夜と吐瀉物
亜倉 飴麺
第1話
まみこは普通の女の子だった。だが、さっきしたことは明らかに普通ではない。学食の大盛りカレー二皿を頭にかけたのだ。
最近のまみこは何かがおかしい。
気が付くと窓を割っているまみこ。
気が付くと非常ベルを連打しているまみこ。
気が付くと炊飯器を被って登校しているまみこ。
前と何が変わってしまったのかしら?
まみこは学校のプールに備えつきのシャワー室を特別に使わせて貰いながら考えた。
以前のまみこはよく悩んだ。
悩んだ末に本当は選びたくない選択肢を周りに流されるまま選ぶことがよくあった。
本当はラーメンよりもパスタが食べたいのにみんながラーメン屋に行きたいと言えばそれに賛同し、本当は好きでもない歌の下手なアイドルのコンサートに行きたくもないのに行き、好みとは真逆な漫画を先輩の強引な薦めで読んだ。
最悪だったとそれぞれに不満を述べればより大きな不満を返された。そのことにまみこは閉口した。
そのうち全てがどうでもよくなり、自分の意思も意見も引っ込めて周りの顔色を伺い機嫌を取って生きるようになった。
好きでもないのに評判のラーメン店の情報を集め、好きでもない歌手の歌を必死で覚えてカラオケで披露し、好きでもないのにみんなが読んでいる漫画を買うために自分の好きな漫画を買うのを止めた。
自分を殺して周りに合わせることが唯一の正解。真理。それをしない奴は人間のクズとして孤独に死ぬ。
昼間はそう思っていたが、まみこは夜になると家のトイレに嘔吐した。吐瀉物を便器に注ぎ込んだ。喉に指を突っ込んで無理矢理吐き気を喚起してまで。
自分の部屋に入ると壁に貼られたアイドルのポスターや周りが読んでいるからといって買った漫画の数々を見てまたトイレに駆けこんだ。しばしば半狂乱になってそれらをめちゃくちゃにした。ポスターを引き剥がしCDに刃物で傷をつけ漫画を破り捨てた。
そういえば、最近そういうことをしていない。
ギトギトしたラーメンの油脂と混ざって悪臭のする胃液や、それが付着した指を必死に洗うことも、破壊したCDや漫画を友達が遊びに来た時に怪しまれないよう買い直すことも、カラオケの後で馬鹿みたいな歌詞を口ずさんだ口をエタノールで漱ぎ、それが気化する痛みで自らを罰することも、何で私がお前らなんかに合わせなきゃいけないんだと夜中に喚き散らして両親を不機嫌にすることもしてない。
昼と夜とでは別人のようだったな、と考えていると、「そう、別人」という声。
辺りを見回す。しかし、シャワー室の中にはまみこ以外誰もいない。まみこは気のせいだと自分に言い聞かせた。
「本当に?」
耳許で囁かれた。吐息の感触もなく、囁いた人物もいないのにまみこはそう思った。確かに声はそこでしたのだ。
「わたしよ、わたし。夜のまみこ。本当のあなた」
誰かの悪戯じゃないかと思い、周囲を見回すと、夜のまみこを名乗る声は高笑いした。
「あなた昼間他人に合わせて溜め込んだストレスを夜になって発散させてたわよね? でも、最近はそれをしてないわよね?」
まみこは幻聴だと判断し、怖いながらも無視を決め込んだ。
「幻聴じゃないわよ? そうね、あなた多重人格がどうやって人格が増えるか知ってる?」
夜のまみこはまみこの考えを読めるらしい。それでも無視し続けるまみこに呆れたのか夜のまみこは続けた。
「虐待受けてる子供って『これは自分じゃない誰かだ』とか思い込み続けることがあるの。すると、本当に“虐待を受けている自分”と“『これは自分じゃない誰かだ』と思っている自分”に分かれることがあるの。
あなたはそんな感じ。最近、他人に合わせてもストレス感じないのはそのせい。わたしはあなたと意識を共有してるけど、あなただけストレス溜まらないのにムカついてるってわけ。最近の奇行は、あなたが変人扱いされて一人になるようにわたしがやったことよ」
親切に説明してくれる別人格には悪いが、信じたら最後、自分は本当に狂人になってしまう。
無視しよう、とまみこは必死に自分に言い聞かせた。
「まだ信じない? じゃあこれでどうかしら?」
夜のまみこはそう言って低くいやらしい声で笑った。それがフェードアウトしていくに従い、まみこの意識が遠のいて行った。
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