銀白と、乙女と、雨。


 プルル、プルル――ッ。


 携帯の呼び出し音で、目を醒ました。溜まった涙が、自然に目尻からこぼれ落ちる。気が付くと、そこはもとの駅だった。

 誰もいないプラットホームは物寂しく、夜空は赤みを孕んでいた。残月の灯る白光じみた世界は、美しい。立ち上がり、ひとつ大きな伸びをして、澄んだ空気を吸い込む。


「……」


 忌まわしき過去の記憶。涙など枯れ果てたはずなのに、目元を拭う。清々しいほどの朝は、けれど犯した過ちの終着点。

 


 俺は、なんど間違えれば気が済むんだ。



 後悔なんて言葉で表せていいはずがない。そんなもの、口にすることさえ赦されない。俺は結局、何にもなれなかった。あの娘はもう――。

 そこまで考えを巡らせて、ふいに線路の端に双眼の光が目に留まった。初発だろうか。古くさい明かりが大きくなり、車輪が線路を打ちたたく。

 このまま身を投じようか。ふと、そんな考えが頭を過ぎった。ぼんやりと景色を眺め、正面を見る。

 人がいた。女の子だ。高校生だろうか。藍色のブレザーに同色のミニスカートを羽織った少女は、まっすぐにこちらを見つめている。

 薄白のまっさらな髪が風に揺れて、冬の銀を醸す。

 綺麗な人だった。まるで――。


「……すみ、――」


 れ、と口が動いたとき、背中に圧力を感じた。

 突出した浮遊感が、疑問を拭えないまま放たれる。まるで空を飛ぶ小鳥のように、不思議な感覚に包まれた。景色が遅い。

 ふいに、少女の口が開いた気がした。線路越しにゆっくりと言葉が紡がれる。



 ―――早くしないと、死んじゃうよ。


 

「……え?」


 ゆっくりと後ろを振り返る。そういえば、携帯が鳴っていたのだった。どうでもいいことを頭に思い浮かべながら、背後に立っていた人影に視線を送る。


「杏、菜――?」


 見慣れた女性の姿がそこにはあった。両の手を突きだして、惚けたように口を開いている。目が合った途端、満足げに口元を緩める彼女の微笑みは、心から安堵を孕み。そして後悔に満ちていた。



 あなたの所為よ。



 かつて放った言葉をもう一度復唱する。それは、彼女と歩んだ数十年すべての結晶。

 それをようやく男は理解した。



 ああ、これが――私の罪か。



 骨と肉の砕ける音が響いた。首元が間接を無視して曲がる。

 轟音ともとれる速度で、鉄の長蛇が世闇を過ぎゆく。窓を通した万華鏡の断片的に繋がれた景色を男が見ることはない。

 ふひひ、少女が笑う。銀の乙女は想い人の死を見て、どこまでもどこまでも可憐に優雅な笑みを浮かべた。



 これで一緒、だね?



 少女の鞄がこぼれ落ち、見えなかった顔が鮮明になる。こちら側に一歩ずつ脚を近づけていき、走り込むように肉薄する。乱反射するガラス戸が、視界を掠める。

 最後の車両が通り過ぎ、夜の余韻を孕んだ疾風が髪を戒める。



 ガタンゴトンッ、ガタンゴトンッ。



 そうして再び見えたホームには、もう誰もいなかった。

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