黒い夜がいつもいつもそこにある

糾縄カフク

01:転機

 これは今から数年前、僕が大阪に住んでいた頃の話。

 時期的にはそう、東日本大震災があった年と思って欲しい。


 当時お金に困っていた僕は、高収入を謳い文句にした原発の求人に、喜んで飛びついた。派遣元は愛知県の某所。仮にここをM市としておこう。なんでも担当者の話によれば、暫く土木作業に従事しながら、順番で原発へと駆り出される運びらしい。


 最初は東京での面接と聞いていたが、こちらと併せて登録すれば、原発に入れる可能性が高まるとの事。ならばと二つ返事で快諾した僕は、その翌週には愛知県へと出向いていた。




*          *




 指定された駅前。じりじりと照りつける初夏の太陽に焼かれながら、僕はK興業の社員と落ち合う。遠目に見えるのは二人。どちらもそれなりの高齢に見える。


「遠い所、よく来たな。まあ飯でも食ってけ」

 先に声をあげたのは、小柄で白髪の、日に焼けた老人。口元には髭を蓄えていて、一見するには強面といった印象だ。


「はじめまして。◯◯と言います。宜しくお願いします」

 改めて頭を下げる僕に「そんなに気い遣わんでええよ」と、老人の隣に立つ男が言う。


 こちらは老人とは打って変わって、人懐こそうな笑みを浮かべた中年の男。強いて特徴を上げるなら、被っている青キャップに、欠けた数本の歯とでも言った所か。


「では、お言葉に甘えて、頂きます」

 そして飯でもと通されたのは、駅前の牛丼屋。丼に大量の生姜を乗せる老人を横目に、僕は青キャップの男から仕事の概要について聞かされる。


 なんでも老人がK興業の社長で、男は社員。これから行く一軒家で同じ釜の飯を食いながら、原発への順番を待つ流れらしい。ここで僕は気づいたが、どうやら男は小指が無い。まあ歯と一緒に事故にでも遭ったのだろうと、その時は軽く流していた。


「寮って事になるから、食事と家は心配せんでええ。もう一陣は(原発に)出とるから。あとは◯◯君がいつ来れるかってだけの話や」

「もう仕事は辞めてますので、明日からでも全然。宜しくお願いします」


 どうやら面接とは名ばかり。ごちそうさまと同時に合格を言い渡された僕は、男の運転するハイエースに乗って、寮と呼ばれる一軒家まで向かう事になった。




*          *




 K興業の寮はM市の山間、言ってみればド田舎にあった。よく言えば牧歌的な風景、しかして実情は徒歩十分でやっとコンビニ。それ以外にめぼしい店舗は無く、移動には車が必須なのだとだけ辛うじて推し量る。


「買い物にはこの車で出かけるから、それに乗り合わせて行けばええ」

 砂利道に揺られながら、坂上の一軒家に、やがてハイエースは辿り着く。


「ここが寮や。一応、一人一部屋は確保できとる」

 目の前に佇むのは、見るからに古民家。それも離れに納屋まで完備された、大所帯が住むに足る立派な外観。


「じゃあB、案内は任せた。俺は休むけえ」


 着いて早々に姿を消す社長に後を託された青キャップの男――、便宜上Bさんとしておくが――は、頷いてボリボリと頭を掻くと「それじゃあ」と僕に振り返って笑う。


「中々都会には無い広い家やろ。一階が土間、リビング、そしてお風呂にトイレ」


 ガラリと開く戸の向こう、土間こそ古いままのようだが、キッチンやトイレはリフォーム済みらしい。それなりに掃除が行き届いているらしく、比較的綺麗好きの僕はほっと胸を撫で下ろす。


「奥は社長の住まいやから、そっちに近づくのは禁止な」

 どうやらリビング奥のドアが、先刻社長の消えたプライベートエリアに直結しているようで、その点だけ念押しされた僕は「はい」と返す。


「ん。で、さっきも話にあったと思うけど、飯は三食ここで出るから。昼飯は各自おにぎりでも握って現場に持ってく」


 Bさんは炊飯器やトースターを示しながら続ける。なるほど思ったより悪くないかも、などと内心で言祝ぎ、僕は能天気にも新しい生活に向け気持ちを切り替える。なにせ実家は福島の山奥。こういった古めかしい家屋には、どうしても懐かしさを覚えてしまうタチだ。


「社員は俺を含め二人。Cってんだが、そいつは今仕事に行ってる。それに◯◯と同じ作業員希望者が二人。――今は離れで麻雀でもしてるかな」

 そこまで言ったBさんは「まあ後は、空いてる部屋を適当に使ってくれ」と二回を顎で示し、手を降って離れへと消えていった。


 どうやらよほど麻雀がしたいのだなと内心で慮るも、ここまで放ったらかしにされては如何ともしようがない。そう戸惑う僕の視線の先、キッチンの隅にちょこんと立つ人影が見え、僕はぎょっとした様に後ろに飛び退く。


「?!」

 するとそこには、白いワンピース姿の少女が立っていた。明らかに幼いであろう事だけは分かるが、子供らしい笑顔からはかけ離れた仏頂面だ。


「あ。今日からここでお世話になります。◯◯です。よろしくお願いします」

 Bさんの紹介には無かった筈だけどと一考を巡らせながらも、さしあたってと挨拶をする僕。だけれど少女は頷くだけで返事をしない。もしかすると緊張しているのか、或いは言葉が不自由なのか。


「……」

「……」


 残るのは気まずい沈黙と、遠くで聞こえるひぐらしの声。まさかこんな山奥で女の子と二人きりになるとは思っていなかった僕が諦めかけた頃、やっと少女は口を開いた。


「S……です」

「……Sちゃん、よろしくね」


 それが僕の初めて聞いた、Sちゃんの声だった。彼女の本心はともかく、指で上階を示すにつけ、どうやら僕の案内を引き継いでくれるらしい。Bさんもそれならそうと言ってくれればと内心で毒づきながら、僕はSちゃんの後を追ったのだった。




*          *




 Sちゃんが向かうは、未だ見ぬ二階。田舎の家特有の狭く傾斜のある階段は、薄暗く上方へと続いている。ギシギシと軋む板に、白い札、盛り塩……盛り塩?

 

 違和感にすぐに気づいた僕は、横の柱に貼り付けられた御札と、一段ごとに置かれた盛り塩を交互に見やる。しかしてSちゃんは、そんな事にもお構いなしにずんずんと進んでいく。


 階段を上がると正面に一部屋、右手には廊下が続き、左手にもう一部屋がある。なんというか、これだけ分かりやすく御札と盛り塩があって、皆が平然と暮らしているからには、実は重要な意味はないんじゃないかと逆に考える。いやいやそうでもしなければ、流石におかしいだろう。


 正面の部屋は閉まっていて、ドア面に「C」と張り紙がしてある。恐らくはここが、もう一人の社員の部屋に違いない。そして左手のドア面には「子供部屋」のプレート。ただ不思議な事に、ガラス窓は内側からガムテープで目張りがしてあって、こちらからは見えないようになっている。


「ああ、ここがSちゃんの部屋?」

 確かに年頃の女の子なら、部屋の中を見られるのは嫌に違いない。なるほどと得心し、僕はSちゃんに語りかけた。


「……ここは、開けちゃ、だめ」

 ぼそり言い放たれる一言。


「分かってるよ……女の子の部屋なんて覗かないから」

 随分と警戒されているものだと僕は溜息をつき、その意志は無い事を明確に伝える。まあロリコンじゃないと言えば嘘にはなるが、飽くまでも二次元に限った話だ。多分。


「……」

 だけれど言ったきり黙りこくったSちゃんは、また一言も発しないまま、廊下の奥のほうへ歩いて行く。


 左手に八畳間。右手に六畳間。がらんどうとした左手と異なり、右手の部屋は人が暮らしている形跡がある。幾つかの薬箱に紛れ、敷かれたままの布団と毛布。この暑い時期に毛布なんてと思いはしたが、田舎だけに夜は冷えるのかもと思い直し、僕はSちゃんの後を追う。


 廊下の突き当り、つまりは子供部屋の対極。二階で行き止まりの筈のその場所には、半分に切られただけの階段が置いてあった。いや置いてあるというより、家屋の一部として据え付けられている。三階どころか屋根裏すらあった痕跡も無く、一体これはどういう事だと訝しむ僕を他所に、Sちゃんは「これで……終わり」と向き直って告げる。相変わらずの仏頂面だが、それでもこれで、僕は社長のプライベートエリアを除けば、母屋の概ねを見て回った事になる。


 廊下の突き当りにも、左右に部屋が一つずつ。左手にはまさかのノートPCと、美少女アニメの絵柄が描かれたバスタオルが干してある。Bさんにこんな趣味があるとは思えないと慮ると、ここに住むのは僕と同じ原発作業員の希望者なのだろう。もともと僕自身、大阪の芸大でアニメを専攻していた身ではあるから、もしかすれば話が合うやもと漫然と推し量った。


「こっち……Bさん」

 するとまるで僕の心境を見抜いたかの様に、Sちゃんは右手の、つまり今の彼女にとっては左手の部屋を指す。締め切られたそこが、どうやらBさんの部屋にあたるらしい。ありがとうと頷いた僕は「そういえば、僕の部屋ってどこになるんだろう」と、駄目もとでSちゃんに尋ねた。


「たぶん、ここ……」

 Sちゃんは途中通り過ぎた八畳間にとてとて歩いて行くと「ここのひと、いなくなった」と続ける。


「そっか、第一陣で出ちゃったんだね」

 確か先遣隊が出ていたと聞いていた僕は、その人の代わりにここに充てがわれるのだと思い、Sちゃんに謝辞を述べると、一階に置いたままの荷物を取りに戻ったのだった。


 持ってきた荷物は、さしあたっての土木作業具。学生時代から遺跡発掘のバイトをしていた僕は、割と本格的な装備一式を持ち合わせていた。安全靴を土間に置き、それ以外を二階へ持っていく。上がるとそこにSちゃんの姿はもう無く、お手洗いにでも行ったのかなと一考を巡らせ、僕は僕の部屋であろう一室に足を踏み入れる。


 壁のあちこちは禿げているけど、東向きの大窓からの景色は良好。風通しも良いと見え、二階の部屋の中では一番の大当たりじゃないかと顔をほころばせる。なにより一番好ましいのは、ちょうど離れを見下ろせる手前、誰かが来ても一瞬で分かる位置関係だ。


 いくら集団生活とは言え、プライベートの時間は必須だ。察するにここの住人の大半は、離れを中心に過ごしていると見える。すると先ず離れの戸を開く音が聞こえ、次に玄関、さらには階段を登る音と、誰かが近づく気配は必ずや兆候として現れ得る。つまり、つまり要するに、一人で「ナニか」致していたとしても、隠してごまかし、横になるという時間的猶予は与えられているという訳だ。これで三食付きだというのなら実にあらほましきかな。今日から今暫くの間、ここが我が根城となるのだと深く深呼吸をすると、僕は大の字で横になって、年輪のぐるぐると廻る天井を見上げた。


 ――まさかその暮らしが、本来の目的を達し得る以前の、地獄になるとは思いもせずに。

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