第53話 ラスティン19歳(モーランド侯爵からの使者来る)


 友人達の”再教育”を、魔法兵団長のマティアスに任せて、僕は1人でワーンベルへと帰って来ました。久々に代官の屋敷の執務室に座ると、昔を思い出しました。そこにマルセルさんが嬉しそうに書類を抱えてやって来ました。


「やはりラスティン様がそこに座っていていただけると、安心出来ますね」


「苦労をかけてしまったみたいですね。また以前の様によろしくお願いします」


 そんな事を話しながら、僕は書類をこなして行くのでした。これからしばらくはこんな日々が続くと思っていたのですが、それは長く続きませんでした。


===


「モーランド侯爵からの使者ですか?父上の所では無く、ワーンベルへ直接来たんですか?」


「はい、使者の方はそう仰っています。クレマンという方ですが、モーランド侯爵家の家臣だそうです」


「本当に、モーランド侯爵家の家臣なんでしょうか?」


「それは確かだと思います。何かの機会に、あの方がモーランド侯爵家の家臣として出席していたのを見かけた事があります」


「分かりました、会いましょう」


 僕は、応接間に向かう事にしました。そこには少し緊張気味の、1人の男性が待っていました。その人物が、僕が部屋に入ると慌てるように頭を下げて、


「ラスティン・ド・レーネンベルク様、お初にお目にかかります。私はモーランド侯爵家の家臣で、クレマンと申します」


と話しかけてきました。正面から改めて、クレマンさんの様子を確認すると、意外と若い事に気付きました。多分20代前半で間違い無いでしょう、緊張気味なのは、今回の面談が意外に大きな話になるせいなのかも知れません。


「ラスティンです。よろしくお願いします、クレマン殿。それで今日の訪問はどの様なご用件でしたか?」


「はい、実は本日、私は、ラスティン様にお力をお借りしたいと思いまして、こちらを訪ねさせていただきました」


「僕の力をですか?もう少し詳しく話していただけますか?」


「実はお恥ずかしい話ですが、我が主の領地は現在多額の負債に苦しんでおりまして、この事態を打開すべく、ワーンベルの工業品の生産方法を是非我が領に伝授して頂きたいのです。なにとぞ、なにとぞお願い致します」


 クレマンさんは土下座せんばかりに頭を下げてしまいました。僕はその様子に少し引いてしまいましたが、少なくともクレマンさんの熱意は伝わって来ました。


「それでは、クレマン殿。貴方は今のワーンベルの状況がどうやって実現したかご存知ですか?それと、貴方が仰ったことは、モーランド侯爵もご存知なのでしょうか?」


 クレマンさんは、僕の質問に首を傾げながら、


「平民メイジを家臣として取立てて錬金をさせているのではなかったでしょうか?我が主君につきましては、1度この話を提案した際にはあまり気に召されなかった様でしたが、先日改めて提案した所、あっさり同意して下さいました」


と答えてくれました。クレマンさんの回答は、一応及第点でしたが、僕がしてきた苦労を一切無視した物でした。

 ですが、クレマンさんの年齢ならそれも仕方が無いと思うことにしました。それから一応、クレマンさんにワーンベルを案内する事にしました。工場街の内部を見たクレマンさんは大変感銘を受けた様子でしたが、その他の町の施設に関しては、さほど興味を引く事が出来なかった感触でした。

 それから1度屋敷に戻って、平民メイジ達に対する待遇の改善がどうしても必要だと、クレマンさんに説いたのですが、クレマンさんにはピンと来なかった様です。どうもクレマンさんは若いのに、頭が固い気がします。ですが、クレマンさんがモーランド侯爵家を持ち直させたいという熱意と、誠実な人柄は、彼を無下に扱うには惜しいと思わせるに足る物でした。

 僕は結局、クレマンさんの熱意にほだされる感じで、モーランド侯爵に会い、話し合いをすることを同意してしまいました。モーランド侯爵領までは、馬であれば半日もかからないのですが、クレマンさんの乗ってきた馬車を利用する事になったので、もう少しかかりそうです。

 馬車には、8人ほどの護衛が付いていました。クレマンさんによると、モーランド侯爵領では、盗賊団の被害が報告されているそうで、多目の護衛を用意したそうです。クレマンさんに随分と準備がいいですね?と尋ねると、恥ずかしそうに、


「御館様に、お前ではレーネンベルクの状況はつかめないだろうから、無理だと感じたら諦めて、ラスティン様をモーランド領に招待しろと言われていたのですよ」


と告白してくれました。クレマンさんはやっぱりモーランド侯爵領でもこんな感じなのでしょうか?


 僕達の乗った馬車は、ゆっくりとしたペースで街道を進み、夕方近くになってやっとモーランド侯爵領に入る事が出来ました。クレマンさんの話では、近くの町で1度宿を取り、明日の昼前位にはモーランド侯爵の屋敷に到着できるとの事でした。ですが、僕たちはその町に到着することは出来ませんでした。

 その後しばらくして、急に馬車の周りが騒がしくなったと思ったら、急に眠気を感じて、意識を手放す事になってしまったからです。


===


 僕は目を覚ますと、まず周りの状況を確認しました。薄暗い部屋の中には5人ほどの人間がいました。そこまで確認した途端に、僕のお腹に鋭い痛みが走りました。


「グハッ」


「どうやら、レーネンベルクのおぼっちゃんのお目覚めのようだぜ」


「そうか、魔法兵団には色々世話になったからな、たっぷりお礼をしておかなきゃな!」


「おい!あんまり痛めつけるなよ、このぼっちゃんにはやってもらう事があるんだからな」


「おうそうだったな、だが、ただで済ませるわけにはいかないな」


 そこまで彼らの会話を聞いた所で、またもや僕は意識を失うことになりました。


 次に意識を取り戻したのは、急に頭から水をかけられたせいだと思います。体中が痛み、意識がきちんと焦点を結ばない感じです。少し動くだけで、口から悲鳴が上がるのを避けることは出来ませんでした。


「よう、レーネンベルクのおぼっちゃん、また目を覚ました様だな。お前には少しやってもらいたい事があってな、それで目を覚ましてもらった訳だが」


 目の前には桶の様なものを持った男が座り込むようにして、僕に声をかけて来ました。


「お前ら、少しやりすぎだぞ!これじゃあ、魔法なんて使えないだろう。まあいい、ぼっちゃんには、元素周期表とその試料を作ってもらうからな、精々身体を休めて置くんだな!」


 そうして、僕は引きずられる様にして、地下室と思われる場所に連れて行かれ、入り口には鍵がかけられ、そこには見張りが付いた様です。そんな事をしなくても、体中が痛くて、後ろ手に縛られているので、立ち上がることも難しいです。また、気を失いそうですが、その前にやっておくことがあります。


『キュベレー、待たせたね。でもあんまり無茶はしないでくれよ。ニルヴァーナが取り上げられたままなんだから』


『ラスティン、ほんとに大丈夫なのですかぁ?お姉様が捕らえられていなければぁ、こんな家なんてぇ』


『キュベレー、落ち着いて』


『はーいぃ、では行きますよぉ』


 そのキュベレーの相変わらずの舌足らずの掛け声と共に、僕の真下の地面の感触がなくなると、僕は地面に吸い込まれてしまいました。咄嗟に息を止めたてまぶたを閉じたのですが、それが必要だったか分かりません。僕はいつの間にか、真っ暗な森の中に放り出されていました。ですが、近くにキュベレーがいる感覚だけはあります。


「キュベレー、世話をかけたね」


「ラスティンが無事ならぁ、それだけでいいですぅ」


「今の移動方法は何なんだい?」


「精霊の道というらしいですぅ。ラスティンに言われてぇ、兄様や姉様に話を聞いていた時に教わったのですぅ」


 精霊の道か、何か思い付きそうですが、痛みが思考を妨げています。


「でもここでじっとしている訳にはいかないな、追っ手がかかるかもしれないし」


「いいえぇ、ここに居てくださいぃ」


「でもさっきの場所から、それ程離れた訳じゃないんだろう?」


「移動距離はぁ、300メイル位ですぅ。でも援軍を呼んであるのですぅ」


 僕はキュベレーの言う事を信じて、援軍とやらを待つことにしました。木にもたれかかりながら、少し眠るとかなり気力が回復した気がしました。


「来ましたぁ、ここですよぉ」


 急にキュベレーが声を上げたので周囲を見渡すと、ライトの明かりを頼りに、何人かの人間が近付いて来るのが確認出来ました。


「エルネスト!ここだよ」


 僕も安心したせいか大きな声を出してしまいました。


「スティン!無事だったんだな、テティスが騒ぎ出した時には何事かと思ったよ」


 僕としてはあまり無事だとは思わないのですが、それでも拉致されて、五体満足な状態ならば贅沢は言えないでしょう。エルネストが治療呪文をかけてくれたので、痛みが嘘のように引いて行きました。魔法って本当にありがたいと感じました。これは病気や怪我をした人間が、魔法による治療を受けて心の底から思うことなのかも知れません。

 エルネストの他にも、友人達が駆けつけてくれた様で、口々に僕の無事を喜んでくれました。エルネストと友人達がこんなにも早く駆けつけてくれたのには、訳があります。エルネストは兵団の水メイジ達に治療魔法の指導を行うために、時々レーネンベルクに来てくれる事になっていて、今日が丁度その日だったのです。


「さて、拉致監禁犯を退治して来るか?」


 僕の治療が終わったのを確認して、コルネリウスが何故か嬉しそうな声を上げました。


「済まないけど、あまり乱暴な方法は避けてくれよ。僕の杖が取り上げられたままなんだ。それに聞き出したい事もあるしね」


「分かった穏便にだな?」


 コルネリウスの口から出ると、穏便と言う言葉も何故か不穏に聞こえてしまうのは何故なんでしょう?僕は彼らの仲間にメイジが居るかもしれない事を告げて、友人達の活躍を見守る事にしました。杖を持たないメイジって言うのは本当に役に立ちませんね。


 キュベレーやテティスの助力もあって、拉致監禁犯たちはあっけないほど簡単に捕らえられる事になりました。僕もニルヴァーナを取り返して、それに参加しようとしたのですが、全く出番はありませんでした。

 捕らえられた拉致監禁犯たちは、ほとんどが口をきけない状態でしたが、その中に1人だけ無事?な者がいました。僕は彼を尋問する事にしました。杖を突きつけると、男は面白いように喋り始めましたが、語った内容はあまり楽観できる物ではありませんでした。

 男たちは、ゲルマニアのブルーデス伯爵という人物の指示で、僕に元素周期表とその試料を用意させるようにする為、今回の事件を起したそうなのです。ブルーデス伯爵といえば、モーランド侯爵領に接したゲルマニア側の領主だったはずですが、彼がこの事件の真犯人とは思えません。裏ではあの男が糸を引いているのでしょう。


 僕たちは、拉致監禁犯たちを捕らえて、意気揚々とレーネンベルクに戻るはずだったのですが、帰り道で、無残な状態のモーランド侯爵家の馬車と、その周りの死体を発見してしまい、その気分がかなり暗くなってしまったのは避けられませんでした。

 王城に今回の事件を報告してゲルマニアに抗議を伝えてもらえる様に依頼すると同時に、モーランド侯爵に家臣のクレマンさんの弔問の使者を送らなくてはならない様です。

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