第10話 兄からのコンタクト
――親愛なる家族へ。
これを読んでいるということは、私の身に何かあったのだろう。
果たして誰が読む事になるのかはわからないが、もしも君が我が家の関係者でないのであれば、家族の誰かに伝えて欲しい。
我が家系には数代に一度、呪いが降りかかる。
祖父はそれを打ち破るべく、多くの魔術を研鑽してきた。
その末に、呪いの力を逆に利用して、それを封印する因子を血筋に込めることに成功したらしい。
呪いが発動すると、その者は魔の意思に乗っ取られる。
その覚醒と同時期に、封印の因子は発現するようになっている。
我が子や、その子供たちに覚醒の兆候があった場合、決して両者を引き離してはならない。
願わくば、子孫に繁栄の在らんことを――。
ケルキデス・クエラカント
小さなランプの灯る部屋の中、エンシスはその手紙を読み終えると丁寧に畳んで元通り封筒へとしまった。
父の書斎の細工箱から見つけ出した密書。
そこにはおそらくあの日、父が彼に伝えようとしたであろう内容が書かれていた。
――あの日、彼は父の書斎へと呼び出されていた。
そこで見たのは、父の亡骸の前に佇む妹のラティの姿だ。
彼女は血塗れの短剣を握ったまま、館から姿を消した。
「……まったく。ラティめ」
父の椅子に座って、彼はため息をつく。
「いや――俺が悪いのか」
彼は小さな頃、その手紙の内容を断片的に今は亡き祖父から聞かされたことがあった。
曰く、彼の一族に代々ついて回る呪いであり、悪魔によって徐々に意識を乗っ取られることがあるという。
当時の彼は幼いながらその話に恐怖を覚えていた。
その為、彼が父の書斎でラティを見た時にその話が頭に過ぎり剣に手をかけたのだった。
ラティが悪魔に乗っ取られたのではないか、との疑いを持って。
「兄貴失格だな」
結果ラティにも逃げられ、父を殺した犯人も捕まえられていない。
――もしもラティが悪魔なのだとしたら。
彼は父の手紙の内容を思い出し、考えを巡らせる。
『封印の因子』が何なのかは彼にはわからなかったが、彼女一人が家を出ている現状は不味いことだろう。
『決して両者を引き離してはならない』。
手紙に書かれたその言葉を彼が頭の中で反芻していると、何者かが扉を開ける気配を感じた。
「――誰だ」
そこには一人の少女がいた。
彼女は不安げな表情を顔に貼り付かせ、彼の顔を覗き込む。
「……わたしです。兄様こそ、こんな場所で何を」
「……リビスか」
彼は立ち上がり、少女に近付いた。
年の頃は17、8ほどで、肩口で髪を切りそろえた少女だ。
リビスと呼んだ少女に向かって、彼は微笑む。
「事件の手掛かりを探していてね」
「……お父様を殺した犯人の行方は、まだわからないのですか?」
リビスは目をそらしながら、彼へと問う。
「……ああ」
彼は一言だけ、そう答えた。
あの日、父の死と共にラティが凶器を持って逃走している。
少女の言葉は言外に、犯人……ラティのことを指していた。
彼女は首を横に振る。
「……わたしにはラティが父を殺すような者には見えないのですが」
「――そうだな。俺もそう思うよ」
リビスの言葉に彼は頷く。
しかし家の人間はほぼ全て、ラティを犯人として扱っていた。
それは目の前のリビスすらも例外ではない。
エンシスはため息混じりに言葉を続ける。
「だが侵入者の形跡は無いし、父には抵抗した後がない。ああ見えて父の剣の腕はたしかだ。顔見知りによる不意打ちの可能性が高い」
彼の言葉にリビスを顔を伏せる。
「……たしかにラティが相手であれば、剣で襲いかかってくるとは夢にも思わないでしょうね」
彼女は静かに口を開いた。
「しかし母様も日々衰弱していっています。早くこの事件に決着を付けなければ」
エンシスは眉をひそめる。
彼らの母は元から病弱で、父が倒れてからは体調を崩していた。
心が弱い人であったので、支えを失ったことがその心身に大きく影響を及ぼしているのだろう、と彼は考えている。
「……そうだな。俺もラティの行方を追っている」
「――おいおい、本当かよ」
二人の会話を遮るように、廊下から一人の男が声をかけた。
「――兄上」
そこには髭面の男が立っていた。
エンシスがその男の言葉に答える。
「……どういう意味でしょうか」
ヒゲを生やした男は、声を出して笑った。
「お前はあの女と仲が良かったからな。どっかに匿ってんじゃないのか?」
彼の言葉にエンシスは呆れたようにため息をついて見せた。
「俺にそんな甲斐性はありませんよ。父が死に早々に家の金に手を付けたあなたと違ってね」
「何だと……! 生意気な口聞きやがって……! 俺だって親父の後釜を引き継ぐのには、いろいろと金が必要なんだよ!」
「ファグス兄さん……! エンシス兄様も。おやめください」
リビスに
ファグスが挑発に乗ってくることは、長年の付き合いからエンシスにはわかっていた。
それが暴力沙汰にはならないことも。
騎士団に所属するエンシスに彼が暴力で勝つことができないのは、この場の誰もが理解している。
「――はっ。文句があるならお前が捕まえてこいよ、あの女を。あいつのせいでうちはめちゃくちゃだ」
ファグスの言葉にエンシスは目を伏せた。
「……ええ。しばしお待ち下さい。既に居所は掴んでいます」
エンシスの言葉に彼は片眉をひそめた。
「……ああん? それならなんで連れてこねぇんだ?」
「……とても手が出せない所にいるのですよ。――今は」
彼はそう言うと、会話を打ち切ってファグスに背を向けて歩き出した。
ファグスはそれを見て何かを言いかけるが、彼はそれに取り合うこともなくその場を後にするのであった。
§
「……とても手が出せない」
わたしの前では、グラニさんとサニーちゃんが一山のパンケーキを奪い合っていました。
「これはラティ殿が拙者の為に作ってくれたのですから、少しは遠慮するべきでは!?」
「いやいや自分も前からご馳走になる約束はしてたッスからね! 遠慮するいわれはどこにもないッス!」
「……おかわりはまだいっぱいありますから、喧嘩しちゃだめですよー?」
わたしの言葉に、二人は同時にそれぞれの皿を空にして叫びます。
「おかわり!」
ホイップクリームたっぷりのパンケーキは好評なようでした。
わたしは作り置きしていた次のパンケーキを運んできます。
「グラニさんは人族全般が好きというわけではないんですね……」
「ドワーフは別腹ッスよ! 自分が好きなのは人間さんだけッス!」
別腹って、もしかして食べ物枠なんでしょうか……。
不安になるわたしをよそに、グラニさんは言葉を続けます。
「それになんだか微妙に雰囲気が似ているような気がして……ダンジョンの中に自分の居場所がなくならないか不安になるッス……!」
どう考えても考え過ぎなグラニさんに向かって、サニーちゃんが胸をそらします。
「笑止! 拙者、他人の存在に侵食出来るほどの濃いキャラはしていません! むしろ影が薄すぎて、語尾に『ござる』を付けるべきか今でも迷っております!」
「そんな……! 自分以外にも存在感の無さに悩んでいる者がいたなんて……!」
そんなところで意気投合するんですか……!?
彼女たちは手を取り合い、握手を交わしました。
なんだろう、これ……。
「これで仲直りッス!」
「そうですね……拙者もよく考えれば結構お腹いっぱいですし。拙者の分までたくさん食べると良いです」
「いえ、自分も胸がいっぱいッス。っていうか胸焼けしてきたッス」
「……おかわり持ってきたんですけど」
そう言って二人の前に追加のパンケーキを差し出します。
まあ残ったら鶏さんの餌になるので、作りすぎる分にはべつに良いんですけど。
「――あ、そうそう。ところでラティ殿、一つお願いがあるのですが」
ふわふわのパンケーキを突付きつつ、サニーちゃんが右手をあげました。
「はいはい。改まっていったい何でしょう」
首を傾げるわたしも、彼女はチラリとこちらへ視線を向けました。
「……拙者と一緒に、街へと同行してもらえないでしょうか」
サニーちゃんの言葉に、わたしは思わず言葉を失います。
そのお願いは――。
「――すみません、それはできません」
ダンジョンを留守にするというのも問題がある気がしますが、何より王都でわたしは重罪人として扱われている可能性が高いです。
街へと足を踏み入れようものなら、そのまま衛兵に捕らえられてしまうかも……。
そんなわたしの思いを知ってか知らずか、サニーちゃんは気にせずパンケーキを食べ始めました。
「そうですか。ならいいです」
あっさり。
さほど気にしていない彼女の様子に、わたしは思わず胸を撫で下ろしました。
「……なぜ突然そんなことを?」
わたしの質問に、彼女は少し悩んでから口を開きます。
「……街でラティ殿の話をしていたら、ちょっとした依頼を受けまして。いや正式に受けたわけではないんですが、『出来たら会いたい』みたいな」
彼女の言葉に、少し鼓動が早くなるのを感じました。
そんな依頼をする相手に心当たりは一人しかいません。
「――依頼主の方は、どんな人でした?」
わたしの言葉に彼女は少し迷った様子を見せつつも、答えを口にしました。
「エンシス様と名乗る騎士の方でした。背が高い碧眼で……ラティ殿の、お兄さんを名乗っていましたが」
サニーちゃんの言葉にわたしは頷きます。
「……その人、革鎧も着ずに腰に数本の剣を差していませんでした?」
「おお、そういえばそんな姿でした。……あとその、凄くカッコイイ方でしたね……!」
サニーちゃんはそう言って頬を赤らめます。
……またあの人、女の子をたぶらかしてる。
「……たぶん、エンシス兄さん本人で間違いないとは思います」
どうやら兄さんはわたしを探してくれているようです。
父を殺した犯人を捕まえたのでしょうか……。
いろいろな可能性を考えるわたしをよそに、サニーちゃんは考え込むように腕を組みました。
「……『安全に暮らせているならそれでいい』とも伝言は預かってます。無理に連れ戻したりするつもりはないようですな」
「なるほど……。単純に安否を気にしてくれているだけみたいですね」
彼女の言葉にわたしは頷きます。
そんな言い方をするということは、おそらくまだ犯人を捕まえてはいないはず。
わたしへの疑いが完全に晴れているなら、その旨を教えてくれるかとは思います。
「まあ拙者としては、ラティ殿を連れ去られると金づる――数少ない友達が減ってしまうので、遠慮願いたいところでしたが」
「いま金づるって言いましたよね? 明確に言ってから言い直しましたよね?」
サニーちゃんは舌を出してウインクしました。
『てへ』じゃないんですよ。『てへ』じゃ。
……まあ、それはいいとして。
「……サニーちゃん、わたしからも一つだけ伝言をお願いします」
「ほう。なんと?」
わたしはサニーちゃんに視線を向けつつ、笑いました。
「『楽しく暮らしているので、わたしのことは忘れてください』、と」
わたしにはこのダンジョンと、ダンジョンの仲間たちがいます。
わたしがいなくなったらダンジョンの管理者がいなくなってヨルくんが困るでしょうし、今王都に戻っても迷惑をかけるはずです。
だからわたしは、このままでいいんです。
わたしの言葉にサニーちゃんは頷きます。
「了解しました。それじゃあラティ殿、ついでに質問なのですが……」
サニーちゃんはにっこりと笑みを浮かべて言いました。
「拙者、ラティ殿のお兄さんをデートにお誘いしたりしても問題ないでしょうか?」
彼女の質問に、わたしは苦笑しつつ頷きます。
「どーぞどーぞ、ご自由に」
「おお! ありがとうございます! 拙者のこと、お義姉ちゃんと呼んでもらって構いませんよ!」
「わたしが構います」
朴念仁の兄が彼女になびくともあまり思えませんが、その時は祝福してさしあげましょう。
そんな恋バナの一つもしつつ、わたしたちはのんびりとパンケーキに舌鼓をうつのでした。
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