第32話「新機軸」

 シェリル・オズワルドが密集地区の大物、スカーフェイス・ジャッキーとの密会に臨んだのは、大雨になりそうだけどならない曇りの日だった――事実、午後からの予報は晴れ。ジャッキーは地下の酒場、VIP席の奥、大仰なベールに覆われた場所に腰掛けている。影だけが見えてミステリアスな黒幕を演出させたいときに座る席だ。シェリルは上納金を渡すと今後のビジネスについて語りたかったが、対話相手である暗黒街の大姐御はまず抽象的な話から入りたがる。


「シェリル、この街の現状についてどう思うんだい?」


「まあ最悪でしょうね」


「最悪、その通りさ」ジャッキーの影が満足そうに頷いた。「警官どもは汚職にまみれ、そうでなくても犯罪を見て見ぬふり、流刑人たちは頭をファントムに冒されこの国のイカれた流儀に染まっていくし、どの企業の辞書にも倫理なんて言葉は載ってないときてる。市民どもは思考停止の日和見を決め込んでるし、極めつけはあんたらさ」


「あたしたちは日々、身を粉にして国を、都市を守るために働いていますよ、それは姐さんもご存知のはずでしょう」


「いいや、あんたらこそがファントムをこの国に呼ぶ諸悪の根源なのさ。自分で火を点けて仕事を作る消防士みたくね」


「仕事は自分で作る物ですよ、姐さん」


 ジャッキーは含み笑いをしながら酒を飲んだ。シェリルもそうする。


「だいいち、そんな腐った軍の後援者の一人があなたのはずだ。大財閥もマスコミも、口ではあたしたちを非難するくせに、その実、観測兵を支援しようとする。ファントムを狩る役目の人間がいなければ国が滅んでしまうからね」


「そりゃそうさ。しかしだ、時折頭がおかしくなりそうなことがある。たらふく飲んだ翌日の朝とかにね。二日酔いで気分が悪いせいかもしれないけれど、とてつもない怪異が日々数え切れないくらいに紛れ込んできて、あんたらがそれを片付け、何事もなかったかのように日常が続く。そいつがひどく、奇怪なことに思える」


 そういえばこの人物も、もとは帝国人であったのだとシェリルは思い出す。どこぞの貴族の娘であったという噂を耳にしたこともある。


「それで、その現状に対して姐さんは、どういった対処をするおつもりで? もしや、ほんとうに観測兵軍を除く気ですか? 確かにあるいは、そうすることでファントムすべても消えてなくなるかも」


「そんなことはしないさ。重要なのは物語だ。怪異を観測し、定義し、滅する、それがあんたらだからな。いなくなれば、誰もそれはできない。そいつはこの国で食ってく以上、あっちゃならないことさ。ただ、ひどく疲れることもある。流刑人の中には、わたしと同じ気持ちの奴もいるはずさね」


「そういう疲れた人のために娯楽を提供しようということですか?」


 シェリルの言葉に、ジャッキーの影が大きく頷いた。


「いかにもそうさね、しかし娯楽じゃあない。もっと神聖なものさ。そいつは神だ。とある古き神を崇拝する、新しい宗教、そいつを流刑人たちへ広める。これぞ新しいビジネスさ」


 てっきり新作のドラッグでも卸すのかと思っていたシェリルは意外に感じるが、どちらにせよ、なんとも如何わしい臭いを嗅ぎ取り神の名を尋ねた。


「そいつは■■■■と呼ばれている」


 うまく聞き取れなかった――機械で加工されたように、歪み、押しつぶされたように聞こえた。再度尋ねるが、同じ結果だった。


 次いでスカーフェイス・ジャッキーはシェリルに新しいビジネスとして、この神に関連する冊子の配布を依頼してきた。承諾するが、どうにも気分が悪かった。今更目の前の人物の悪辣さに眉を顰めるでもないし、薄味の酒のせいでもない。その名を呼ぶことを含めて、神とやらがどうやらファントムなのだろう、とシェリルは判断し、かといって上司に当たるこの黒幕を滅するわけにもいかないし、そうしたところで意味もなさそうなので、その場を去ることにした。


 ベールの向こうで何かがうねった。来るときには気づかなかったが、妙に生臭い臭いがする。護衛の黒服たちはどう見ても三メートルか、もっとある。店内にわんさかいた客たちは妙に静かだ。どうにも嫌な気分のままでシェリルは店を出るが、ずっと何者かに見られている感覚が消えない。


 しかし、かの神がなんであろうと、そいつがカネになれば御の字だし、見知らぬ異国に流されてきた人々が安らげるならば結構なことではないか。

 そう考えてシェリルは、潮の臭いに満ちた街を、そこらにうごめく■■■■の眷属と思しき存在・・から目を逸らしつつ歩いた。

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