07:薄暮

 それを薄情だと罵られるなら、幾らでも誹りを受けようと僕は思う。なにせあの日、僕は長かった夜の終わりに胸を撫で下ろし、次には自身が生き残る為の選択を、何の躊躇いもなく選んでいたのだから。

 

 かくて山の裏手に出た僕は、予てから用意していた地図を元に駅までのルートを探し、しかして追手の存在も考慮した上で一駅ずらす。最もあの状況でまともにK興業が機能するとは思えなかったが、念には念をと言うべきだろう。鎌ならばまだしも、銃すら持ち出す狂気の沙汰だ。金で以て増員された日には、こちらの明日が危うい。


 脱出地点から徒歩半刻。駅前の公園の、多目的トイレに逃げ込んで鍵をかけ、顔を洗い服を着替える。敢えて裏通りを通りながら歩いた手前、人の目すら須らく掻い潜った筈だ。そこから始発でT市に出、乗り継いでO市。一晩かけた逃避行が拍子抜けするくらいに、目的地への到達はあっけなく済んだ。或いはそれはSちゃんの加護かも知れなかったし、しぶとい僕の悪運かも知れなかった。


 ともかくO市の自動車工場に就職した僕は、戦後最速とも言われるライン作業の勤めを無事果たし、翌年の冬には晴れて福島に渡っていた。遠くからの派遣であったがゆえの失策と踏んだ僕は、今度こそはと現地の求人に直接コンタクトを取った訳だが、こっちはこっちで現役・・のバリバリ。要するに落ち武者のK興業とは比べ物にならないそっち系の企業だった。まあその話はさて置くとしても、僕は僕で一応の本懐は為し、諸々の紆余曲折を挟んだ上で、今は東京でこんな話を書いている。


 おいおいじゃあ例の創作はどうなったのか、ってやり取りをまだ覚えている方もいるかも知れないが、それについて言えば(一先ずは完成したけど)結局はウケなかったという悲劇的な結末が正しい。と言うか若し仮に成功していたとすれば、そもそもここで駄文なんざ書いていないだろうという、この惨状を以て証明完了としたい。


 いやいやそんな話より、SちゃんやEさんはどうなったのかってその後のほうが、読者の皆様にとってはよっぽど重要なエピソードかも知れない。成る程。無論それは僕とても承知している。――だからと敢えて言うのだけれど、悲しい事にろくな真相には辿り着けてはいない。福島に入ってからの日々にも命懸けの状況は幾つかあったし、その中で創作も進めなければならなかった。要するに他人の事に手が回る余裕など微塵もなく、あっという間に数年が過ぎてしまったという訳だ。


 かくて神奈川を経、東京に辿り着き二年。辛うじて心身ともに落ち着きを取り戻す中、ようやっと過去の精算に取り掛かり始めた僕は、当時の記憶を元にネットでの情報収集に手を出すに至る。それは感傷的な動機というよりは、これは作品のネタになるかも知れないという、極めて私的な欲望が強かったという点を、この場で謝罪と共に明言しておきたい。




 先ず第一に、ここ数十年でM市における殺人事件等々はあったのかという点。これについてはNOだった。最も家そのものの乗っ取りという巧妙な手口を使われた以上、表向きは事件ですら無い可能性もある。そもそも下の名しか知らないSちゃんに至っては、実在するかどうかさえも調べるのは困難だった。


 次にK興業について。当時K興業がネットに出していた求人はまだ魚拓が残っていたが、現在も会社として機能しているかどうかについては不明だった。Eさんを含め、本名をフルネームで記憶している人間が誰もいない以上、ここからの詮索も不可能と言っていいだろう。同市には障害者の学校がある事から、もしかするとC君は、ここの出だったのではと推し量る事はできるが……せいぜいがその程度だ。


 ただし防空壕の名を借りた地下道については、かつてその一帯を守護していた神社に繋がる避難路と仮定する事で一応の合点を見た。つまり戦時中に掘られたものでは無く、兼ねてからあったものに手が加えられたという解釈である。だがやはり、これもまた事件の証明には成りえないだろう。




 だから結論を早々に示すならば。殆どが今や闇の中。この物語が真実であるか否かも、全ては読者の方のご想像にお任せする他はない。最もストーリーとして完結している以上、起承転結を用意すべく、創作が紛れ込むのは致し方がない話ではあるのだが……それを言ってしまえば、世に憚る物語の随分と多くを否定してかからねばならない羽目になるのだから、余りに藪蛇だ。


 ゆえに僕の申し上げべく奇譚もこれにて終幕。怪談を語る手前、こんな事を宣っては元も子もないが、やはり僕は実体の無い幽世の存在より、今この煉獄で生きる人のほうが遥かに恐ろしいと信じて止まない。その我欲の犠牲になった屍が幽霊を生むというのなら、それは人の成した業であり罪なのだろう。だから僕たちがどこへ行こうと、どこに逃げようと。黒い夜は、いつだってそこに、僕らの佇む影の水底に、横たわってこちらを見つめている。その漠たる確信を末筆に添え、この物語を終えよう。どうかあなたの人生に幸いがありますように。




 ――黒い夜がいつもいつもそこにある(完)







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