かばんに夏を詰めて

シマモン

プロローグ又は現在Ⅰ

 夏日の差し込む窓から、一陣の風が吹く。不意に目をしかめて顔を背けた。除草されたレールの両脇は藪だ。風が通る隙間なんてものは一切無い。幻想かと思った。抱える荷物を抱き直して、次の駅の確認をした。

 今は内之田うちのだ。そこから北郷きたごうを挟んで次の駅で伊比井いびいだ。ここは停車時間が長い。客足はそんなに多い方でもないのに、時間にだけは素直な汽車である。持ってきていた菓子パンを取り出して袋を開けた。視線を感じた。その気配の方に目を向けると、連れがおいしそうと言わんばかりの表情で見つめていた。少しパンを傾けて「食べる?」と尋ねると、朱莉は要らないと首を振った。

 朱莉は高校時代からの友だちで、今ではそう…フィアンセだ。いや、横文字なんてやめよう、僕の妻だ。食い意地が張っており、いつも僕の食べるものをじっと見つめる。僕はそれがたまらなく可愛いと思った。といっても何も食べないのだ。決まって「瞬くんのだから要らない」と言う。それでも彼女は僕の食べる姿を見る。肉食なのか小動物なのか分からない彼女に惹かれたのかもしれない。

 宮崎県は比較的、暖かい街だ。中でも日南市の方は特に温暖で、雨も降るし日は照るし湿度は高いしで、まるで日本じゃないみたいだ。ニュースでよく見るが、47都道府県の中で一番、温暖湿潤気候なんじゃないかと錯覚してしまう。少なくともそう思っているのは僕だけだろうが。

 汽車内はがらんどうだった。僕と朱莉を除いて十人いるかいないかだ。そんな古い汽車にも、高校生の姿は見当たらない。すっかり少子高齢化となってしまった日本では、休日に遊ぶ子供たちの数が減ってしまった。以前は目まぐるしく携帯を触るだの友だちと大声でしゃべるだのと賑わっていたはずなのに。時代の流れとは恐ろしいものだと、改めて思った。僕たちが学生の頃からずっと変わらないのは、ぼろっちい汽車と車掌の声くらいだ。

 車内の扇風機がカラカラと乾いた音を立てて回る。今は午後一時過ぎ。おそらく伊比井に着くのは十分ほどだと思われる。その間何をして時間をつぶそうかと考えた。朱莉は相変わらず僕の食べる菓子パンを眺めている。今の彼女に話しかけても何も返って来ないような気がした。そっと目を逸らして。内之田の自然を目に焼きつけようとした。不意に朱莉が話しかけてきた。

「ここの田んぼ、十年前と何も変わらないねぇ。農家さんも大変だよ」

 視線の先は今時期することもないであろう畑をいじる、若干名の老人たちだった。夏野菜だろうか、水田をほったらかしにして畑を手入れしている。ここらは山に囲まれているから、狸や猿などの野生の動物たちの畑荒らしがひどいのか執念深く柵を作っていた。農業は、規模は大きいものの後継者が居らず、それが問題だという。農業に対する関心の薄い若者が増えたせいなのか知らないが、農家の平均年齢は高い。今にも骨が折れてしまいそうな老人ばかりだ。それに対して朱莉は大変だと言ったのか、こんな猛暑の日に作業をしていること自体が大変だと言ったのかは追及する気にもなれなかった。冷たい事を言うが僕は農業に興味はない。心配するのであれば、断然、後者の方だった。

 いつの間に時間が過ぎたのやら、車掌のアナウンスが聞こえた。年寄りの汽車が鈍い音を立てて動き始める。気が付いたころには加速して、両脇の藪が軌跡を描いて窓の向こうに流れて行った。そんな見慣れた景色には目もくれず、僕は静かに目を閉じた。

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