第107話
「この壁がある限り、絶対にワシには勝てん! 確かに今は主霊を晒しておるが、ヒャヒャヒャヒャヒャ! その小娘には破る術も存在しな……!」
老いさらばえた眼が、意地悪く目の前に居た陸前を捉えた。
そして、戦慄した。
「い……の……じゃ……?」
陸前はコキュウトスを持っていない。
「待て」
陸前の右腕に取り付けられているもの。
「待て。なんじゃ、それは」
金色の巨砲。螺鈿細工のように施された蒼い炎。
その口径は、優に70センチを超える、規格外の銃器。
迸るエネルギーは、さっきまでのコキュウトスとは比較にもならない。
「……何って。見ての通りです。神器ですよ」
――己の総てを投げ打ち捨てて。
――己の命を黄金の薪とし。
――魂魄の炉へと投げ込み燃やす。
――されど恐怖は其処に無く。僅かな希望を手繰り寄せ。
――丈超えし、果てに昇る大光に挑まんとする。
――その道程歩み伏せる杖を。金色が我が身に求めんとするならば――
半物質特性・神滅素・限定全解放。縮小機構、限定全解除。
外部時空特性、自動適合。使用者・承認者・確認完了。
承認術式階級・「弐」。限定付与。
二等級第二号弓砲系神器――
神器を覚醒に導く前提条件。その一つは陸前家の血統。そしてもう一つは初代封者に近い体質の者。
そして、これを満たしたうえで、それぞれの神器を扱うための『適正』を、神器の中に潜む初代封者の意志に示す必要がある。
天照之黒影に必要な適性は「献身」。守るべき者のために矢面に立ち続けるための力。
そしてこの神器に必要な物は――
「『勇気』……ですか?」
6年前。
陸前 春冬に最もふさわしく、彼女がこれから友とする神器の継承の日のことである。
継承式を終えた11歳の彼女は、父親の書斎でこの神器の説明を受けていた。いつも嗅ぐ、古本とインクと、そしてどこか不快感のある『親父』の臭いに満ちた小ぢんまりとしたこの部屋で、父親と向き合っている。
「ああ。そうだ。この神器の真の力を使うには、大きな大きな勇気を見せなきゃいけない」
「何でこんなものを私に?」
彼女は不満げに父親を睨んだ。
「私に勇気なんて、程遠いものだと思ってるんですけど」
「そう思うかな」
「ええ。私は勇者になんてなれないですよ」
ヘタレだ。皮肉としか思えない当てつけだ。
先に見た『解放の儀』の時も、「大砲」の形をした神器は「弓」を形作った。不完全な覚醒である証拠だ。
勇気は陸前 春冬にはない。それを、皆の前で証明してしまっただけのことだ。
こんなの悪い冗談だ。もう神器は変えることも出来ないのだから。
真剣に真剣に悩んだ結果がこれというのなら、目の前の男性はとんでもない愚か者としか言いようが無い。
「春冬。勇気とは、どんな行いかな」
落ち着いた声がかえって彼女を逆なでするが、即座に答える。
漫画やアニメ、ゲームで散々見てきたことだ。
「それは、危険を顧みずに人を助けたりすることでは」
「違うよ、春冬。もっともっと、身近なものだ」
「?」
「勇気とは、割合だと思っている。身の丈以上のことに立ち向かう時、その人は既に勇者になっている。――確かに、危険を顧みずに溺れている子供を助けに行ったりするのは、絶対的な勇気の好例かもしれない。でも、そうだな。喩えば、春冬が嫌いな、セロリがあるだろう?」
「ありますね」
「それを頑張って食べてみるのだって、立派な勇気だ。あんまり勇気は重く考えなくていいことなんだ。――お父さんがそれを選んだのはね、春冬」
春冬は、この時の父親の目を数回だけ見たことがある。
『この目』をしている時は、どんな言葉も浮かんでこなくなる。ただ、漠然と、嬉しさと温かさを感じるだけ。
親心子知らず、という言葉があるが、春冬はその言葉を否定する。
親心を、こうして、分かりやすく、温かに、この人は表現してくれるから。
「春冬が、勇気がある子だってずっと思っているからだよ。確かに春冬は、ちょっと人と話すのが苦手だったり、勉強が苦手かもしれない。でも、いざという時は言うべきことを言うし、立ち向かったりもする。それこそ、お父さんたちが驚くくらいにね。今は、きっと、その大きな勇気を向けるだけの何かが無いだけ。勇気を出せるだけの何かが出来た時、それはきっと春冬の力になるよ」
「……そんな何かが……出来るんでしょうか。私なんかに」
「出来る。お父さんだって凄くヘタレだったのに、お母さんなんて最高の人と結婚出来たんだから」
「うん、今日一番の説得力ですよ今の」
「複雑!」
「でもいくら何でも、もうちょっとこの神器の「名前」だけは何とかならないんでしょうか」
「嫌かな?」
「嫌ですね。だってこんな名前、女の子らしくないです。もしも好きな人が――」
数年前の少年の顔が頭をよぎって、すぐに掻き消した。
「――好きな人が出来た時、これの名前をおいそれと言えませんよ」
「素戔嗚之大勇心(すさのおのだいゆうしん)」
決定の日から、6年後。遂に陸前はその名を呼んで、静かに安堵する。
兼代に、こんな雄々しい名前を聞かれなくてよかった、と。
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