うちの母さん、じゅうななさい。

はなぶさ利洋

第1話「母さんと、僕」

 僕の名前は、国吉聖也くによしまさや


 市立・高塚たかつか小学校にて、日々下駄履きの生活を送る小学六年生だ。


 家族構成は父ひとり母ひとり、そして僕を含めたいわゆる核家族(この間、社会科の授業で覚えた)の三人構成である。


 住まいは、小学校から徒歩十五分のところにある築十年にもなるマンションの一〇一号室(3LDK)にある。


 まあ3LDKもあるので、自慢じゃないがそれなりには広い。ちなみに、僕の両親は共働きなので、たいていの場合僕が学校から帰ってくると家はガラ空きである。そこは少し寂しいと思う気がしないでもないけれど……。


 とりあえず自分の紹介はこんなものかな。何か質問があったら、遠慮なく聞いてほしい。


 え、「小学六年生のくせにやけに独白が大人めいてるな」だって?


 まあ、無意識のうちにそんなしゃべりかたをしてるってのもあるのだけれど。


 あえて明確な解答を述べるとすると、それは僕が先ほど来言った両親が共働きというのが大きく関わってるからだ。


 ふたりとも仕事の都合で遅く帰ってくるのがもっぱらだ。


 母親はたいてい僕が寝るか寝ないかの時間帯でようやく帰宅するし、父親に至っては仕事がせわしなさすぎてもう半年もまともに家で顔を合わせた事がない。


 ……そりゃあ、こんな小学生らしからぬ六年生にもなるって。


 けれども、両親がなかなか家に帰れないのはあくまでそういう仕事をしてるからなので、僕は特段それについて思うことは何もない。


 だからそんな両親を僕は責めたりはしないのだ。


 そんな僕の母は、というと……。


 ☆☆☆☆☆☆


「マサ、帰ろか」と、ふと声のした方へふり向くと、同級生の友達が声をかけてきていた。


「帰りの会はとっくに終わったでー」

「えっ、マジか。コウ」

「マジやがな。マサはほんまに向こう見ずさんやでー」


 コテコテの関西弁を流星群のように煌めかすこいつは、同じクラスの金森かなもり航平こうへいこと、コウ。


 こいつとはなんせ幼稚園からの付き合いで、今でもよく一緒に遊んだりするし、よく授業でも作業を共有したりとなにかと関わりのあるやつだ。


 先ほどのセリフを言っていたコウは、僕を前にしてワザとらしく笑ってみせている。


「ハハハ……。まあ、ええわ。帰ろか、な?」


 それから咄嗟に、僕も笑いかえしつつも言った。


「うんっ! 帰ろ、帰ろ」


 そう言って間も無く僕は椅子から立ち上がり、コウの緩やかな歩調と合わせながらふたりして教室を後にした。


 帰路の途中で、コウにじゃあ俺はこっちやから、と言われバイバイと別れの会釈を交わしてから暫く経ったころ。


 そのまま直帰して、なんと玄関開けたら〇・五秒のところに実の母親がいた。


「ただいまー……うおおっ!?」

「う――ん、むにゃ……」


 少し、訂正。


 家に帰ったら靴置きから出てすぐの廊下にて僕の母が爆睡してて、床の上で思いっきり寝転がっていた。


 ……玄関脇に立て掛けてたはずの、茶色い靴べらを大事そうに抱えながら。


 び、ビックリさせやがって畜生。


 ウチでは稀にある現象なのだが、やはり大の大人がこんな感じになるのを見ると毎回、驚愕のリアクションを取らずにはいられない。


 まあ、どうせ仕事の朝帰りだ。


 目の前で巻き起こってる不条理な現象を、そう割り切ってみせて、僕はため息をつく。


 バクバクと、脈打つ心臓に自ずと手の平を押し抱いて、経過とともに緊張が解かれるのを心待ちにすることにした。


 文字どおりひと呼吸おいたのち、


「おい、母さんってば」

「ウフフフフ……ながぐつお代わり…………」


 アホか。


 僕は未だ(皆目検討のつかない)夢の中にて囚われの身である実の母親の頭を、軽くはたいた。


 相変わらず、母は寝ながらにして、へらへらと笑っていた。


「あの、僕帰ってきたんだけど」

「う――ん、あ。アレキサンダーだい……だい…………」

「王も言っちゃえよ! そこまで言ったら!」


 そんなつもりはさらさら無いのに、いつの間にか親子ぐるみで漫才をしているような体を成す。これも、ウチではよくある現象のひとつだ。


 未だ現実への帰還むなしく、ひとり夢の中で東方遠征へと赴いている実の母。


 名は国吉かなえである。ついこの間、誕生日を迎え三十七歳になったばかりである。そんないい歳こいたアラフォーな母は、今しがた玄関先にてそのデカいケツを突き出した状態で僕のことを出迎えてくれてる有り様だ。


 こんなんで、一応、声優をやっているらしい。


 声で優しく、と書いて声優。声の俳優、それが声優というお仕事だ。


 アニメの絵の動きに合わせて声をつける、『アニメ声優』。


 洋画での外国の俳優の一挙手一投足に対して日本語をアテる、『吹き替え声優』。


 あるいは、多々あるテレビ番組内にて番組進行を円滑化させる役割であるナレーションを担当する、いわゆる『ナレーター』などなど。


 ひとくちに声優と言えど、その活躍できる分野は様々ある。


 中でもうちの母は……主に『』として声優活動をしているらしい。


 要は、一端のアイドルのように定期的なライブを開いたり声優情報誌とかで巻頭に掲載されるグラビアを撮影したりとあらゆる仕事をこなす必要があるのだ。


 見た目とか、声とか、体力なんかもそうだし他にも諸々たくさんの能力が肝要になってくる。


 僕が思うに、その中でも重要視されるべきは年齢だ。


 これはさっきも言った事なのだけれども、僕の母はとっくの昔に三十路を迎え既にアラフォーに差し掛かっている三十七歳なのだ。だからこそアイドル声優、引いてはひとりの女性として見てもなかなかいい年齢に達していたりするのである。


 ひとりの息子として僕からの見解は、こうだ。


 強いて曰く、見ていて痛々しいことこの上ない。


 だからだろうか?


 僕自身、小学生の割には物事をやたら達観視するようになってしまった。


 その証拠に学校の宿題ででた将来の夢と題した作文にてただ一人地方公務員を志すことを宣言し、クラスメートに四方八方から盛大に馬鹿にされてしまった経験を持つ。


 やれ夢がないだの、おっさん臭いだのクラス委員や女子たち、果ては親友のコウにまで一斉に顰蹙ひんしゅくを買われてしまった(唯一、担任の柞山ほうさやま先生だけが理解を示してくれたことこそ、せめてもの救いである)。


 そんな経験もあってか次第次第の内に、僕自身でさえも今の自分をこう思うようになっていった。『ああ、なんて可愛げのないガキなんだ』、と。


 そんなこんなで僕にとって肉親の片割れであり、あるいは人間的に反面教師として見られる僕の母かなえは現在進行形で、板張りの廊下の木目の上で爆睡を続行している。


 だが正直、いくらアイドル声優といえども、こんな床の上でよだれ垂らして玄関の備え付けの靴ベラを抱えながら眠るのは如何なものかと思う。あまりにも、みっともなさすぎる。


 最悪、ファンは僕の母を拒絶すらするだろう。


 こんな姿、絶対に見せられない。


 なんて実の息子ながら、一抹の不安を織り交ぜた考えをめぐらせていると。


「んぅ、ううん〜」


 突如として母はその身を捩って、その後ゆっくりと左右に揺らし始めたのだ。


 床上にてもぞもぞ身体をくねらせる母に詰め寄り、僕は両肩に手をそれぞれあてがって軽く揺すった。


「もうとっくに四時を過ぎてるよ? ほら、起きなって」

「おにいちゃんどいて……そいつ、ころ」


(だから、どんな夢見てるわけ?!)


 寝言をそこで切り上げて、閉じられた瞼がゆっくりと開かれてく。


「……んぁ」


 聞いてるだけでも調子の狂いそうになるセリフに、とろけきった甘い声音こわね


 そこはさすが声優といったところだ。声だけなら確実に実年齢よりふた回りほど

下回っている……みたいに聞こえる。


(声だけならまだ「うちの母さん、十七歳(じゅうななさい)」なんだよね)


 ほら、母さんただいま。


 言葉を掛けながら、母の腕を引いてその伏した上体をするすると起こした。


 まだ目がおぼろげだったので、母の顔の前にて手のひらを上下に振り動かしてみる。


「おーい、起きてる」

「んー…………」 


  母はそう言って重たそうな瞼を二、三度ほど瞬かせる。じきに瞬きは止んで、おもむろに目が上へ上へと開かれてく。


 やがて、母の円らなうるう瞳が明らかになる。


 眼の黒には、僕が映りこんでてそれが放れることがなかった。


 そして、


「たっだいまー! マサくぅ――――ん!!」


 ガバッ!


 体感速度で言えばおおよそ亜光速の速さで、僕の母がその身をってして、抱きついてきた。


 あまりに突然のことに、判断が追いつかなく、いくばくかの間があって、ようやく僕は意識を浮上させた。


「……か、母さん。 母さん、ってば」

「はいっ、はーい! あなたの母さんですよー?」


 がっしいいいい……。


 呼びかけてみると、母はいつもみたいに甘ったるくてそれでいてあたたかい声で、下校帰りの僕を迎えてくれていた。


 ついでに言うと僕自身をすっぽりと抱き上げてる己が膂力りょりょくを、母はより一層強めて放そうとしない。


 ス、スキンシップは嬉しいんだけど……。


「むぎゅう〜〜……」

「ん!  マサくんが私の胸元に頭を埋めて何かを伝えようとしている……?  ハッ⁉︎  まさか、そうまでして伝えたいことって、」

「ふがー!  ふがー!」

「最近の、アダルトゲーム原作アニメにありがちな、死ぬ前に、大切な家族のために自ら命を振り絞って言い残そうとする、パターン⁈  イヤああっ! ダメ、ダメよ!  マサくん、まだ死んじゃイヤんっ!」




「本当に死ぬわ――――ッ!」




 母の豊満な胸の中にて、強く抱きとめられながら、僕はキレた。


 これは、大人なのにコドモみたいな僕の母かなえ(三十七さんじゅうなな)と、子供だけど普通な大人を夢見る僕聖也(十一じゅういち)との間にて繰り広げられる、ぼくら親子の何気無い会話のやりとりを掻き集めた物語である。


 ……ところで、物語の序盤がこんな、低俗極まりない始まり方で本当にいいんだろうか。

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