第73話
「壁」
壁に手をあてた。そしてそのまま歩き始める。
トイレが見えないとはいっても、消滅したわけではない。実体はあり、触れられるはずなのだ。つまりこうして壁に手を当て辿り続ければ、『見えない』扉に手を触れられるはずなのだ。そこを押せば、トイレである。彼はきっと、そこにいるはずだ。
グルスが幻覚を使ってきたということは、彼は誘いを撥ね退けたということだ。それはとても頼もしいし、何よりのことだ。
彼は本当に真っすぐに、自分に協力してくれて、魔念人を討伐することに力を注いでくれる。
そんな風に能天気に思える人種だったら、どんなに幸せだっただろうか。
「……」
知っていくほど、知らなくなった。
思い出の中の彼は、今でも強烈に記憶に焼き付く光だけど。
自分は影の部分を知ってしまった。
そのことが、今までにない負い目になっている。
魔念人との戦いとはつまり、そのトラウマを再現するということなのだから。
だから、だから、知りたい。本当の所を。
今、そのことについてどう思っているのか。恐怖はないのか。嫌悪感はないのか。
そうでないと、不安でたまらない。
彼がどれだけ傷ついているのか。どれだけ傷ついて、彼はここにいるのか。それが、知りたい。
知りたい……
何でだろう?
キイッ。
「あっ」
見つけた。どれほど歩いたのか分からないが、自分が『認識できない』場所のドアが開いたのだ。その中は不自然な暗闇一色に見えてしまい、何も見ることは出来ない。
「兼代君?」
声をかけた。
しかし返事が返ってこない。
「兼代君」
少しだけ声を大きくした。しかし返事が返ってこない。
焦りが生まれる。もしかして彼は、ここにいなくて。いや。
既に、彼は、排除されてしまったのかも――!?
『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
ゴボゴボゴボ! ゴボボボボボボボ!
「え?」
水音。
そして、続いてドアの開く音。
「ふうー……って、え!? り、陸前!? 何でドアの前に!」
「ちょっと兼代君どこにいるんですか、一発殴らせて下さいよ。こっちがどんな気持ちでアンタを探してたと思ってんですかね。それなのに何でゆっくりトイレタイムを満喫してるのかその辺を教えて下さいよ」
「どこにいるって……見えないのか? よし、じゃあちょっとまずは俺を外に出してくれ! そこに居ると出れない!」
「待ち構えます。カウンターの構えで待ちます」
「いや、俺、まだ手を洗ってない」
陸前は全力で引き、兼代は直後に外に出た。すぐに兼代は手洗い場に移動し、ちびた石鹸で必死に手を洗い始める。
「ふうー。ほんとこの学校のトイレの構造も変だよな。何で手洗う場所が外にあんだかな。おかげでトイレのドアノブ、いっつも呪いのドアノブって言われてたぜ」
「私も手を洗わないとですねソレ。普通に致命的欠陥ですよ」
「よしっ! これで完璧っと!」
常備している清潔なハンカチで手を拭きとると、なるほど。見事なまでに綺麗な手が現れた。きっと普段手元に無頓着な一般人よりも綺麗になっているのだろうと見ただけで分かり、彼の経験値のほどがうかがえる。
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