シーモランド

春夏野 渚

■ シーモランド ■


「こんにちは!今日はシーモランドに遊びにきてくれてありがとう☆

 みんない~っぱい楽しんでいってね!

 本日11時から開催のキャラメルンゲームでいっとうしょうになったひとには~

 なぁんと!シーモちゃんからすてきでおしゃれなごうかプレゼントがあるよ☆

 みんながんばろうねぇ~!」


 こんな田舎だが、最近できたテーマパークは大人気で、人の列はいつも途切れないらしい。

 櫛田慎二は、休日の昼間にこぞって集まってくる家族連れやカップルにうんざりした表情を隠せずにいた。

「お父さん……」

 息子の彰が櫛田の手をギュッと握る。

「……どうした?」

 彰は今年5歳になったばかりで、その手は小さく、少し汗ばんでいた。

「お父さん、こういうとこ嫌いなの?」

 彰は父親の表情から何かを読み取ったのか、おずおずと聞いてくる。

 賢い子だ、と、櫛田はよく思う。

 彰と会うのは久しぶりだった。

 櫛田の浮気が原因で由子と離婚をして、もう1年になる。もちろん彰は由子と、由子の実家で暮らすことになった。

 今日は一月に一度、櫛田が彰と会うことを許された日だった。

 由子の実家のすぐ近くに新しいテーマパークが出来たときいて、彰を喜ばせるために連れて行ってやることにしたのだった。

 櫛田は彰の頭を撫で、

「嫌いじゃないよ。少しびっくりしただけだ」

 と言って笑顔を見せた。

 彰も安心したように笑う。

 この子と、また、以前のように暮らしたい。

 一人の生活というものは思ったよりも静かで寂しかった。一度家族を持ってしまうとなおさらだ。

 血を分けた息子とこの先の人生を共にすることを考え始めてしまうと、なんとしてもこの子を自分で育てたくなる。

 由子と寄りをもどせるとは思えない。

 しかし、彰は紛れもなく自分の息子なのだ。

 それでも、櫛田は自分の気持ちを言い出すことは出来なかった。

 幼い彰に親のどちらかを選ばせるなど、酷なことだった。

 全ては自分の悪さが原因ということもある。


「彰、なにか乗りたいものはあるか?」

「うん、もうすぐキャラメルンハウスでゲームが始まるみたいだよ。お父さん行こ!」

 彰は櫛田の手を取り、テーマパークの中を走り出した。

 のどかな風景だった。



「それではみなさ~ん。これからゲームの説明をしま~す。ちゃんと聞いてないと思わぬ事故が起こるかもしれないので、お静かにお願いしますね☆」

 ゲームは、テーマパークのイメージキャラクターであるらしい『シーモ』のお菓子工場にて行われるようだ。

 お菓子工場らしい問題の建物はピンクを基調としたメルヘンな外観をしていて、櫛田は思わず苦笑する。

 お菓子工場……『キャラメルンハウス』の前にはイベントに参加しようとする客がたくさん集まっていた。

 イメージキャラクターであるシーモの着ぐるみが、入り口のところで体を大げさに揺らしながらゲームの説明をしている。

「みなさんには、キャラメルンハウスのなかで暴れている悪~いアクマキンとたたかってもらいま~す!武器の光線銃は、みなさん持ちましたね☆」

 子どもたちが一人一人おもちゃの光線銃を持って嬉しそうに返事をした。彰も興奮を隠せないようで、大きな声を出して光線銃を高く掲げて見せている。

 微笑ましかった。連れてきてやって本当に良かったと櫛田は思う。

 なんと平和な光景か。

「わぁ~!元気いっぱいだね☆ これならキャラメルンハウスをアクマキンから取り戻せるはずだぁ~!シーモも頑張らなくっちゃ☆」

 着ぐるみはくるくると回って、最後に元気なポーズをとって決めた。

「さぁて、みなさん行きますよ~!迷子にならないようにシーモの後についてきてくださいねぇ~☆」

 言うが早いかキャラメルンハウスの大きな扉が開く。中は薄暗く、不気味な演出がされていた。

 彰が櫛田の手をギュッと握りしめる。

 キャラメルンハウスの中に一歩足を踏み出せば、空調がきいているのか、ひやりとした空気が首筋をなぞっていった。

 体中を、何か嫌な感じの物に包まれているような。

 櫛田は彰の手を握り、前に見えるシーモ着ぐるみの頭を目印にして進んだ。

「みんなぁ!アクマキンだよ!アクマキンが出たよ!光線銃で倒すんだよ☆」

 前方でなにか黒い影のようなものが横切ったと思った。

 と、同時に、小さく灯っていた電気すら全て消えてしまい、キャラメルンハウスの中は真っ暗になってしまう。

 辺りは騒然とした。子どもが驚いて泣き叫んだのだ。大人もつられてパニックになっている。

 明かりはつくことがなく、係員による説明もなかった。

「お父さん・・・・」

 彰も泣きそうな声で櫛田にしがみついてくる。

 櫛田は彰を抱きかかえ、辺りの様子をうかがう。

 テーマパークの演出にしては少々やりすぎではないかと思った。

 真っ暗な広い空間で、人の息づかいと、それに乗って恐怖を含む不安がビリビリと伝わってくる。

 一時も早く、ここから出たかった。

「おいどうなってんだ!」

 誰かの怒りが暗い部屋で破裂する。

 怒りというよりは、恐怖かもしれない。

「事故なんじゃねぇの!?早くなんとかしろよ!!」

 列の前方で、若い男がシーモ着ぐるみの大きな頭に手をかけたのが櫛田にも見えた。

 そして、その重そうな頭が、いとも簡単に転がり落ちたのも。

 若い男が驚きに固まったのと、その周囲の人たちが悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。

 ぬいぐるみの頭の下には、あるべき人間の頭がなかったのだ。

 櫛田は無意識に彰の体を強く抱きしめた。

 頭を失ったシーモは、その場にばさりと崩れ落ちる。それは既に抜け殻だった。

「どういうことだよ。さっきまで動いてたじゃねぇか」

 恐怖が蔓延している。

「うっ、うわああああ!」

 シーモの頭を奪った男が叫び、後ろの誰かをかき分けながら、入り口の方へ向かって走り出した。

 それを皮切りに客の全てが同じように走り出す。

 櫛田も彰を抱きかかえ逃げようとしたが、ちょうど壁のすぐ横にいたもので、後から後から逃げまどう人に押され、身動きがとれずにいた。

 どうしようもなく、彰を守るために壁側を向いて、人に巻き込まれないようにジッとしているしかない。

 櫛田はこのとき、暗闇での人のパニックというものの恐ろしさを初めて知った。

 ついに泣き出した彰の頭や背中を撫でてやり、落ち着かせるために抱きしめてやる。しかし、櫛田の恐怖が幼い息子にも伝わるのだろう。彰はいっこうに泣きやまない。

「大丈夫だ。お父さんがいるからな」

「おい!なんだよこれ!入り口がねぇじゃねぇか!」

 逃げ出した人々の方面から悲痛な声が上がった。

「閉じこめられたのか!?」

「いやぁっ!わけわかんない」

「一体なんなんだよこの遊園地はよぉ!」

 みな、口々に叫ぶ。

 そのとき。

「はぁ~い☆ みなさん、無事ですかぁ~?」

 うっすらと明かりが灯り、どこからかシーモの底抜けに明るい声が聞こえてきた。

 ふざけているとはいえ案内人の確かな存在を感じ、客は静かになり、その声に耳を傾ける。

「わかりましたか?今、アクマキンは確かにみなさんの体の中に潜んでいましたね☆

 自分のことしか考えないで、自分さえ助かればいいと思って隣の人を押しのけて逃げだす悪~い心は人間のものではありませ~ん☆」

 異様な雰囲気だった。

 テーマパークのゲームにしては、何かがおかしかった。

「アクマキンはシーモがこの建物の中に閉じこめた☆ さぁ、アクマキンをやっつけろぉ☆

 すべてのアクマキンをやっつけないとここからは出られないので、みんな、頑張ってね☆」

「ふざけてんじゃねぇぞ!!こっから出しやがれ!こんなクソゲームやってられっか!!」

 叫んだのは、シーモ着ぐるみの頭を落とした若い男だった。

 いいように振り回されて、かなり腹がたっているようだ。

 そのとき、若い男のこめかみに、赤く光る小さな点が現れた。

 あの光はなんだろう、と、櫛田が思う間もなく、

 若 い 男 の 頭 が 吹 っ 飛 ん だ 。

 大量の血がバッ!と散る。

 櫛田はとっさに彰の頭を両手で抱えた。

「早速アクマキンを一体やっつけた☆ すごぉい☆ この調子でドンドンゲームをクリアしていってね☆ いちばんになったらごうかしょうひんがもらえるよぉ~!」

 シーンとした部屋に、シーモの甲高い声が響く。

 絶命した若い男に向かっておもちゃの銃を構えていたのは、小学生ぐらいの男の子だった。

 他の客はその男の子を見つめる。若い男の死体の周囲を避けるようにして、そこだけ誰もいなかった。

 アクマキンを全て倒せばここから出ることが出来るのだと、シーモは言っている。

 櫛田はごくりと喉を鳴らした。

「お前、さっき俺のことを突き飛ばしただろう!」

 そんな叫び声が聞こえ、誰かの頭が、また、吹っ飛んだ。

 それを合図にするように、あちこちで殺戮が起こり始める。

 一体全体、なにが起こっているのだろう。

 明らかに現実の日常ではありえないことが、いま目の前で起こっていた。

 血の臭いが辺りに漂っている。

 なぜ、こんなことに巻き込まれなければならないんだ。

 休日を使って息子と一緒に楽しく過ごしたいと思っていただけだ。

 一時の過ちで浮気はしたものの、こんな罰を受けるほどに悪いことだったろうか。いや、自分は家族というかけがえのないものを失ったのだ。それこそが何よりも苦しい罰ではないのか。

 それならば、いまの、この状況は一体どういうことなのだろう。

「お、お父さん・・・お父さん・・・」

 彰は櫛田にしがみつき、震えていた。

 そうだ。

 大切な彰。

 かけがえのない存在。

 この子は絶対に守らなければならない。


 櫛田は片手で彰を抱き、右手でおもちゃの銃をしっかりと構えた。


 銃の引き金はとても軽い。が、威力は大きかった。

 体が震えたが、腕から彰の温もりが伝わってくると、ためらうわけにもいかないと気付かされる。

 櫛田は壁と壁に隙間を見つけ、そこに潜り込んだ。

「彰、声を出すんじゃないぞ。お母さんに会えるまで頑張るんだ」

 ボロボロの泣き顔で、それでも必死に口を押さえて頷く息子を見て、櫛田はこの上ない愛しさを感じた。

 無事に、由子のもとに帰してやりたい。

 戻れたらまたやり直したいと言いたい。

「みんなすご~い!アクマキンはあと少しで全滅だぁ☆ フレ~フレ~☆」

 死体はどんどん積み重なっていった。


 とうとう、櫛田以外の最後の一人になった。櫛田は隠れていたのでほぼ無傷と言ってもいい。

 残った一人はまだ二十代前半と思われる男だった。

「終わったぞ!早くここから出してくれ!」

 シーモの声に向かって叫んでいる。

「あれあれっ? アクマキンはまだ残ってるよぉ? 全部倒さないと扉は開かないからねぇ☆」

 と、櫛田の隠れていた壁の隙間が動き、男の前に櫛田の姿が現れた。

「見つけた。最後の一匹だ」

 男はそう言って櫛田に向かって光線銃を構える。

 赤い照準ライトが、櫛田の額に吸い寄せられるようにピッタリと止まった。

 櫛田は、動けない。

 男の指が引き金にかかった。

「お父さんっ・・・!」

 彰の声。

 頭が吹っ飛ぶ前に、櫛田は上半身を横にずらし、銃を男に向けて引き金を引いた。


 全ては一瞬のことだった。


 彰の声がなければ櫛田はアクマキンになっていただろう。


 全ては終わったのだ。

 櫛田は大きくため息をついて、その場にくずおれた。

 ひどく疲れた。

 自分が生きていること。彰を守れたこと。そればかりが喜びを実感できる術だが、とにかく、全ては終わったのだ。

 いったいこのゲームはなんだったのだろう。

 ここから出れば、また平穏な日々に戻れるのか。

 何があろうと、こんな非現実的な体験はもう十分だった。

 自分はこれからの一生を大切な人のために、正直に生きよう。もう家族を裏切ることなんて二度とないだろう。たとえ由子が許してくれなくても、誠実に、ずっと償い続けよう。

 生きているのだから。

 いくらでもやり直す機会はあるのだから。


「お父さん!」

 彰が隠れていた壁の隙間から駈けだしてきた。

 櫛田は満たされた気持ちで彰を見つめ、両手をひろげようとした。


 が、なぜか、体に力が入らない。


 ふと嫌な予感がして視線をずらし、自分の腹を見た。

 そこからはドクッ、ドクッ、と血が流れ出している。

 察するにとても大きな範囲の傷だろうに、痛みを感じないのが不思議だった。

 やがて櫛田は体を支えることが出来ず、その場に倒れて、視線を目の前の彰に向ける。

 彰はぶるぶると震えながら、それでも強く口を結んで、銃を両手でしっかりと構えていた。

 銃口は櫛田に向けられ、発砲したままの状態で固まっているようだ。

「……き……ら……」

 櫛田の口からはもうヒュウヒュウという風のような音しか出てこない。

 息子に、何か声をかけてやりたいのに。


「お母さんはいつも泣いてる。お父さんのせいだ」

 彰はそう言うと、今度は櫛田の頭に照準を合わせる。


 …………そうか。

 お前が一番憎んでいたアクマキンは、お父さんだったんだな。


 彰はなかなか引き金を引くことが出来ないようだった。

 ためらうことはないのだと言ってやりたい。

 お前が決めたことなら、それが一番正しいのだ。

 お前はお前の正義を貫き、守りたいものを守らなければならないから。

 お父さんが、お前を守ったように。


 もう、言葉を発する力は残っていない。

 せめて最期に見せるのは笑顔が良いのだが、お父さんはちゃんと笑えているか?

 なあ、彰。


 瞬間、視界は真っ暗になる。


 そして何も分からなくなった。





















 

「お母さん、あれなに?」

「あら、梅だわ。今年の冬はあったかいんだね。ずいぶん早いみたい」

「ふーん」

 由子は庭の梅の木を見て表情を和らげる。白くて可愛らしい花だ。

 幼い頃、この梅の木にアシナガバチが巣を作り、由子はそれと知らずに突っついて刺されたことがある。ここはそんな苦い思い出も甘い思い出もたくさん詰まった家だった。

 都会っ子の彰がここに馴染むかどうかが少し心配だったが、子どもの順応性には驚かされる。

「ねえ彰、今度のお休みはどこか遊びに行く?お母さんと」

「動物園がいいな」

「この前櫛田さんと行ったところはどうだったの?」

 由子は元夫のことを他人行儀な感じに呼んだ。

「あんまり面白くなかったから、もういいんだ」

 そう言えば、いつもは由子の実家まで彰を送ってくる櫛田が、この前は顔を見せなかった。彰はいつの間にか帰ってきていて、祖母からもらったお菓子をこたつに入って食べていた。

「そう……。次にお父さんに呼ばれたら、どうする?」

「もう会いたくないって言ってきたから」

 由子は彰のこの言葉に驚いた。親の勝手で引き離された子どもがこんな風に言うとは思いもしなかったからだ。

 それでもホッとする。あの人にはもう会わないでほしい。そう思っていた。


 梅の木にメジロが止まったのを見て、彰は物珍しそうな表情をしている。

 温かい午後の日差しが、惜しみなく庭に降り注いでいた。



 end

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シーモランド 春夏野 渚 @gojinka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ