……お前には迷惑をかけるが、私の最期の頼みだ。部下達を任せる。それからピート隊長……アキラを…わ…こ…を……た……む」


 彼は立ったまま、最後の言葉を告げた。

 そして、そのまま灰へと姿を変えた。


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