自分というモノ
尻鳥雅晶
第1話 我思う、されど我無し
「自分」とは何か。
誰でも一度は考えたことのある疑問です。
このテキストは、私、尻鳥が、実在する仮説を元に、自分自身の生き方、自分というモノのあり方について、ここ10年ぐらいの間に考えたことを綴るものです。
なお、私自身の立ち位置として、あれが正しいとか、これが間違っているとか、そんなことを書くつもりはありません。私が書こうと思った内容は、
私はこういう知識を得た。
私はこう思った。
私はこう考えた。
ただ、それだけのことでです。
さて。
貴方は「受動意識仮説」というものご存知でしょうか?
知っている方には今さらな知識ですが、とりあえず簡単に(※要ググ)まとめます。
とある実験の結果として。
人間の実際の行動とその為の準備は、その人間が意識して肉体をコントロールするよりも、わずかに早く行われる。
というデータが得られたのでした。これは、実際の人間の行動は意識的ではない、つまり無意識が判断・制御している、と考えられます。
だとしたら。
自意識が肉体をコントロールしていると感じることは錯覚にすぎず、実際は取るべき行動を無意識のみが行っている。そして、自意識は後追いで(受動的に)行動をしているつもりで意識しているだけ、と言うことになります。
まあ、人間のすべての行動について確かめられるはずもないので、「仮説」なのだろうとは思いますが、私自身はこの仮説は真実ではないか、と思っています。
なぜなら、私自身の経験則として、思い当たる節がありすぎるからです。
なんであんなことを、言ったんだろう。
してしまったんだろう。
なんで思い通りに動けないんだろう。
なんで自分に都合よく記憶違いをするんだろう。
貴方はそんなことを思ったことはありませんか?
また、アスリートの方なら実感として、明らかに考えるよりも早く体が動くことがあるでしょう。自分の経験としてはゲームしかありませんが。
「受動意識仮説」が真実ならば、それも当然だとは思いませんか?
ふたつめの理由として。
私の調べ方が拙いのかも知れませんが、この仮説への反証はほとんど見つけることができなかった、という点があげられます。
「受動意識仮説」は、実際の実験を元に提唱されました。だから反証もまた実際の実験による考察であるべきです。その具体的な反証(※要ググ)は、条件付きだったり実験方法への疑問に過ぎなかったりするもので、わずか数例しか見つけることができませんでした。
具体的な事実に基づかない批判・反論は、山のようにあるのにもかかわらず。
この仮説が気に入らない理由も判るのです。
なぜなら、私自身が気に入らない話なのだから。
私のその理由は単純です。
「自意識が実際には何もしなかったとしたら、自分がいる意味って何?」
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