第3話 おうちで迷子になりました
「んんんむ……」
寝ぼけ
「ここは――」
そうだ。
わたしは王都から逃げ出しているうちに迷い込んで――。
「おはようラティ!」
「――おはようございます」
半透明の体をぷるぷると震わせるヨルくんに挨拶をして、わたしは背伸びをします。
「んんっ――!」
そこは彼がコンソールと呼ぶ水晶の部屋です。
中央近くに横になっていたわたしの下には、枯れ草のような物が敷き詰められていました。
「果たしてこれをなんと呼称すればいいのかはわかりませんが――」
それはクリエイトルームで生み出した『繊維』でした。
ヨルくんいわく、食べられるそうです。
とりあえずわたしはその腕の長さほどの
これが案外、干し草のベッドのようで寝心地は悪くありません。
そもそも洞窟自体が寒くもなく、暑くもなく、とても眠りやすい環境ではあるのでした。
「――そういえば」
ふと気になったのでヨルくんに聞いてみます。
「ここのダンジョン、なんだか暖かいんですよね」
ほんわかと外より気温が高く感じます。
「ダンジョンの内部は、細い通気口を使っての空調管理に加えて温度管理もできるんだ」
そう言ってヨルくんが体を変形させて画面を出すと、そこには24という数字が書かれていました。
その横には上下の矢印。
「お望みとあればラティの好きなように変更できるよ。ただし――あっ、あっ、やめっ」
ぽちぽちとそこを押してみると、数字が変わりました。
押す度にヨルくんは声をあげます。
「だめ、ラティ、やめて、温度の、大きな変更は、魔力の消費が――」
「そ、そういうことは早く言って下さい……!」
慌てて元の数字に戻して手を離しました。
「迷宮は地面の中にあるから、一定温度に保つ分には最小限の魔力で維持できるんだ」
「ふんふん……。それなら下手に弄らない方がよさそうですね」
「ラティの快適な温度に合わせてくれればいいよ」
なるほど。
このダンジョンは思った以上に、不自由なく生きていくことができそうです。
「むっ……!」
「どうしたんだい、ラティ」
「大変……お腹が空きました」
昨日は水しか口にしていません。
そんなわたしの空腹を刺激するかのように、ダンジョンには甘い匂いが漂っていました。
「……この匂いはいったい……?」
迷宮に初めて入ったときに感じたあの匂い。
こんがりと焼けた芳ばしいパイのような、そんな匂いが鼻孔をくすぐります。
「そうだね。今後のことも考えて、案内しようラティ」
ヨルくんはそう言って、ぽてぽてと水晶の部屋の入り口の方へ動き出しました。
慌ててわたしもその後に続きます。
その甘い匂いに、わたしは期待をふくらませるのでした。
§
「さすがラティ。3区画を通るだけなのに2回もはぐれるだなんて」
「ううう、ごめんなさい……」
「それにしても不思議だね。どうしてボクの後を着いてこないんだい?」
「ごめんなさい、ほんっとうにごめんなさい……。珍しい物を見るとついつい……」
洞窟の中は不思議な光景で溢れていました。
七色に光輝く宝石のような水晶。
美しく羽ばたく黄金の蝶。
まるで芸術品のように精巧に作られた彫像。
一区画進むごとに、多くの物がまるで夢の世界のようにわたしを魅了するのでした。
「君は随分と魅了耐性が低いんだね」
「魅了耐性……?」
「うん。あれらの物は全て、侵入者を魅了してトラップに引っ掛けて、この部屋に落とすようになっているんだ」
彼が入っていく部屋を覗き込みます。
ヨルくんがわたしを案内してくれたのは、最も地下にある一室でした。
「これは――」
その広い部屋の中央には、深い池がありました。
どうやら甘い匂いはその池から漂ってきていたようです。
「消化槽だよ」
ヨルくんの言葉に合わせるように、一匹の羽虫がその池の中に自ら飛び込んでいきました。
するとそれはジュッと一瞬、音を立てて跡形もなく消失します。
「死体はダンジョンの地面に埋めても吸収されるけど、ここに落とすと一瞬で全てが溶けるから片付ける必要がないよ」
「うぇ……」
足を滑らせたら命がなさそうです。
「排泄物もここに投げ込めば衛生的に心配がないよ。ダンジョン内に散らかった場合は僕が片付けてもいいけど、それには魔力を消費するので注意してね」
「あ、は、はい……」
……トイレが作れるようになるまでは、ここがトイレなのでしょうか。
うう、辛い。
一歩間違えれば死んでしまいます。
は、早いところダンジョンのレベルを上げなければ……。
「それにしても不思議だね、ラティ。君はどうして罠に引っかからなかったんだい」
「わ、罠……?」
「うん。ダンジョン内の道中は知的生命体の気を惹きやすい装飾がされていて、その足元にある落とし穴がここに繋がっているんだ」
「おええ……。まじすか」
下手をすれば、ヨルくんに出会う前に死んでしまっていた気がします。
「わたしが水晶の部屋までたどり着けたのは……途中の隠し通路を通ってきたからなんです」
「隠し通路?」
ヨルくんはその場でぽにょんぽにょんと体を上下させます。
「はい。ショートカットのような、明らかに秘匿されていた道で……」
「ラティ。レベル1のダンジョンは、ここに繋がる道を除けば基本的に一本道だよ」
「……ええ? いやいや、あの壁を押したら大きな岩がずごーんって」
わたしの説明に、同じくヨルくんはぽにょぽにょと体を震わせました。
「実際に案内してもらってもいいかな、ラティ」
§
「そんな……」
5回以上も迷ってしまい、実際に一度は落とし穴にダイブしそうになりつつ、わたしは水晶の部屋へと帰ってきました。
結論。隠し通路なんてなかった。
「凄いよラティ、本当に。君のスキルは因果や物理法則すらも捻じ曲げるんだね」
「そんな迷惑スキルいりませんよ……」
ヨルくんは絶賛してくれますが、本人にとっては全然嬉しくありません。
自宅になるであろうこの迷宮ですらも迷ってしまうだなんて、お先真っ暗です。
ヨルくんいわく、この迷宮の入り口までは10区画ほどあるらしく。
そんな長距離を迷わずに歩くだなんてわたしには到底無理でしょう。
「わたしは一生この迷宮を出られないのかも」
「
ぐんにょりとヨルくんはその体を崩しました。
わたしはため息をつきます。
「はー……。とりあえずトイレに間に合わないかもしれないのが一番怖いです」
考えただけで恐ろしい。
早くトイレは作らないと。
わたしの言葉に、ヨルくんはぽよんと跳ねました。
「それじゃあラティの迷子スキルが暴発しそうになった時、その魔力を吸収して発動しないようにしてみようか」
彼の突然の提案にわたしは思わず聞き返します。
「そ、そんなことができるんですか……?」
「魔力パスは契約で繋がっているし、出来るはずだよ。ただしダンジョンの外に出ると効果がないから注意してね」
「はい! 全然大丈夫です!」
思わずわたしはヨルくんを持ち上げて抱きしめます。
小さい頃から悩みの種だった方向音痴を直してくれるだなんて!
「痛いよ、ラティ」
「す、すみません……」
そのひんやりとしたぷにぷにボディを手放します。
失礼ながらヨルくん、痛覚があったんですね……。
「今度から『迷子』スキルを使いたくなった時は、強く念じてね」
「……ねんじる……?」
よくわかりません。
いえ、そもそも『迷子』スキルなんて迷惑なスキルを使いたくなることは無いと思うんですけど。
わたしが頭を悩ませていると、ヨルくんはその体を変形させて平たい画面を作りました。
そこには『迷子』の大きな文字。
「これを頭の中に思い浮かべるんだ。そうするときっと使えるよ」
「……なるほど?」
よくわかりませんが、試しにやってみます。
ダンジョンの中なら酷いことにはならないでしょうし。
……目を閉じて、集中。
……『迷子』!
「……あれ?」
目を開けますが、特に何も起こっていませんでした。
「スキルの発動は本人のイメージ力によるからね。発動しなくても気にしちゃいけないよ」
ヨルくんはダメな子を励ますような口調でそう言いました。
なんだか慰められてしまったようです。
スキルを使う才能がないんでしょうか。
役に立たないスキルとはいえ、なんだか悔しい……。
「ちょ、ちょっと待ってください……」
迷子、迷子……。
腕を組み目を閉じ、思考を集中させます。
今まで迷子になったときはどんな感じでしたっけ。
いつもぼんやりとしているうちに迷っていたような……?
「うーん……」
わたしは唸りつつ、その場を無意味に歩き回ります。
迷子……。
何かヒント、ヒント……。
そうだ!
「ヨルくん、さっきみたく珍しい物を見せてもらえれば――」
目を開けると、そこにヨルくんの姿はなくなっていました。
「――あれ? あれ? ここは……?」
周りを見渡します。
そこはダンジョンの中には間違いないようでしたが、見たことがないエリアでした。
現在地を見失ったことに気付き、一筋の汗が頬を流れます。
そうしてわたしはヨルくんが迎えに来てくれるまでの10分ほどの間、その場に立ち尽くしていたのでした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ラティメリア・カルムナエ
ダンジョンキーパー
筋力 9
体力 14
敏捷 11
魔力 13
スキル
『料理』レベル 2
『裁縫』レベル 1
『迷子』レベル32 ☆UP!
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