あたたかなキミの上、つめたい雪が

jorotama

孤島の少女

 終わりかけの夏。


 所々焼け焦げてひび割れたアスファルトから上る熱気で、盛りを終えたタチアオイや雑草に埋もれるように街路に植わったサルスベリの咲き残りが陽炎にゆらゆらと揺れている。

 葉摘はつみは時速30㎞と言う安全運転の軽トラックで、町のメインストリートを走行していた。

 メインストリートとは言え、本土から遠く離れた離島のこと。

 何軒かの個人商店やガソリンスタンドなどが並ぶひなびた田舎の商店街は、悲しいほどに短い。


 葉摘は現在14歳になったばかり。当然運転免許証など持ってはいないが、いまこの島にそんなことを咎め立てする人間は存在しない。

 『ゾンビ』などと言うふざけた災厄によって、常識も法的秩序も何もかもが崩壊してしまったからだ。


 二年前の夏のある日、この篠ノ目しののめ島にゾンビ化した人間を満載したフェリーが到着して以来、全てが変わった。

 島も、葉摘の周囲も、彼女自身も、一切合財がそれまでの世界とは異なるものになってしまったのだ。


 二年前の夏、葉摘は叔父の小野塚秋也あきやが住まう屋敷で夏休みを過ごす為、ふだんは東京で一人暮らしをしているもう一人の叔父、大学生の響也きょうやと共にこの島へと渡って来た。

 篠ノ目島の古い大きな屋敷は葉摘の曽祖父、小野塚孝造こうぞうが建てたものだった。

 孝造は東京近郊に広大な土地を持つ豪農の三男として生まれ、持って生まれた頭脳と裕福な生家の後押しを得て医者となった人物だ。

 兄達が戦地から戻らなかったため図らずしも家督を相続した彼は、家業を廃業し病院を建て、残りの土地を宅地として売り出した。

 東京の復興と歩調を合わせて周辺地域の住宅地の需要も増えていたおりだ。土地は売れ、人口が増えると病院も必要とされる。

 ……孝造は運と才覚とを併せ持っていたのだろう。

 だが彼は俗世の成功にはさしたる執着を見せず、幼馴染であった妻の死を機に、財産や業務のあらかたを息子の卓一に引き渡すと絶海の孤島とも言うべきこの篠ノ目島の……更に人里離れた奥地に建てた屋敷で趣味と読書に余生を過ごしたのだそうだ。


 篠ノ目島は本土から離れぽっかり海に浮かぶ、人口200人にも満たない小さな島。

 島民の殆どは半農半漁で生計を立て、何軒かの家では夏場に訪れる本土からの観光客や釣り客を受け入れる民宿を兼業している。

 オンシーズン以外は島民たちが静かで落ち着いた日常を営むこの島に、葉摘の曽祖父、孝造が屋敷を構えたのはもう何十年も昔のこと。

 大きな産業もなく、貧富の差も殆どないようなこの島に乗り込んできた本土の金持ち……。

 島民にとって孝造は異分子であっただろうが、同時に尊敬される存在でもあったようだ。

 島への移住時に篠ノ目島に診療所施設を寄贈し、本土の病院経営で得た人脈を使い医師を派遣させたのだから、それも当然と言えば当然かもしれない。

 派遣医の入れ替わる狭間や不在時には、診療所の手伝いもしていたらしい。

 その孝造が鬼籍に入ってしばらくのあいだ、篠ノ目島の小野塚邸は小野塚家者の訪れぬまま年月を数えていた。

 葉摘の叔父の秋也が当時まだ小学生だった末弟の響也を伴い診療所に赴任してきたのは、今から10年程前の話になる。

 以来、夏を篠ノ目島で過ごす……それは葉摘達にとって毎年の恒例事で、二年前のあの夏も、お盆の休みに入れば母のリカコも合流し、四人は夏の休暇を楽しく過ごす筈だったのだ。


響也きょうやお兄ちゃんは本当に綺麗だよね。ママや秋叔父さんと同じ血が流れているなんて信じられないよ」


 篠ノ目島への出発前、前年の夏のアルバムを母娘で眺めながら葉摘はつみはしみじみとした調子でそう言った。


 響也は葉摘がそれまで出会ったどの人間よりも整った顔貌をしている。

 サラサラの黒髪に長い睫毛に縁取られた優しい瞳。穏やかで静かな声、物腰。

 初めて響也に出会った5歳の時から、響也はずっと葉摘の憧れの王子様だ。


「……響也のお母さん、顔だけは綺麗な人だったから。そっちに似たんでしょ」


 そっけなく答えるリカコの言葉に、葉摘は出会った事のない響也の母へ一瞬思いを馳せる。


 亡くなった祖父、卓一の後妻。

 リカコや秋也とはいわゆる「なさぬ仲」と言う事になる。

 響也は二人にとっては異母兄弟だった。

 リカコはなぜ響也が母親の元を離れ、秋也に引き取られたのか詳しい話しをしたがらなかったが、小学生の葉摘でもなんとなく事情を察することは出来た。


「……それにしても、アンタって失礼な子だわね。お母さんが不細工ならお母さん似のアンタはどうなの?」


 近年とみに生意気になってきた娘に、笑い含みの怒り顔で文句を言うリカコ。


「ママはお化粧すれば美人さんだよ。だからワタシもお化粧を頑張るからいいの」

「アンタね~……なにそれ? 怒っていいのか笑っていいのか分かんなくなるじゃない」


 怒りより笑いに負けているのが明らかな表情で葉摘の丸い額をつつく母の瞳は、和やかで優しい。

 母親と言うのはこういう物だと葉摘は思う。

 だが響也の母親はリカコと違い、自分の子供を愛する事が出来ない女だった。

 響也の父が亡くなった後にたくさんの遺産を貰ったその人は、別の男性を好きになって、邪魔になった響也にとても辛く当たったのだ。


 ……と、島の屋敷にお手伝いに来るおばさん達が噂していたのを、葉摘は耳に挟んだ事がある。


 あんなに格好良くて頭もよくて優しくて、響也お兄ちゃんみたいなのが自分の息子だったらどんなに自慢か分からないのに……。

 ワタシだったら絶対写メを撮りまくってみんなに見せびらかしちゃうよ。

 なのにどうして響也お兄ちゃんのママは、お兄ちゃんのことを棄てたり出来たんだろう?


 葉摘はアルバムを眺めながら、胸の内に呟いた。


 夏休みに響也と島に行ったなら、たくさん写メと動画を撮ろう。学校や塾の友達に見せびらかすんだ。

 雑誌の男の子モデルや芸能人なんかよりも絶対に響也お兄ちゃんの方が格好いいもん。

 みんな絶対に羨ましがる。


 そんな思いを胸に島での日々、折に触れて葉摘は響也の動画や画像をスマホに記録した。

 だけど、響也の容姿への称賛を学校や塾友達から得ると言う葉摘のささやかな虚栄心を満たす夢は、叶えられることはなかった。

 世界は災厄により変質し、島は外界との連絡の一切を断たれてしまったのだ。


 TV画面は砂嵐だけを映し出し耳障りなノイズ以外の何をも語らず、それまで当たり前に享受していた携帯電話の利便性も……こんな離島にまで情報を配信してくれていたPCのネットワークも、何もかもが二年前のあの日を境に消え去ってしまっていた。

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