牡丹、一華咲き誇り

葱間

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 暗き白樺の森は、今日だけは騒々しかった。ツキアカリの心の揺れ動きに呼応するかのように木々が揺れ、その感情が溶け込んだかのように空気は重みを増す。空は混沌として晴れず、ヒルもヨルもなかった。

 ツキアカリは、森の中、唯一開けた処に独りで在った。今はここにはいない、しかしこれまでとこれからそこに現れる少女をただ待っていた。張り詰めた表情には、超常の存在らしからぬ不安と緊張が。浅く繰り返される呼吸には、覚悟と焦燥が。それぞれ含まれていた。

 パキリ。そんな音が鳴って、ツキアカリは身構えた。彼の睨む先には、木々が産む暗さだけが存在している。ツキアカリの目には、そこに闇があるようにしか見えない。けれど、彼の感覚はその暗闇の中に浮き立つ、確かな光を捉えていた。

 ツキアカリの喉が鳴った。警告と嘆願。近づく存在に『退け』と命ずる思い。『来ないでくれ』と請う想い。赤く、そして青い吐息が零れた。

「貴様がヨルの王、ツキアカリか? 」

  一介の存在が干渉できる程、運命というものは甘くはない。それは、超常の存在といえども変わらない、不変の事実だった。ツキアカリのオモイに反して、その人物は闇から這い出た。

 錫色の髪と藍の唐服、そして不思議に白く輝く短甲を身に纏った、一人の少女。その手には、殺めるための意志を持たない銅剣が握られていた。少女の黒とも青とも言えない色をした瞳は、確かな意志をもって、ツキアカリを見止めていた。殺意の籠った眼光と殺意を持たぬ武器の不均衡が、ツキアカリを惑わした。

『……如何にも。私がヨルを統べるケモノの王。ツキアカリだ』

 ツキアカリがそう答えると、少女は眼光を研ぎ、半身を引いた。

 向けられた明確な戦闘の意志にツキアカリは、何を返せば良いのか分からなくなった。己は、目の前の存在を殺すべきなのか、それとも目の前の存在に殺されるべきなのか。何が正しい選択なのか、ツキアカリには全く判断が付かなかった。

 しかし、だからといって刃を向けられて、その切っ先を受け入れるということはツキアカリには出来なかった。彼はヨルの王だ。ケモノ達の王だ。王として、自らの死が招くものに無自覚な訳はなかった。ヒルとヨルの争いの中で自分が倒れれば、己に着いてきた者達の夜が明けてしまうことくらい、ツキアカリは重々承知だった。

 殺したくはない。けれど、殺さないと殺される。自分は死ぬわけにはいかない。そんな、葛藤の渦に飲まれながらツキアカリは、僅かな希望にかけるしかなかった。

 もしかしたら、目の前の存在は、『あの子』ではないのではないか。

「そうか。であれば早速始めよう。訳は語るまでもなく、私は聖霊ヒノヒカリの命で参った。貴様を殺しに」

 少女が、切っ先をツキアカリに突きつける。先程まで、存在感を持たぬままだったその銅剣が、黄金の輝きを纏い始める。

 ツキアカリは、その何処か暖かな輝きに、かつての友人を見た。

「我が名はヨルヒ。ヨルの王を討ち倒し、ヨルを祓いに参った!」

 少女が高らかに名乗る。ツキアカリは、少し後退った。

――ああ。かくも運命とは残酷なものか。

 ツキアカリの嘆きは、ヨルヒの叫びに掻き消された。


 かつて義理の縁で結ばれた二つは、その運命の果てに辿り着いた。

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