第63話
「兼代君。今日はこんなところにいるんです。折角だから、童心に帰りましょうよ」
「え? ど、童心? 何だ? 遊具ででも遊ぶのか?」
この亀の山小学校は、遊具自体は実に充実している。安全上危険だという理由で撤去されたものもいくつかあるのだが、それでも子供が十人以上は同時に遊べる遊具が3つもあり、子供心を持つ者のそれを、存分にくすぐって来る。
だが陸前の思惑はそうではなかった。彼の癒しとなりたかった。
だからこそ、彼女はこう言った。
「そういうことじゃないです。今日は私をママと呼んでも構いませんよ」
「いきなりどうした!? 何でお前をママと呼ばなきゃいけなくなったの!?」
「まあ任意です。ですが、辛いときや哀しいとき、特に今日この日に感じた時は、いつでも私をママと呼んで頼って下さい」
「呼ばねーよ! お前からはそれほど母性感じないし! どっちかって言うと守られる側じゃんお前のキャラ! ヘタレだし!」
「いいから呼ぶんですよ、私をママと。お前から産まれたいくらいのとびっきりキモイセリフを吐くんですよオラア」
「もう悪徳刑事みたいになってるぞお前は」
「むむむ、手ごわいですね。なるほど、バブみは求めないタイプですか」
「何だそのわけわからんが業の深そうな単語は」
「最近の流行りです。まあ誤用ですけどね」
「あっそう。それより、さっさと探そうぜ、その残留思念とやら」
言いつつ、兼代は陸前に背中を見せた。今の時間は授業中で、生徒達は皆教室内に入って勉強をしている。全てのサイズが小さい小学校であるため兼代たちは教室からの窓から丸見えで、注目を集めていた。
そんな子供たちを、兼代はじいっと見つめながら歩いている。
その眼差しが、陸前を不安にさせた。
「……兼代君、どうしました? ロリコンに目覚めでもしたんですか?」
「いや。ちょっとな」
「……」
陸前は兼代の腕を掴んだ。
「子供に見とれてる場合じゃないんですよ、さっさとしますよ。時間無いんです。尺の都合があるんですから」
「別に見惚れてるわけじゃ……! い、いてててて! どうしたのマジで陸前さっきから! やたらアグレッシブだな!?」
「私は元々アタッカー気質です」
「そういや最初そうだったな。ぐいぐい引っ張るタイプだったな」
強引に引っ張り、陸前は兼代を近くのトイレまで無理矢理引っ立てる。小学校なだけにトイレまでがミニサイズであり、青いドアのにすりガラスのはめ込まれたドアは、身を屈めないと頭をぶつけてしまいそうだった。
「どうですか? 何か感じませんか?」
「うーん……特に何も、だな。俺、別に霊感とかある方じゃないし。本当に俺でいいのか?」
「さあ。実際のとこ、何とも言えないっていうのが。何せ月日星さんが言ってたことですから」
陸前のこの言葉は嘘だ。実際は、残留思念とかかわりがある・あった人間ほど、それが見えるようになる。だがこれは正体をばらすにも等しいことだと、嘘をこしらえてきたのだ。
トイレを前にしてから、陸前は兼代の変化に気を配っていた。
きっと辛い思い出があったであろう、この場所を前にして、一体彼はどんな変化を見せるのだろう。兼代を得意のポーカーフェイスのまま見つめていると、
「あっ」
兼代は、目元をふと拭った。
陸前は、音速で兼代の頭をロックし、自分の胸に押し付けた。
「むご!? む、むがおおおおおお!? びぐべぶーーーー!?」
「大丈夫です兼代君、今はもう一人じゃないんですよ。大丈夫です、私がいますから。ママが一緒です。バブっていいんですよほら」
「な、なんのことだよ! 目にゴミが入っただけだ! 何でそんなヘッドロックすんだよ!」
「! め、目にゴミですか。そんなベタなことあるんですね……」
「ベタで悪かったな」
陸前から解放された兼代は目をぐいぐい乱暴にこすった。
「おー、いて。でも、本当に懐かしいな。たった5年くらい前までここに居たのになあ。見ろよ、このネットに入った固形石鹸。絶対にちびて米粒みたいになってたりするもんだよな」
「ええ、そういうのは本当に懐かしいですね。まあ私は女子でしたし兼代君とは違う学校でしたからなんとも共感しにくいですが。液体石鹸でしたし」
「それに、このポスターも懐かしいな。俺が一年の頃からあったよ。俺、よくトイレ来てたから全文覚えちまってるな」
そう言って兼代は、トイレの横に貼ってある『手の洗い方』のレクチャーを懐かしそうに眺めていた。その横顔を見て、寂しそうだとか――哀しそうだとか、辛そうだとか。誰よりも表情が無い陸前には読み取ることが難しいこと極まりない。
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