第15話 目覚める森の美女 8
有馬如華は居心地が悪かった。
今回は悪さをして捕まったわけではないのだが、警察の車に乗るのは決して気持ちの良いものではなかった。
病院で検査をした後、自宅へ連れて行ってくれるらしいのだが、如華は断るつもりでいた。
如華は施設を脱走した13才の時以来、身分証明をする物が無かった。真っ当な病院へ連れて行かれてしまうと、国民健康保険がないことがバレ、なんだかんだ突っ込まれてしまうのだ。
だから病気の時は、知り合いの闇医者に看て貰う事にしていた。その闇医者には貸しがあってあと3回はタダで看て貰えることになっている。
それに、自宅はあってないようなモノだった。
如華はとある雑居ビルの屋上に寝床を作り、勝手に住んでいたのだ。
そこを警察に嗅ぎつかれると厄介なのだ。
と言うわけで、警察に根掘り葉掘り聞かれると、色々面倒なことが出て来るのである。
しかしながら、この後、職務質問、事情聴取が待っていた。
ホントは今すぐ逃げ出したかったが、徒歩で街に戻るのにはかなりの労力がいるので、その案は白紙に戻す事にした。
取り敢えず、街に着くまでは車に乗っておくことにして、機会を見て逃げ出そうと思った。
それまでは、警察の追及を何とか嘘でやり過ごすのだ。
如華は嘘が得意だった。
8割の真実に対し2割の嘘を組み込むのが如華の常套手段なのである。
事情聴取で如華は何処まで本当のことを話すか迷っていた。
勿論、大麻を吸っていた事などは以ての外だ。
だが、モヒカン男が殺された事は言わなきゃならないし、そうすれば現場を、あの展望台の事を教えなきゃならない。そこには大麻と水パイプが転がったままだろう。大男が痕跡を処理しているとは思えなかった。
一難去ってまた一難。
如華の人生の格言だ。
そういえば、警察が何故こんな所に来たのだろう?警察は大男を知らない様子だったのだ。
数分後、後部座席のドアが開き、女の警察官と思われる人物が隣に座り込んで来た。年は同じか少し上
といった感じだ。
「気分はどう?少しは落ち着いた?」
如華は婦警の優しい声に何処か懐かしさを感じた。
「はあ、ちょっとは。」
「そう。よかったわ。」
婦警は安心させるように微笑んで言った。
「あのー、ところであの大男はどうなったんです?」
「まだ、息はあるわ。気を失ってる状態よ。けど今度は大丈夫だから。縄でぐるぐる巻きにして蓑虫状態で拘束してあるわ。」
如華は余り大丈夫だとは思えなかった。生きてる限り大男の脅威は拭えそうに無い。
「今は、大男を移送する手配をしている所よ。何せあの巨体でしょ?だから、装甲車を待っているの。」
確かに大男を運ぶには2トントラックはいるなと如華は思った。
早速で悪いんだけど、2、3質問に答えて貰えるかな?」
来たな、と如華は身構えた。
「はい、アタシの分かる範囲なら。」
「楽にして。これはただの質問で、尋問じゃないから。」
婦警は如華の敵意を感じとったようだった。
「それに、実は私、警察官じゃないの。」
「え?警察じゃないの?」
予想外の告白に如華は驚いた。
「そう。警察は彼ら。私はなんて言うのかしら、とある事件に協力している部外者よ。だから、例えばアナタに何か警察に知られたくない事があったとしても、私は追っている事件以外のことに興味ないから安心して。例えばの話しだけどね。」
如華は少し気が楽になった。この女は話の分かる人だ。この人なら、自分に不利な事を正直に話しても大丈夫そうだ。ま、わざわざ話す事はないが。
「では、質問しても良いかしら?」
「何でもどうぞ。」
如華は協力的な返事をした。
「さっきも少し言ったけど、私達はある事件の容疑者を追っているの。それで、アナタの居たあの小屋に辿り着いた訳なのね。でも、私達が追っている男はあの大男では無いの。」
如華は既に思い浮かんでいた。
大男の兄だ。
大男の兄は犯罪者だったのだ。普通に考えればそりゃそうだと思い、如華は少し恥ずかしくなった。
「それで、質問なんだけど、あなたがあの小屋に居る間に誰か別の男が来なかったかしら?」
「兄が来たわ。大男の。アンタ達が捜しているのは大男の兄なんじゃない?」
「えっ?」
協力者の女は不意打ちを食らったような反応を示す。
「兄?タダの知り合いとかじゃなくて?あの大男の兄が来たと言うの?」
「ええ。2人の会話から、アタシはそう思ったけど。なんか変なこと言った?」
協力者の女は黙って考え込み、少し間があってから、車のルームライト点けた。それから、胸ポケットから写真を取り出し、如華の目の前に突きつけた。
「大男の兄はコイツで間違いない?」
写真には自分を抱いた男が写っている。
「間違いないよ。」
協力者の女は再び考え込んで黙ってしまった。
如華は何か間違った事を言ったのだろうかと少し不安な気持ちになった。
ふと、協力者の女の顔に視線が止まる。
ルームライトで照らされた協力者の女の顔はどこか見覚えのある顔だったのだ。
誰だっけ?昔に会ってた気がする。子供の頃かな?まじまじと顔を見つめていると、協力者の女がとびきりの笑顔で応えた。
如華は急に恥ずかしくなり慌てて目をそらした。ケンカの時以外、人と目を合わすのが苦手なのだ。
「それで、その大男の兄は何処へ行ったか分かる?」
「どこ?…確か、海外に行くとか言ってた。船だったかな?」
如華は記憶を絞り出す。
「船!?どこから乗るとかは言ってなかった?」
「いや、多分そこまでは言ってなかったような…。あっ、朝一番のに乗るとか言ってたと思う。」
「そっか。残念ね。」
如華は何だか腹が立った。こっちはそれどろこじゃなかったのだ。
「じゃ、小屋から出て行ったのは何時かわかる?」
「さぁ?…1時くらいじゃない?」
如華は無愛想に応えてやった。
「1時…ん??それって深夜1時の事?」
「そうだけど?何か文句ある?」
「1時…って、ちょうど峠を登っていた頃よ。まさか!」
協力者の女は目を泳がせながら、早口で独り言を呟いた。
「まさか、あの暴走車が?いや、そうよ。その時間帯に擦れ違ったのはあの車だけだったわ!」
協力者の女は慌ただしく車から飛びだし、遠くにいる警察官に向かって叫んだ。
「蜂谷くん!八神くん!さっきの暴走車が我蛭だったのよ!あの車を運転していたんだわ!早く、交通課に連絡取って!捕まえたか確認して!」
警察官達も協力者の女の慌ただしさに感染したらしく、騒がしく働き始めた。
如華には何が起こっているのかさっぱりだった。
ただ、大男の兄がよっぽどの凶悪犯なのだろうと言うことは、なんとなくわかった。
如華に又一つ、大きな傷が出来てしまう。
凶悪犯に抱かれた女。
しかも、一時的とは言え好意を抱いてしまったのだ。つくづく自分が嫌になる。
少しして、ボンネットに腰掛けた協力者の女に警察官の一人が恐る恐る近寄ってきた。
「…あっあの、実はまだ、交通課はあの暴走車を発見出来ていないそうなのであります。」
協力者の女の顔色が変わった。
「何て事なの!取り逃がしまくりじゃない!ホント警察って雑魚ばっかりね!」
如華は女の怒った顔を見て思い出した。
遠い昔の知り合いを。
念力と一緒に封じていた記憶の中に、この顔があったのだ。
如華は車から降りて女に近づいた。確認のためもう一度まじまじと女の顔を覗いた。
女は不機嫌な顔で睨みつけてきた。
この顔は、やっぱりそうだ。如華は確信した。
「もしかしてエビチリじゃない?蛯名千里でしょ?」
女は驚いて、如華が誰か思い出そうと顔をじっと見返す。
「アタシよ。如華!有馬如華!」
女の大きな瞳がさらに大きくなっていく。
「えーっ!じょかちん?ホントに?あの有馬如華!?」
2人は知り合いだったのだ。
殺伐とした空気が一気に軽くなった。
2人は手を取り合って、まるで女学生のようにはしゃぎだした。深夜の山奥に若い女達の笑い声が響き渡る。
大人の男達の冷めた目をよそに、女達の戯れは暫く止むことは無かった。
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