♯40 五十和奏

レノと共に【無】の中を歩く拓舞。

柔らかく温かい小さな手を握りしめて、拓舞は先の見えぬ道を進んだ。


右手を包む温かさだけが、道標みちしるべだった。


と、また前に気配を感じた。

「……ここに、何かがあるな」

「タクマ、判るの?」

「うん。何かデカいのが、ここにある」


そう言いつつ手を伸ばすと、指先が虚空で何かに触れた。恐らくは、【壁】だ。


場所を触って確認すると、力を込めて叩いた。

低く重厚感のある音が、内側まで響いて反響した。


「――――待ってたよ、兄貴」


刹那、俺とレノは壁の内側と思われる空間に立っていた。

見渡すと、テレビでしか見た事のないような巨大スタジアムみたいな観客席が、ずらりと並べられていた。

そして俺たちの立っているここは、本来なら競技の行われるだろうフィールド。

芝生こそ生えていないが、サッカーのコートくらい広い。


「兄貴ィ!!私はこっちだよっ!!」


奏が、コート中央のサークルを挟んで反対側に立っていた。その姿は白無地のポロシャツにダメージジーンズと、かなりラフである。


「勝負しようじゃん、久々にさ?」

「俺は構わない。どんな勝負でも、お前にだけは負けられないものな」

「てかさぁ兄貴、その女の子誰さ?」

「レノ」

「ふうん。どこの馬の骨かは知らないけど、私の兄貴をたぶらかした罪は重いよ?

…………さぁ兄貴、何で勝負するか選んで」

「いいや、お前に任せる」


俺は自分では決めなかった。

今まで奏と勝負してきた時も、同様である。


「……『何でも勝てる』って事か……?」


怒りにも悦びにも見える表情で、息を荒げ言う奏。

飢えた獣のような眼で、俺を見ている。


ああ、話すだけ無駄なのか。


俺は覚悟を決め、低重心に身構える。

奏も奏で、左足を前に出し殴打の構え。


「フッ――――!!」

短く息を吐き、大腿筋が躍動する。

地面は足に穿うがたれ、2人の体躯は勢い良く中空に舞った。

異なる2点はやがて1つに習合していく。

せいぜい1秒ほど、瞬間の一撃は互いの頬を打ち、衝撃が脳細胞を破壊していった。


軽度だったのかも知れないが、脳震盪のうしんとうで気絶しそうになった。朦朧もうろうとした意識をぶら下げ、俺は奏の方を見やる。

奏は地面にうつぶせ突っ伏し倒れていた。偶然か奇跡か、拳は急所に当たったらしい。気絶し、ぴくりとも動かない。


だが、あまりに奏は感じられた。

【害蟲】になって日も浅いはずだが、喧嘩慣れでもしていたのだろうか?

「……タクマ、大丈夫なのか?」

「ああ、大丈夫だよ」


と、レノと話し始めた時だった。

空間の壁が軋み、亀裂が走ったのだ。

震動が激しくなる中、俺は奏を背負い、レノをお姫さま抱っこして扉に走った。


「ここは、奏が造った空間だったのか……。奏が気絶して、維持しておけなくなったから、じき完璧に潰れる――――!」


全力で走る、走る。

と、崩れた壁が頭上に降ってきた。

「――――ッ!!!」

まさか、こんな辺境で俺は死ぬのか……?

せめて街に帰るまでは、生きたい――!!


必死だったからか、そこからはよく覚えていない。

どこをどうやって走ったのかも、今となっては分からなくなってしまった。

だが、とりあえずこれだけは言える。




俺たち3人は、生きて帰って来られた。

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