君の隣にいても良いですか

文月六日

第1話

 正直な話、第一印象はお世辞にも良いとは言えなかった。

 どちらかと言えば自分も弟の時宗も素行は派手な方だったし、実際伴うように付き合ってきた女性たちもクラスの中で目立つ奴が多かったように思う。

 だから初めて時宗がそいつを家に連れてきた時はこの上なく驚いたものだ。驚愕と言っても過言ではない。

 その風貌は決してあか抜けているとは言い難く、率直な感想は地味という一言に尽きた。

 脱色もしたことのなさそうな黒髪は肩上で切りそろえられ、制服であるチェック柄のスカートはきっちり膝丈で揺れていた。目鼻立ちはそう悪くはなかったが、化粧っ気のない上に表情も豊かには見えず、図書室の端で本の虫をやっているのが似合いそうな。根暗そうな女。

 聞くところによれば恋人関係ではなくただの趣味を通じた友人とのことだったが、兄としてはもっと社交的な女性と仲睦まじくして欲しかったのだ。なにがきっかけで今後が左右されるか分かったものではない。

 故にその女生徒、小鳥遊美咲への反応はとても良いと言えるものではなかった。


 そんな彼女を目で追うようになったのはいつからだろう。

 頻繁に家に訪れ話しかけられるようになってからだろうか。普段は周り(主に時宗にだ)に笑われるからとあまり漏らさないようにしていた愚痴も、うっかりと話せば親身になって聞いてくれた。そればかりか、俺が生徒会長という役職についている事に「大変なんですから無理は為さらぬよう」なんて労いまでくれた。

 学校ですれ違う度に笑顔で話し掛けてくれるのも印象的だった。始めは能面の様だとさえ思っていたのに、それはもう、花の綻ぶとはまるで彼女のためにあるのではないかと感動する程に綺麗に笑うのだ。

 けれど、やはり意識し始めたのは時宗の一言だろう。最近は小鳥遊の事ばかり話していると指摘されれば、もしや自分は彼女の事が好きなのかもしれない。そう真剣に三徹するくらいには悩んだ。青天の霹靂だったのだ。

 当初はバカにしていた“地味”な姿も今では“清楚”な姿にへと変貌していて、彼女の可憐な微笑みは脳裏を片時も離れないまでになっていた。








 「だから今日告白しようと思うんだ。」


 夏休みも明けた残暑のきついある日、昼飯をとりながら生徒会室でそう親友に宣言すれば何の気の迷いかと笑われた。彼の言い分も尤もだ。今までの自分の女性歴を概ね知っていて、常に受け手でお別れを言い出すのはこちらから。そんな姿を見ていれば、何故初めての告白がよりによってあの地味子なのか。


 「お前は知らないかも知れないけどな、小鳥遊は名家のお嬢様なんだぞ。」


 それは事実だった。小鳥遊はこの界隈で有名な地主の孫娘だ。どうやら両親は多忙で各地を飛び回っているらしいが、受験を見据えた彼女は現在家主である祖母とだだっ広い日本家屋に二人で住んでいる。以前に家事が大変だろうからと下心ありで手伝いを申し出たが、家政婦が居るからとやんわり断られた事があるので間違いない。

 尤も彼女自身は学内で身分を隠しているようであったので、口の固い友人にはここだけの話だと釘を刺しておく。今年転校という形で入学して来た彼女にはそれなりの事情があるようなのだ。しかし、と思う。時宗を除いたクラスメイトにも他言無用とは徹底も過ぎた内密振りではないだろうか。

 まぁ、つまりは。と聞きに徹していた友人が口を開いた。


 「結局な話、事業家一族である悠木家のご長男様にとって、有望なお嫁さん候補って訳だ。」

 「そ、そんなんじゃねぇよ!」


 バカ!お嫁さんだなんて!いや、でも、それくらい本気なのには違いないけど!動揺してそう叫ぶも、友人の思わぬ一言に小鳥遊のウェディングドレスを想像してしまう。やっぱり可愛い。白無垢も似合うかもしれない。いや、だから、そういう事じゃなくて。

 話も盛り上がればたった一時間の昼休みは矢の如く過ぎ去る。そして女子顔負けに会話を弾ませていた俺達には、生徒会室のドアの向う側に来訪者が来て、そして去って行った事に気が付かなかったのだった。








 期待もあれば時間が過ぎるのもあっという間だ。その日の放課後、俺は小鳥遊を呼び出して屋上にいた。

 小鳥遊、そう彼女を呼んだ声は自分らしくなく震える。汗が滲む手を握りしめて、しっかりと正面を向き彼女の整った二重瞼を視線でなぞる。小鳥遊は背中の向こう、紅い夕暮れを背負って黒い瞳を揺らしていた。


 「好きだ。」


 好きなんだ。目を見て、けれど逸らしてしまって、視界には彼女の制服のスカートが映る。口の中はからからに乾いて、この一瞬ですら永遠に感じてしまう。

 小鳥遊は口に手を当てて、そうしてすぐにふふっと吐息のような笑みをこぼした。思わず顔を上げて彼女を見ると、俺を見つめて微笑む姿に、夕日のせいではなく顔が赤くなる。


 「あなたは、私の憧れでした。」


 くるりとスカートを翻して後ろを振り返った高いフェンス向こう、沈む太陽より先のどこか遠くをみて彼女は言った。


 「最初は遠くから見ているだけで幸せでした。悠木くん…、あなたの弟さんからは厳しい面も沢山あるとは伺っていましたが、優柔不断がちな私は、その自己をしっかりと持ったあなたの姿にどうしようもなく惹かれたのです。」


 大きなご一家を背負って将来を見据えている姿。生徒会という大変責任ある役職を全うしている姿。時には廃部となった園芸部の花壇のお世話をする優しい姿。どれも素敵に見えました。

 当時の事を思い出しているのだろうか、目を細めて詩を読むように彼女は語る。つらつらと並べられるその言葉を耳にして、どうして浮かれない奴がいるだろうか。屋上に呼び出した時とは違う緊張に鼓動が早くなる。飲む唾は硬くて、同じ想いだったのかと期待に目頭が熱くなった。

 感極まった自分の姿を認めて、友人に見せるものとはまた違った、それはそれは綺麗な笑みを浮かべると彼女は続けた。


 「けれど先輩にとって私は、只の都合の良い条件が揃ったお嬢様なのでしょうね。」

 「え…?」

 「お昼休み、生徒会室でお話しされてたでしょう。」


 こちらを振り向いた彼女を見て思う。相変わらず微笑みを湛えて、けれどどこか違う。自分が欲しかったのは“これ”じゃないと気付く。


 「立ち聞きが良くないのは分かっています。用があってお伺いしたのですが、込み入ったお話をされていた様だったので入るのは遠慮させて頂いたんです。」

 「待ってくれ、一体何を、言って…。」


 その時に浮かれていた鈍い頭は漸く回転を再開した。もしかして、いや、もしかしなくても、まさか。

 決してそんなつもりはなかったのだ。自分は純粋に小鳥遊の人柄に惹かれていて、想い募ってこうして今生初めての告白に臨んでいる訳で。その柔らかい笑顔とか、会話の合間に小首を傾げる仕草とか、誰にでも優しく丁寧な姿が好きな訳で。彼女が今誤解しているような、家柄などに将来の打算を組んでいる訳ではなく。


 「でもあなたの本心が聞けて良かったです。ねぇ、先輩。」


 満面の笑みを浮かべて、けれどその瞳はゴミを見るかのように冷ややかだった。小鳥遊、と同じ名前を最初とは違う強張りで呼びかける。勘違いだと一言告げたいだけなのに、しかし返されるのは変わらず綺麗なだけの笑顔だ。どうした事だろう、回るはずの口は凍ってしまって開かない。手が震えて、瞳も反らせない自分をじいっと見て彼女は続ける。


 「あなたは私の事なんて何にも知りやしない。」


 ねぇ、先輩。まるで呪文のように呼ぶ彼女の、好きだと思っていた彼女の声が、途端にヒヤリとかたく聞こえた。


 「私はあなたのことが大嫌いです。」


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