第65話

 10数分が経過した。小学校のトイレという限定的なスポットを回るだけのこと、そうそうは時間はかからない。

 全てのトイレを回った。体育館のトイレにもこっそり忍び込んだし、職員室のトイレにも入った。しかしポルターガイスト現象どころか虫一匹飛び出してこないという実に清掃の行き届いた優秀なトイレばかりであり、異常は何も見られない。

 そして兼代もまた然りだった。


「うーん。何もねえぞ陸前。本当に俺がカギなのか?」

「そのはずらしいんですけどね。もっと気合入れてサーチ力を発揮すればいいのでは?」

「サーチに気合ってどんな状況だよ」

「ぎぬう~~~~~んと、目を凝らして」

「どんなだよ。もう時間もあんましねえし……急いでもっかい回るか」

「お、結構乗り気なんですね。いいことです。この陸前家長女が貴方を称えて差し上げましょう」

「何でだからたまにいちいちお嬢様ぶるんだ!」

「お嬢様ですわ。むふ」

「お嬢様はそんなキモイ笑い方しない! とにかく、ちょっと早足しよう。もうちょっとで時間だし」


 今いるのは図書室隣のトイレだ。そこからもう一度ルートを回ることにせんと、大股に歩みを進める。


「しかし、月日星さんはああ言ってたけど、具体的に何か被害はあったのかな」

「どうなんでしょうね? その辺は聞いてないですね。被害が出る前に封印しようというのはベストだと思いますが」

「ああ。何事も何も起こらないのが最高だ」


 兼代は角を曲がった。陸前には、横顔が見える形になる。


「――世の中、起こり続けていても無視されることもあるもんな」

「え」


 この言葉を言った時、兼代の顔はすぐに角に隠れてしまう。

 背筋がぞっと冷たくなる。

 起こり続けても無視される。それはつまり――


「兼代君」

「ん」


 素っ気ない返事が返って来る。

 陸前は珍しく、自分の言葉に熱い感情を感じていた。


「その、起こり続けても無視されるって……どんな――」


 続きの言葉は。


「お?」


 ぺたぺたぺたぺた、という、子供の上履きの音でかき消された。

 今はまだ授業時間。それなのに教室の外に出て走っている子供。ということは、答えは一つしかない。陸前も角を曲がって、その姿を確認した。

 渋い無表情をした、子供だった。恐らくは小学2年生くらいだろう。

 いわゆる坊ちゃんカットに眼鏡でやせ型の子供だった。顔は真っ赤になっていて、その窮状を嫌というほどに物語っている。

 目元には涙が浮かんでいて、兼代たちを見つけても一声もかける気配も無い。一直線に、目的地に向かっている。


「こんにちは」


 兼代が先に挨拶をすると、子供は、


「……っちはっ」


 殆ど聞き取れないくらいの声で言った。

 陸前は挨拶をしなかったが、それでも子供は何も言わずにその横を駆け抜け――図書室横のトイレへと急ぐ。

 その背中がトイレ内に入るまでを、兼代は目で追っていた。


「……あの子。随分慣れてるな」

「え。そんなの分かるんですか?」

「ああ。あの歩き方、重心の位置、歩幅にコース取りの無駄の無さ。どれをとってもアレは一級品だったぜ」

「何ですかその凄まじく無駄な目」

「俺はガチ勢だからな」


 言いつつ、兼代はまだトイレの方を見ている。色々とうるさい昨今ならば事案の案件でもあろう行為だったが、兼代の眼は真剣だった。


「どうしたんです兼代君?」

「……いや。ちょっとな」


 子供は無事にトイレに辿り着いたようだった。あの様子なら、もう大丈夫だろう。それは陸前にも分かることだ。

 しかし兼代は、まるで彼が「間に合わなかった」かのような厳しい視線を送っている。


「きゃああああああああああ!?」

「!?」


 今しがた入った男子トイレから上がった悲鳴。

 瞬間、兼代の体が弾かれたように動く。


「な、何でしょう!?」

「決まってるんだろ! 出たんじゃねえか! 例のが!」


 例の、霊。残留思念。


「兼代君」


 肺活量の少ないなりに大声を出したつもりだった。しかしやはりいつもの平坦な口調しか出ないままに、背中を追いかける。図書室のトイレまであと数メートル――

 その時は近い。目前だ。

 だが。


「お前……!」


 一足先に到着していた兼代。

 その反応の奇妙さから察したもの。それへの恐怖を頭から振り払いつつ、陸前も到着し。


「え」


 『その相手』に、絶望に近い感情が芽生えるのを感じた。

 目元を覆い隠す漆黒の頭巾。やせ形の体躯。暗殺者のような身なり。

 子供はその足元で、自分の眼と腹を手で押さえていた。


「な、何!? 何なの!? 目、目が……! 『トイレはどこに行ったの』!?」


 子供の顔を見て、戦慄が走る。『右目』が、赤黒に染まっている。

 それは直感だった。そして確信でもある。

 陸前と兼代は相手の正体を察し、呟いた。


「魔念人」

「……グルス・ナイトメアウォーカー」


 頭巾の男・グルス――三人目の魔念人は、極めて低く小さな声で名乗る。

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